しゅー太の奇譚回想記

興味の赴くままに、風のようにふらふらと

鉄道日本一周-<中国地方西側編>③山口(岩国)・広島(宮島)

こんにちは、しゅー太です。

なんとか年内にこのシリーズを仕上げることができました。
クリスマス時に何しているんだって話ではありそうですが、無縁なので仕方ないね。
困ることはないけど、「彼女がいたらできた経験」を得られないんだなぁっていうのはちょっと残念には思っているよ。
ちゃんとね。

さてそれはそうと、JALの航空セールでチケット取ったから、年明けたらまた関西にフライトだけど準備しておいてね。

[3日目:2023年1月10日(火)AM:7:30]
この日の朝もホテルバイキングでの朝食で、朝ごはんを食べるために余裕をもって起床。
前日に新山口まで進んだのでスケジュール的には余裕が割とあるので、のんびり支度をして食堂へ。
言うまでもなく昨日の夜からアドリブスケジュールに変わったので、事前に組んだチャートは浜で死にました。

食堂は最上階(orその1階下)で、他に高い建物もほとんどなかったので中々いい景色の下での食事。

通学・出勤中の山口県民を見下ろせる高層階で食べる朝食は一段と気分がいいなあ!!

そもそも山口県民じゃなくても、これから勉学・仕事に励まなくちゃいけない人たちを横目に旅行を満喫できる時点で最高だったわ。

優雅に朝食を終えた後は、片付けもろもろをしてチェックアウト。
時間的には9時過ぎ。

朝の新山口駅

ここから岩国行9時24分発11時15分到着予定の列車で、山口と広島の県境である終点の岩国までノンストップで進みます。
ちなみに細かい話をすると2023年3月のダイヤ改正で同じ時間帯の列車は、岩国行9時23分発11時22分到着の列車となります。
微妙にナーフされた。

ICOCAが使えるようになるらしい

これでICOCAも割と広範囲で使えるようになって利便性が上がったね。
でもsuicaもそうだけど微妙に使えなくて困るエリアがあったりするから、あれやめてくれ。
出発駅では使えたけど、到着駅で使えなくて現金支払いを強いられたことが何回あったかわからん。
この前も油断してsuicaで乗車したのに熱海駅を跨いじまった。
勿論下調べ不足なのは当たり前なのだけれど。
エリア跨ぎするレベルの長距離を在来線で移動して旅する輩が珍しいから、まともに相手しなくていいぞ。

まっきっき

君、かわいいって言われない?(低音渋めイケボ)
都市で走るような列車はスマートなデザインが多いと思うんだけど、個人的には全部同色で塗られてる列車の方がなんだか好き。
いいじゃんね。

岩国駅でござんす

2時間ほど乗車して、岩国に到着。
駅舎綺麗だね。観光する人も多いだろうからちゃんと整ってるんだろうね。
でも駅からすぐ近くの商店街はやっぱり地方って感じの雰囲気がある。
駅が若干異質。

こっちのロータリーの反対側にもバスロータリーがあって、そっちからは岩国錦帯橋空港までのバスが出ています。
帰宅は岩国錦帯橋空港からの飛行機なので、帰りは向こうのバスを使います。

ひとまずこちらのバス停から錦帯橋までのバスがあるので、そちらに乗車して錦帯橋まで行きます。
錦帯橋は前に近くまで来たときに寄れなかったから楽しみ。
テレビで見たりなんとなく本で知ってる程度だから実際に見に来れてよかった。

11時半に岩国駅を出発して、15分ほどで錦帯橋に到着。
錦帯橋のバス停はバスセンターとなっていて、こじんまりとしてはいますが色んな路線のバスが通っており、お土産が買えたりお昼ご飯等を食べられるお店が併設されています。

待ちに待った錦帯橋

バス停ほぼ目の前といいところにあるので迷うことはないと思います。
錦帯橋
「これがそう」と決まっているわけではないですが、
日本三名橋錦帯橋(山口)、日本橋(東京)、眼鏡橋(長崎)
日本三奇橋:錦帯橋(山口)、猿橋(山梨)、※愛本橋(富山)、木曽の桟(長野)、かずら橋(徳島)
の2つの日本三大なんたら~に数えられています。
※最後の一つは媒体によってバラバラ。愛本橋と木曽の桟は現存せず、愛本橋に関しては現在12代目の橋が架けられている。
 また三奇橋とは構造が一般の橋とは変わった橋のこと。

錦帯橋の特徴は、世界的にも珍しい5連のアーチからなる全長193.3メートルに及ぶ木造の橋で、釘を一切使わず組み立てられており、
中国にある杭州の西湖に架かっている橋から着想を得て建設に至りました。
2004年にはこの西湖の橋と姉妹橋となり、西湖のほとりには友好の石碑が建てられています。

創設は1673年で、岩国3代目藩主の吉川広嘉(きっかわひろよし)によって進められました。
岩国城と城下町の間には錦川という川があり、この二つを結ぶための橋がいくつも架けられていましたが、錦川の洪水で流されていました
そこで洪水にも耐えられる橋を作ることを目的に建設構想が始まりました。
最初、橋脚をなくせば洪水の影響を受けないとして、三奇橋の一つである猿橋(こちらも橋脚がない刎橋(はねばし)と呼ばれるもの)の調査を行いましたが、こちらは全長30メートルほどの橋に対して、川幅約200メートル近い長さに架ける橋となるため現実的ではありませんでした。
その後、上記の西湖の橋(こちらは6連アーチ)をヒントに今架けられている錦帯橋の原型が出来上がりました。

ちなみに、建設時には吉川広嘉自身が近くに居住まで構えて現場監督をしたそう。関心する。

しかし、この初代の橋は翌年の洪水で流されてしまい改良版が建設されました。
この2代目は改良の結果がきちんと表れ、1950年の台風による洪水までのなんと276年間に渡って流されることなく、定期的な架け替え工事で耐え続けました。

その3年後の1953年に市民の強い要望で再度木造で錦帯橋が建設され、約50年ぶりである2001年から2004年の間の錦川水量が減る時期に、26億円かけて橋体の架け替え工事が実施されました。

2005年の台風では橋脚が2基流されましたが、橋体に損害はありませんでした。ちなみにこちらの復旧工事は4000万円。
これは橋体に衝撃を受けた際、橋体に損害を与えないよう抜ける仕組みになっているから。

また、錦帯橋は創建当時から現代に至るまでの修復記録がほぼ完全に残り、歴代の大工棟梁も判明しているとのこと。
これマジですごいと思う。普通なくなっててもおかしくないしね。

錦帯橋に入る(渡る)には入場料が必要で、大人310円になります。
往復券になるため渡って橋を越えた後、こちら側に戻ってくる際に見せることでまた入橋することができるのでなくさないようにしましょう。

錦帯橋をバスセンター側から渡った先には徒歩10分もかからないくらいの所にロープウェイがあり、こちらを使用することで岩国城へ行くことができます。
そちらとのセット券も販売されていてこちらは970円。ロープウェイだけなら1140円。

岩国城にも寄る目的で来ているので当然セット券の方を購入・・・・したかったのですが、なんとちょうどこの日1月10日(火)から2月3日(金)までロープウェイの2023年度の12か月検査が始まってしまっており、終日運休
必然的にこの期間は岩国城へも入城不可の期間に入っておりました。
毎年1月から2月のこの時期に検査をしているらしい。

やっちまったぁ!と気が付いたのは勿論入場券購入時。
年に一度の検査がまさかこんなタイミングであるとは思わなかった。
ホームページのお知らせまで今度からちゃんと読まないとな。
みんなも気を付けましょう。
「せっかく遠出したのに・・・」が上乗せされるので、がっかり具合が普段の2倍。

まぁ行けないものは仕方がないので、できる範囲で満喫ししましょ。
とりあえず岩国城の写真だけでも押さえておくか・・・。

でも未練はあるよ

真ん中あたりがロープウェイで、右上に見えるのが岩国城
遠目で見た感じロープウェイからちょい歩きそう。
ロープウェイで登ってそこから少し歩いた先にある山の上のお城と言うと、岐阜城周りと少し似てる感じがするね。
書いてて思ったけど、行ったことある人にしか伝わらないよな。まぁいいか。

錦帯橋を近くから

じゃあ、入橋券を買って渡りますか。

見た目以上に急な円形

構造的に完全な弧を描いているわけではなく坂の部分は階段になっているので歩くのにそこまで大変さはありませんでした。
万が一に下りで滑ると若干怖いかなぁくらい。

こんな感じ

錦帯橋岩国城

錦帯橋岩国城セットの写真これしかないんだけど、どう考えても橋の外側から錦帯橋の全身が映るように撮ればよかったよな。
多分、「せっかくなら金を払った時じゃないと撮れない風景にするか」とか思ったんだろうけど、どっちも取ればいいじゃんね。アホがいます。

ちなみに、錦帯橋地域住民は無料で錦帯橋を利用できる通行証が配られています
これで金取ってたらやってることエグすぎる。

橋を渡り切って、橋下へ

写真にある"槍倒し松"は何かというと、江戸時代にあった大名行列などの時に諸国の大名が諸藩の要所を通る際には行列の倒すのがマナーとなっていたのですが、
力の大きい藩が小さい藩の要所を通る時にわざと槍を立てたまま歩きマウントを取ることがありました。
これに憤った岩国の武士たちが通り道に横枝の張った松を植え、必ず槍を下げて歩かなければならないようにしたそうです。
その時の松はすでに枯れてしまったのですが、この写真の松はその枯れた松の実から成長した松を植えたものになります。

真下から

じゃあ橋も渡ったことですし、先に進みますか。
橋を渡り切って少し歩くと吉香公園(きっこう)に出て、ここには噴水や庭園があります。

これじゃなくてもっとでかいやつもあるよ

公園自体に庭園っぽさを感じる

この吉香公園はほぼ正四角形状に区画されており、その直線的な道を使用して学生たちがランニングをしたりしていました。

また、岩国シロヘビの館なるものがありましたがこの日はやっていなかったようで、入れませんでした。
まぁ平日かつ岩国城へのアクセスもないってなったら人も来ないか。
岩国はシロヘビが生息する場所で、天然記念物に指定されています。
白色の理由はアオダイショウがアルビノ化したため。
アルビノメラニンが生成できなくなった突然変異体で、劣性遺伝のため通常個体との間にできた子は通常の個体となります。

一般的に自然界でアルビノは生まれにくく、また生存がとても難しい個体です。
通常、飼育下でコントロールしてアルビノの系統を維持させます。
それにも関わらずここ岩国では、飼育下でないのに高頻度でアルビノ個体が出現していました。
江戸時代、米蔵に住み着いたネズミを餌にするアオダイショウがアルビノになったのではないかと言われていて、
そのシロヘビが「神様の使い」や「幸運を呼び込むもの」として人々から大切にされたことで、数が増えたのでは?考えられています。

吉香公園近くには吉香神社があります。

鳥居前

拝殿前

拝殿

吉香神社は岩国藩主であった吉川氏の歴代先祖を祀る神社になります。

ロープウェェェェェェェイ・・・・

本当だったらここから登れたはずなのに。
最低限記念に写真だけでも。

一通りぶらぶらして30分くらい。
買い食いできるような飲食店もちらほら見えたので、しっかり散策すのも、もっと楽しめるかも。

とは言え岩国城にも行けないし、他にやることもないので、一旦バスセンターの所まで戻る。

この橋を渡れただけでも満足ですよ

さてこの後本当にどうするかってことなんだけど、現在時刻は12時20分頃。
岩国空港から帰路に就く以上、あんまり遠くまではいけない。
とは言え、飛行機の出発時刻は18時前なので、このままこのあたりにいても正直時間をいい感じにつぶせる気がしない。
適度にボリュームがあってかつ、時間的にも無理がない範囲の観光地なんてそんな都合のいい場所があるわけ・・・。

そうだ、宮島に行こう。

広島に行くなんて全然予定になかったけど、ここから列車に乗れば20分ちょっとで行けて、宮島観光して絶対時間が余るなんてことはない。
これまで何回か行ったけど、前に行ったのは2017年とかだったからいい感じに時間空いてもいるしね。

という訳で、12時58分の列車で宮島最寄りの宮島口まで出発。

よろしく

山陽本線を使って移動して、13時19分に宮島口駅に到着。

宮島へはフェリーを使っていきますが、駅からフェリー乗り場まで少し距離があります。
5分ほどの距離なので大したことはないですけどね。

フェリーターミナルに到着

すんげぇ立派な建物がお出迎え。
この建物は2020年の2月末からオープンし、中には飲食店で食事ができたりお土産を購入したりすることができます。
こんな建物ができてたなんて知らなかったから普通にびっくりした。
君こんな顔してたっけ?って感じ。

帰りに撮ったので人が少なめ

真っすぐ中に入ると目の前にフェリーに乗船するための券売所があります。
宮島へはJR西日本宮島フェリー宮島松大汽船の2路線があり、それぞれ左右に切符が買える場所があります。
どっちがいいかなと悩みむかもしれませんが、どっちでも変わりません
料金変わらないし、発着場所も変わらない。
運行時間が違うだけなので、贔屓にしている会社なんで・・・とかじゃない限りタイミングのいい方の船に乗るといいと思います。

昔はそれぞれの会社で乗り場がバラバラだったんだけど、改修で一つにまとめられたのはお客側としては利便性高まっていいよね。
下はそれぞれのホームページ

JR西日本宮島フェリーで宮島観光|大鳥居に最接近の定期船

宮島松大汽船|宮島観光を楽しむお得なチケット販売中!

 

運賃は片道200円。
俺が行った時は180円だったから値上げしたっぽいね。
乗船時間は10分くらいだったかな。
船酔いする人でも頑張れる距離かもしれない。人によるだろとかいうツッコミはなしで。泣いちゃうから。

チケット買って早速宮島へ行きましょ。
ターミナルの散策はまた後で。
今回は宮島松大汽船のフェリーに乗車。

桟橋もきれいになっちゃってまあ

対戦よろしくお願いします。

船酔いはそんなしない方だけど、絶対はないからね。
特に長旅中は後半体力なくなってよわよわモードになることもあるので、油断せずに行こう。

船の中から

とりあえず進行方向が見える席に座る。
列車とかもそうなんだけど、旅先で乗り物に乗ると前方が見える席に座りがちなんだよね。
精神がガキのまんまな証拠。

お久しぶりの宮島にて候

特に船酔いもせず、無事宮島に上陸。
宮島来るたびにここにある水族館の看板が目に入るんだけど、「行ってみたいけど、せっかくここまで来たて水族館はな・・・。」ってなって一生行かないルートに入ってる。
ひとまず大鳥居のある方まで歩いていく。

鹿もいます

宮島といえばこの動物。奈良と同じで、あちこちにいます。
しばらく鹿の写真を撮って遊んでた。

かわいいねぇ。
でも後ろから女性のスカートの中に顔を突っ込んで必要に臭いを嗅いでたやつを俺は忘れないからな。

戯れもほどほどにどんどん行きましょう

宮島の名物

海にそびえたつ厳島神社の大鳥居。
厳島神社の社殿からは160メートルほど離れた場所に立つこの鳥居は平安時代から数えて今代で9代目。
木造の鳥居でその大きさは日本最大と言われています。
潮の干潮次第ではその根元まで行くことができるのが醍醐味のひとつですね。
今回は残念ながら行くことはできなさそうですが。
まぁ一度と言わず何度か行ったことあるし、これと言って残念感はない。
初めての人とかめっちゃ遠くから来た人とかはもったいないと思うから、干潮のタイミングをちゃんと調べてから行ってほしいかな。
でも鳥居にいたずらはしないでね。

ちなみにこの大鳥居2022年の12月半ばまで、3年半に渡る大改修が行われていました。
またしても改修が明けたこと事どころか、してたことすら知らなかったので奇跡的に拝むことができたという訳ですね。
大吉で稼いだ運を消費しているねぇ!

厳島神社

奥に見えるのが厳島神社の入口。
料金が300円必要。宝物館も300円で共通券が500円って感じ。
宮島には弥山(みせん)と言う、途中までロープウェイ+30分くらい歩いて登頂ができる山があります。勿論一から歩いても行けるよ。
そっちは行った覚えがない(記憶も定かじゃない子供の頃に連れて行かれたみたいな話を聞かされたようなそうじゃないような感じ)ので、
登っても良かったかなと思ったけど、そう思ったころのは厳島神社を見終わった後。
流石に少なく見積もっても1時間以上はかかるところに行く余裕はなかったので、次回来た時にでも行こうかね。

自己主張の激しい"世界文化遺産"

懐かしさにどうしても惹かれて入っちゃうんよな。

厳島神社
言うまでもないですが、世界遺産に登録されている日本を代表する神社で、ここの大鳥居は日本三大木造鳥居として春日大社氣比神宮とともにカウントされています。
"日本三大大鳥居"で調べたら上のこと差していたり、なんか記事ごとに選ばれてる鳥居がバラバラだったのでこちらで。

創建については、593年(推古天皇元年)にこの地の豪族だった佐伯鞍職(さえきのくらもと)が、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)から社殿造営の神託を受け、創建に至り初代神主となったそうです。
この厳島神社の名称についてはこの市杵島姫命の名前が転じて付けられたとか、元々この島の名前の厳島"神に斎く(いつく = 仕える)島"から来ていて、島(山)そのものが神格化された信仰対象だった(だからこの地に作られた神社の名前も厳島神社となった)説などがあるそうです。

厳島神社も例に漏れずその歴史の中で神仏習合の影響を受けており、市杵島姫命は弁財天と混ざりあっていきます。
弁財天いろんな神様と同一視されすぎだろ。

どっちにしろ神様由来ってことには変わりない感じだけどね。
余談だけど、「推古天皇元年」とはそのまんま”推古天皇が即位した年”になるので、聖徳太子が実在し活躍したとされている年に厳島神社は誕生したということになります。
結びつきは特にないけど、こう「知っている事柄が実は同じ時期に起こっていました」っていうのはロマンというか、群像劇に近い感じを受けて俺は好きなんだよね。

さて、平安時代に入ると平清盛(と清盛をきっかけに平家一門)からの崇敬を受けるようになり、1168年には清盛によって寝殿造りの現在と同程度の広さを持つ社殿に修造されました。
厳島神社には平家が繁栄を願って奉納した「平家納経」の存在が有名ですね。
日本史を勉強していた人は聞いたことがあるんじゃないかな。

その後平家のみならず皇族などからも信仰された結果、都の文化が持ち込まれ益々繁栄していき、平家が滅亡した後もその当時の有力者たちから崇敬されました。
しかしながら1207年と1223年の2度の火災で建物のすべてを焼失しており、今存在する社殿は1240年頃以降に再建されたものになります。

戦国時代になると世の中の不安定さから徐々に衰退していきましたが、毛利元就厳島の戦いで勝利を収めこの地を支配するようになった後、元就が厳島神社を崇敬するようになると再び栄えていきました。
この時、元就も大規模な社殿修復を行っています。

明治時代に入ると、社殿が仏式と判断され神仏分離に則り社殿焼却(いつもの廃仏毀釈)の危機に陥りますが、厳島神社の棚守(今でいう宮司)の直訴によってなんとか社殿の焼却だけは免れた、という歴史が存在します。
※それ以外の仏教色が認められた部分に関しては、造り直しや撤去などが行われた。

解説終わり!
じゃあ中を見て行きまっしょ。

この通路がいいんだよ

綺麗だよねぇ

幼稚かもしれないけれど、海に浮かんでる(ように見える)っていうのがやっぱりいいよな。
なんか特別目に見えて特別な場所に来たって感じがする。
それにしても海がきれいだ。

大鳥居が写る角度から

厳島神社は左から右に抜けるような進路になっています。
境内図はこんな感じ。

厳島神社ホームページより

通ってきたのは東廻廊に当たる部分で、平舞台などがある中央に進んでいく。

通ってきたところ

中央部分

海を望みながら舞楽の奉納をするなんて、本当おとぎ話に出てくるシチュエーションだよね。
あと気持ちよさそう。

記念撮影スポット

平舞台の正面には海に桟橋のように細くせり出した「火焼先(ひたさき)」と呼ばれる場所があり、この延長線上に大鳥居があります。
そのため、ここは撮影スポットとしてはもってこいなので常に長蛇の列ができています。
時代や技術の変化で役割が変わった場所っていうのをわかりやすく実感してちょっとおもろい。

拝殿

あんまり気に留めなかったけど、中に上がれるんだね。
もしかしたら祈祷系で別途申し出るタイプなのかもしれないけど。
このまま西廻廊側に移動します。

西廻廊、それから左に見えるのが"反橋"

別名勅使橋とも言うらしい。
使用用途がわかりやすすぎる。

西廻廊の様子

西廻廊側からの反橋

能舞台

能舞台毛利元就が寄進したもの。
厳島神社には先の反橋を含め14の重要文化財が存在しますが、この能舞台もその一つになります。
この能舞台は1680年に再建されたものになります。それでも十分古いよね。

この先は出口なのでまっすぐ。
ちなみに道中おみくじが引けたのでトライしましたが、残念ながら大吉ではなかったので、連続大吉記録は途絶えてしまいました。
それでも吉が出たので、ラッキーには違いないですね。

出口を出たとこ

この後の予定、といか回る場所は全く決めていなかったので適当に散策。

厳島神社出口前にある大願寺

厳島神社に対して神仏分離の動きがあった時に、向こうで祀られていた弁財天がこちらに迎えられて祀られているみたいです。
よかったね。

ご立派な角をお持ちのようで。

中々珍しい。。。というか人にけがをさせないように切り落とされているところしか見ないから、ちょっと意外だった。
それはそうと、この角はでかい方なのだろうか。わからん。

豊国神社

通称"千畳閣"。
畳857枚分の広さがあることからこの通称がつけられたっぽいです。
ここも仏像が祀られていましたが神仏分離の際にこちらも大願寺へと迎えられました。
100円くらいだったかな。料金がかかりそうだったので、パス。
別にそこまでして入らなくてもいいかなって思ってしまった。

五重塔

豊国神社も五重塔も勿論重要文化財に含まれています。
こんな感じでふらふらと見て回りながら時間を潰しました。
ついでにお土産も買う時間にも充てました。
買ったのは勿論もみじ饅頭。それ以外に選択肢なんかないよ。
ついでに自分で食す用のもみじ饅頭も買ってしまった。

あんまり自分向けに何か買うことはしないんだけど、
最近は自分に甘くなったことが増えた気がする。

本島へ帰還の時間。

買い物を済ませてフェリー乗り場で時間を待つ。
ちょっとの時間だったけど懐かしさもあって楽しかった。またいつか。

帰る前にちょっと寄り道

少しだけ時間に余裕があるからフェリーターミナルの散策もして行こうね。
ご飯ちゃんと食べてなかったから何か昼飯にしようかと思ったけど、帰りの列車の時間まで1時間ないんだよね。
今からオーダーして食べて駅まで行く、を1時間でこなさなきゃいけないんだけど、なんかどこのお店もご飯が出てくるまで時間がかかりそうな感じ。

軽めで何かないかなぁと見回っていたところ揚げもみじを売っているお店を発見。
揚げもみじとは、(串に刺した)もみじ饅頭に衣をつけて油で揚げたお菓子のこと。
小腹を満たすにはちょうど良さそうなので、君に決めた。

揚げもみじいただきます

こんな感じ

食べた感想はあんドーナツ
サクサクの衣がアツアツのあんを包んで最高でしたー

冗談は置いといて、普通に美味かったです。
揚げもみじは初めて食べたんだけど、こういう形態もありだなぁって感じました。
揚げ物だけど2つ、3つならペロッと行けそう。
小腹満たしには本当ちょうどいいかも。

時間を調節するためにダラダラしながらチマチマ食べてから出発。
ごちそうさまでした。

帰りがけ

フェリーターミナルを出て宮島口駅に向かおうと歩きだした矢先、目の前に
広島電鉄の駅「広電宮島口駅」が。
広島は路面電車が通っており、このフェリーターミナル近くに駅があったのは知ってたけどこんなんだったっけ・・・?

と思って軽く調べると2022年7月に移転開業(といってもちょっとフェリーターミナル側に寄ったくらい)したそう。
今度はこれに乗って来ようかな。

他に寄り道はせず。余裕をもって時間ギリギリよりも一本前の列車で岩国に帰還。

いよいよ〆のお時間

そんな感じで宮島口駅まで戻り、列車で岩国駅まで戻る。
時間は16時過ぎ。
岩国駅からはバスで岩国錦帯橋空港まで行きそこから東京まで戻る予定。
とは言え、岩国錦帯橋空港までのバスが1日6本と少なく、次のバスまで4,50分くらい待つことになるので、コンビニで買い物しつつ時間が来るまで大人しくしておく。
一応時刻表みたいなやつのリンク。

iwakunibus.notion.site

この時間に自分用に買ったもみじ饅頭をもぐもぐ食べてました。
粒あんこしあんのセットと後は抹茶が好きなので、個別に抹茶味を単品で購入。

自分用に買ったもみじ饅頭の一部[抹茶]

島根・山口来たはいいけど会社用のお土産困ってたから、もみじ饅頭はありがたい限りですよ。
インパクトも強いし。とりあえず「宮島行きました」って言えば会話もできるしね。

この後は何事もなく岩国錦帯橋空港まで移動し、そのまま飛行機で東京まで戻ってきて自宅で就寝。

今回の旅は「やりたいけど、別に気が向いたときにやればいいかな」くらいの優先度で企画されていたイベントだったので、正直そこそこ楽しめればいいやーくらいに思っていたんですが、想像の何倍も楽しく充実した旅になったのでかなり満足いくものになりました。

次来るとしても当分先にはなりますが、行き残しもあることだし予定立てて来たいね。
毎回思うことだけど、自走手段あればもっと楽しいんだろうね。
一人旅だとコスパ悪すぎて選択肢から外れるんだけど。
あと長年運転してないの怖すぎる。
まぁあその時は練習してから旅に出ようかね。

そんな感じで今回の旅の話はここまで。
またね。
ちょっと早いけど、メリークリスマス。よいクリスマスを。

ちょっと気に入っているショット

鉄道日本一周-<中国地方西側編>②山口(萩と元乃隅神社)

こんにちは、しゅー太です。

もう年末近くなりましたね。思い出という思い出がない・・・。
なーんも思いつかん。
引っ越し考えて、いい物件ないから先延ばしにしてたらコロナになって、
その直後によく会いに行っていた祖母が亡くなって、気持ち的にバタバタしてたくらい。

この前会社の飲み会があったけど、仕事の話以外になった時は彼女・奥さんの話とか今いい感じの異性との話とか、あとは異性紹介してよとかそんな話が基本だったかな。
この年齢だとメジャーというか、共通の話題になるんだろうね。
それ以外の話だと全員が盛り上がりにくいっていうのもあるんだろうけど。

出会いがないっていうのもあるけど、人と恋愛関係を築けない事実が苦痛になる時がある。
素直に羨ましいって思うこと増えてるのおもろい。

あと最近色恋系に限らず他人にイライラすることも増えちゃった。よくないのが、それが多分態度に出てる。
脳の劣化で感情の制御ができなくなるっていうしそれかなぁ。
後は色々あって、単純に心の余裕がなくなってんのかもなー。

なんにせよどっかでガス抜きはしたいね。
できれば、難しいなら・・・抹茶スイーツ食べ歩き

近況報告長くなりすぎた。じゃあ、続きから。

[2日目:2023年1月9日(月)AM:6:30]
2日目は少しだけ早い起床。
朝食はバイキングなので、余裕をもってこの時間。
ホテルのバイキングってなんかたまに食べたくなるよね。
あのスクランブルエッグとか。

食べ終わって準備したら出発して、朝の7:40ごろには益田駅に到着。
7:50の列車に乗って、本日の第一目的地である山口県の萩に向かいます。
島根県とは物足りないですがここでおさらば。

朝の益田駅

萩駅までは乗り換えなしで約2時間ぐらいかかります。
9:00ごろ到着予定。
この次だと9:30出発12:15ごろ着の列車になり、観光するにはかなりのロスになるためこの時間を逃せなかった。
一応特急もあるけど、12:00前着になるので使ってもあんまり意味ないしね。
6000円くらいする。

それに萩の後、他にも行くところを用意してるので今日は絶対スケジュール順守です。

萩駅までの時間は早起きの穴埋めでちょいちょい睡眠を挟みつつ行進。
予定通り萩に着いたのでここから観光スタート。

萩駅です

9:10頃に萩に到着。
まぁ列車で訪れる場所ではないだろうからだけど、かなり静かでした。
朝一というのもあるんだろうけどね。

萩には『明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業』という名称で登録された世界遺産があり、これは日本の複数のエリアを一つの世界遺産として申請したもので、萩を含めて7つのエリア(鹿児島や福岡など)から構成されています。
今回はそのエリアの一つを見に来たという訳ですね。

そして、この世界遺産として萩エリアでは5つの資産が存在していて、
・萩反射炉
・恵美須ヶ鼻造船所跡
・大板山たたら製鉄遺跡
・萩城下町
松下村塾

があります。
本当は全部見たかったのですが、時間とか移動手段の関係で
萩城下町
松下村塾
の2つを見に行きます。ぎり萩反射炉も行けたかもだけど、バスの時間がかなり怪しいのであえなく諦めですね。

さてここからどうするかと言う話ですが、萩では萩循環まぁーるバスという周遊バスが存在します。
下が市のホームページ。

萩循環まぁーるバスのご案内 - 萩市ホームページ

路線図

初見の時、ぱっと見で全然どういう路線かわかんなかった。
大雑把に書けば東回り西回りがあり、それぞれ別のルートを通ります。
そして大事なことですが萩循環まぁーるバスは、東回り西回りは同じ道を逆方向に回るのではなく『萩の「東側」「西側」をそれぞれ別ルートで回るバス』というものになります。
つまりこの二つのバスは全く異なるルートを通るので観光場所ごとにどちらのバスに乗るかをきちんと調べて置く必要があります。

気を付けてね。

一応その東回りのバスが9:30頃に来る予定。(萩駅はどちらのバスも来ます。)
ここまで来ても正直どう回るか悩んでいました。
一番近い観光地は明倫館という昔の学校で、バスで10分くらい。
つまり今から30分後。
(9:27に西回りのバスが来て、これに乗っても同じ最寄りまで行けますが到着は9:50と少し遅くなる。)

歩きだと30分しないくらい。
この時間あるなら歩いたほうが早くね?

という訳で駅で街歩きマップ的なのを回収して、歩きで出発。

割と駅近くにある神社。結果的に余裕あったし寄っても良かったかな。

と出発して10分後、やっぱりバスでいいやと予定変更し乗車。

萩循環まぁーるバスは一日乗車券が存在し、東西どちらのバスもこれで乗れます。
料金500円。バスの中でも買えます。
ちなみにこのバスは普通の乗車賃一回100円。乗る回数で一日乗車券買うか考えた方がいいかも。
買わない方が安くつく可能性もある。
買うことあんまないと思うけど、二日乗車券も700円で販売されてます。

どのみち一日乗車券買うし、なんなら着く時間そんな変わらんし、風強いしで、疲労を少しでも抑えるため近くのバス停から乗車して最寄りである萩・明倫バスセンター・・・の手前である萩市役所まで乗車。

実際どちらも明倫学舎までの距離ほとんど変わらんかった。
道路挟んで向かいにある市役所か、明倫学舎に付属の駐車場までかの違い。
降りるのマジでどっちでもいいです。

萩市役所側から。目の前が明倫学舎。


まぁなんで降りたのかと言うと本当は明倫学舎じゃなくて、別の観光地、松陰神社までここから歩こうとしたんだよね。明倫学舎行かなくてもいいかなとか考えてた。
でもちょっと歩きだした矢先
松陰神社はバス使って後で行けばよくね?一応工程表にもそうできるようルート取りしてるじゃん」
「行かなかったらなんだかんだ後悔するぞ、お前の性格上。」
と思い直し、明倫学舎に進路変更しました。
松陰神社ここから30分くらいあるんだが、ガチで歩こうとしてたんだよこいつ。

萩市役所から東側に進み、信号を渡った先。

そのまま進んで正面。

明倫学舎は2階建てで横長の建築物が縦に並んでいてメインは(入口となっている)一番手前の本館と2号館。3と4号館はそれぞれ3号館が"萩市観光関連団体事務所"、"交流室"、"市民ギャラリー"。
4号館はコワーキングスペースや移住を考えている人向けのスペースが用意されており、地域に根差したスポットと担っております。

横から見た感じ。右から本館、一番左が4号館。

メインとなる本館と2号館ですが、2号館の方は萩に関する世界遺産を紹介する「世界遺産ビジターセンター」と幕末維新期に関する資料を展示してある「幕末ミュージアム」からなります。
本館は無料なのですが、2号館は有料になっています。
入城料2023年8月現在300円。

個人的にここはいいかなぁとなったので今回はスルー。
本館のみ回っていきます。
本館も展示室のようになっており、明倫学舎自体の紹介がメインとなっています。

明倫学舎、歴史の授業で出てくるのは"明倫館"と言う名称。
大学受験で見るかな。今はわからんけど、10年前はテキストに名前はあった。
1719年に創設。

明倫学舎は"藩校"と呼ばれる(江戸時代に生まれた今でいう小学校のような)もので、
有名な藩校って何がある?と言われたら、その中に挙げられるくらいには明倫学舎は有名な藩校になります。
藩校は元々藩士の子弟は強制入学させられ、後に藩士の子弟以外にも開放された学校も出てきました。
(なので大雑把に武士の子には藩校庶民の子には寺子屋、といった具合に区分けができますね。)

藩校では主に儒学を勉強し、武芸等も推奨されており、その後勉学として蘭学が、武芸に剣術などの武術も組み込まれて行きました。
藩校は藩の費用負担で運営されており、藩士に月謝の支払い義務がなかったり、むしろ奨学金を出して江戸などに勉強させに行かせることもあったそうです。
一方、入学試験などもあり、仮に入学試験を突破しても次々に試験があり落第すると罰則が科されるなど中々厳しい。3度落第すると自分の将来にすら関わる系の罰則が待ち受けているので中々どころかかなりハード。今とはまるで違うね。
違うと言えば、通う年齢も異なり、大体15歳程度から20歳で卒業となっていました。

多くの藩校のモデルケースにされたのは半官半民で運営されていた昌平坂学問所という機関で、ここの出身者を儒学の教育者として招いたり、藩士を留学させたりしました。
この昌平坂学問所朱子学儒学の学派の一つ)を正統としていたので藩校もそれに倣っていました。
江戸時代は儒学の諸学派が発展し朱子学以外の儒学の教育者も多くなりましたが、でも結局松平定信が老中だったころに出された寛政異学の禁(1790)朱子学以外を禁止したため、最終的には朱子学が大多数を占めることとなります。

※寛政異学の禁でなんで朱子学以外を禁止にしたのかと言うと、松平定信の前に政治を執り行っていた田沼意次の頃にまぁ汚職やら何やらが蔓延って幕府の権威が落ちていました。
朱子学は上下関係を重んじる教えになるため、こちらを利用して幕府の権威を取り戻そうとする目的で朱子学以外を禁止にしました。

ちなみに昌平坂学問所は寛政異学の禁の一環で1797年に誕生(元々林羅山という人物を祖とする家系の家塾の位置づけを改めた結果生まれたもの)しましたが、その前の名を湯島聖堂といい、これらは後の東京大学の前身になっていきます。
セットで覚えておくと大学受験でもお得。

藩校には敷地面積が最大規模だった茨城の弘道館水戸藩、最古の庶民向け学校である岡山の閑谷学校※(岡山藩※郷校という種類の方が近い。でも藩校の延長)、白虎隊などを輩出することにった福島の日新館(会津藩など言い出したらきりがないくらい有名な藩校は多いです。
そもそも普通の人にとって藩校はマイナーとか言わない。

木造校舎。画面真ん中のでっぱりは後程。

再現、というのとは少し違うかな。

この(建造物としての)明倫学舎。なんと割と最近まで小学校の校舎として使用されていました。
上の写真はその時の風景を模した教室になります。
通ってたことを大人になってから自慢と言うか話のタネにできるやつ。
そして子供の頃はなんもありがたみを感じないやつ。

この校舎自体は、明倫小学校という学校の校舎で藩校の跡地に建てられました。
1932年に建てられ2014年まで使用。
その後は、隣接する商業高校跡地に新校舎建造しそちらに小学校としては移転をしまして、今はそちらで運営されています。

謎の扉。

これが先ほど写真にもあった謎のでっぱり。
ダストシュート的な奴らしいです。
俺の記憶が正しければ。今度電話して確認してみようかな。

写真整理しながら貼ってるけど、廊下全体を写した写真撮ってなかった。
雑巾がけ大変そうだなと思うような廊下でした。伝われ。

天井裏を見学できる教室も。

国の登録有形文化財となっている建築構造を確認できる場所も用意されています。
建築素人なので詳しいことはいまいちわからないのですが。
なんかすごいんだろうなぁ。

その他当時の敷地に関するミニチュア模型が展示されていたり、

外には、鎧を着たまま泳ぎの訓練を行ったり、水中での騎馬訓練を行ったと言われている水練池があったりします。
この水練池は藩校にあるものとしては、現存する唯一のものとなっています。
ちなみに奥に見えるのが、先に話題にもした明倫小学校の新校舎。
旧校舎の名残というかオマージュ的な意匠がいいね。

同じく外にある施設

こちらは有備館と言って当時の藩士たちが剣や槍と言った練武を行った他、他国の武士との試合に使われたりした場所です。
坂本龍馬もここに来て試合をしたらしいです。高知県から大変だったろうに。

奥のパネルがちょっとホラー

明倫館の全体図も飾られている

メインで見れるものはこんな感じ。
他に明倫館の正門だった南門も見ることができます。

ざっと1時間しないくらいの観光だったけど、有料区域まで行くともう少しかかるんじゃないかな。
本当にゆったりして見ていくなら2時間くらいとっても良さそう。

満足できたので次の目的地に向けて移動開始。
この次は東光寺というお寺に向かいます。
方法はバスでの移動になるんだけど、バス停がどこにあるかいまいちわかりづらい。
しかも地図をなくすと言うおまけつき。

時間的には現在10:20前くらい。
スマホでどうにか調べるかぁとやっていると、有備館のスタッフのおじいちゃんが声をかけてくれて、めっちゃ丁寧に調べてくれたんですよね。
ありがてぇ。
しかもバスの時間も調べてくれただけじゃなくて、手元にあった地図までプレゼントしてくれるという至れり尽くせりな対応。

本当にありがとうございました、有備館スタッフのおじいちゃん。

萩バスセンターと言うバス停が最寄りらしいのでそこまで徒歩移動。
10分後にくるらしいので少し早歩き。
バスには余裕で間に合ったのでそのまま乗車できました。

東光寺までは30分ほどかかるので、しばしゆったり。

途中バスの車中から

立ち寄り候補だった反射炉
時間の関係で省いたけど、次回は必ず寄るよ。
来ることがあればね。

東光寺入口

11:00過ぎに目的地の東光寺に到着。
荘厳な門がお出迎え。

東光寺は1691年に萩藩主3代目毛利吉就(もうりよしなり)によって建てられた黄檗宗の寺院です。
入場料として300円が必要です。

まぁ、ここに来た目的は建物それ自体ではなくあるものを見るためなので、とりあえず先に行きます。説明はその時にでも。

三門

三門入口から本堂を覗く

大雄宝殿(本堂)

右手に進路があるので道に沿ってそちらへ。

魚板

魚板は木魚のもとになったもの。
時刻などを知らせるために使われ、魚の形をしているのは魚は昼夜問わず目を開けていること(昔はそのせいで魚は寝ないと思われていたそう)から「寝る間も惜しんで修行しろ」と言う意味合いがあるそう。
また口に丸い玉を咥えているが、これは煩悩を表し、魚を叩くことで煩悩を吐き出すということらしい。

っていうかこの説明前どっかでやったな。。。
調べたら富山の瑞龍寺を訪れた時の記事で簡単に触れてたわ。
こっちは臨済宗じゃなくて曹洞宗なんだけどね。
まぁ別に魚板は臨済宗だけのものと言う訳でもないから、不思議でも何でもないか。
良かったらこっちも流し見でいいから暇つぶしで見てね。

resyuta.hatenablog.jpこの魚板は江戸時代初期に中国から来日した隠元隆琦(いんげんりゅうき)という僧によって伝えられました。この隠元という方は先ほど出てきた黄檗宗の開祖になります。
黄檗宗臨済宗の系譜と言うか、隠元自身は臨済宗を名乗っていたらしいです。
その後、明治時代に臨済宗から独立する形で正式に黄檗宗と言う禅宗が誕生したそう。

まぁ細かい話は置いといて、この魚板がこの東光寺にあるのは黄檗宗の寺院だからなんですねぇということです。

さて見たかったものの話しに戻って。
先にメインのものを貼りますか。

なんせ写真が下手くその極みなのでね。

広角レンズをもっていかなかったことを後悔。
東光寺で調べたらまずこの風景がよりきれいにエモく撮られているので、そっち見てくれ。

そんな訳で、分かりにくいですが石灯篭の群生です。
一応生で見た感想は普通に「おぉ・・・。」となりました。
いい意味の方ね。

石灯篭の数はこの敷地内になんと500余りあるらしい。
この場所は、本堂の裏手にあるいわゆる墓所
建立に関わった毛利吉就はもちろん、他の代の藩主やその関係者その他大勢が眠っています。
この石灯篭は藩士が寄進したもの。
毎年8月15日に行われる「萩・万灯会」ではこの灯篭に送り火として、火が灯されるそう。
難しいけど、一度は見てみたいね。

わざわざ寄進されるほどだからきちんと忠義と言うか愛される人だったのかも。
など考えながら、騒がずに静かに見て回る。
この場所の話だけでなく、お墓だけど、そういう場所が観光スポットになるっていうのもなんだか不思議な感じがする。
長崎とか神戸の外国人墓地と似た感じ。
そのうち今ある普通の人たちのお墓も、もし敷地とかのデザインが普通の人に特別ウケるようになったら観光地化するのだろうか。

あんまり長居すべきではないと思っているので、早々に退散。
お邪魔しました。

ここの滞在時間は20分くらい。
じっくりと見ても30分くらいの場所だと思う。

この後は徒歩で移動になります。
目的地は松陰神社で、大体15分くらい歩く予定。
もちろんまぁーるバスでも行ける。
乗車時間は10分かからないからこっちの方がより楽ではある。
けど、今回はバスの時間が合わないのもあったので、歩きを選択。

中通り道にあった『玉木文之進旧宅』

玉木文之進とは吉田松陰の叔父にあたる人物で、松下村塾創始者になります。
元々松下村塾玉木文之進が私塾として自宅に子供たちを集めたのが始まりで、吉田松陰も子供の頃はここで勉強をしてたんですって奥さん。
旧宅は軽く中を見ることができます。
常駐しているかわかりませんが、中に案内?の人が滞在しているのでお話を聞くことができます。
ここ寄る予定なかったけど、中からラジオが聞こえてきたからつい覗いちゃったら中年の女性がくつろいでたからビビったよね。
気まずいのでちょっとだけ見ていくことにしました。

さて上記の旧宅に寄り道したので、想定よりちょっとかかり20分くらい歩いて松陰神社に到着。

松陰神社でございます。

吉田松陰はペリーが日米和親条約のために来航した際に、黒船の一隻に乗船して渡米しようとしましたが、あえなく失敗。
その後、幕府に捕まりましたがなんとか死罪は免れ、萩の自宅にて幽閉の処分となりました。
その折に松下村塾の名を引き継ぎ、松陰主宰の松下村塾が始まりました。
この松下村塾は一年ほどの期間しか実施されませんでしたが、この短い間に伊藤博文高杉晋作など幕末から明治維新頃に活躍する様々な人物が通いました。

そしてその生涯は幕は、江戸時代末期に起こった安政の大獄を引き金として江戸に送還された後に死罪となったことで閉じます。

安政の大獄とは、幕府の政治を行っていた大老(将軍の補佐)と言う役職の井伊直弼が行った"幕府を批判する輩を弾圧する"というものです。
当時勅許を待たずアメリカと日米修好通商条約を結んだことで、尊王攘夷派などから批判が高まっていたのところをさらに上から「うるせぇ死ねぇ!」と言わんばかりに外圧を加えた出来事ですが、結果として井伊直弼へのヘイトが極限まで達し、1860年桜田門外の変にて水戸の浪士らに殺されてしまいました。
ちなみに桜田門ってのは江戸城の門の一つです。なので東京駅行けば割と手軽に立ち寄ることができるね。

吉田松陰の死の31年後、1890年に松下村塾出身者によって、松下村塾の改修と吉田松陰を祀る土蔵造り祠が建てられました。これが松陰神社の始まりです。
1907年にこの祠を神社にしようと伊藤博文らが山口県に請願書を提出し、当時廃社となっていた萩城の鎮守・宮崎八幡宮の拝殿を祠のある場所に移築し整備が行われました。
今の社殿は1955年に建て直されたものになります。

神社の境内はちょっとした庭園みたいになっています。

神社の鳥居をくぐって、整地された参道に沿って進んでいくと左手に見えてくる建物があります。
これが吉田松陰松下村塾開いていた建物になります。
こちらは当時の建物がそのまま現存しています。

裏手から

現物が見られるのは知らなかったので驚き嬉しいって感じでした。

吉田松陰幽囚ノ旧宅

そのまま参道を進んでいき、同じく左手に見えてくるのが吉田松陰が晩年幽閉された自宅で、ユネスコ世界文化遺産に登録されています。

松陰神社本殿前

吉田松陰幽囚ノ旧宅の近くに松陰神社の本殿があります。
松陰神社の祭神は勿論吉田松陰
学問の神様として祀られています。そりゃぴったりだ。

正面から

ちなみに東京にも同名称の「松陰神社」があります。
こちらは東京にあった吉田松陰の墓を高杉晋作門徒が神社へと改修しました。
グーグル検索で世界を見ると東京の松陰神社が先にヒットする悲しさを背負っているのが萩の松陰神社

隣にもう一つ神社

こっちの神社は松門神社と言って、「松陰の門徒を祀った神社」です。
そのままだね。
この社は1955年に行った松陰神社の立て直しの際にそれまでの社殿を移築したものになります。
ここに祀られているのは上にも書いた通り門徒になるので、高杉晋作伊藤博文など50人弱があたります。
みんなちゃんと"~~~命"って名前だから、しっかり神様になってるんだよね。

吉田松陰幽囚ノ旧宅の裏手

松門神社からこの松陰自宅裏を通って入口まで戻る道は"学びの道"という名前が付けられていて、吉田松陰の残した言葉を25基の句碑として道沿いに立てれています。
写真はいつもの撮り忘れ。
境内はざっとこんな感じ。

境内マップ(萩の松陰神社ホームページより)


他にも宝物殿、歴史館などあるので全部見るなら滞在時間は最低1時間は見た方がよさげ。
今回はこれらをスルーしたので、15分くらいだったかな。
おみくじも引いたのでミッションコンプリート。

このままバスで次の場所へと移動します。
次は萩城下町萩城跡。連続して世界遺産ですね。
ひとまず萩市役所まで戻るので、11:58のバスに乗車して12:05に到着。
ここからバスで移動もできるけど、歩き5分くらいと近いのでそのまま徒歩で。

萩城城下町は江戸時代街並みの面影を残す場所となっていて、
当時は中級武士や医者が暮らす場所となっていました。(勿論それ以外にも商人なども住んでいました。)
街は碁盤目状に区画されていて、現在は史跡等の他カフェ・雑貨店なども混在する場所となっています。
散策して楽しむのならちょうどいいかもね。

という訳で俺も立ち寄ることにするぜ。
お邪魔したのは萩ノ早蕨(はぎのさわらび)というお店。

haginosawarabi.comわらび餅の専門店で本わらびと萩の天然水を使用したわらび餅を売りにしています。
店前に座れるところがあるので、わらび餅を購入して食べることもできますが、今回は時間の都合で持ち歩きができるのでわらび餅はパス。
せっかくなので、わらび餅ドリンクにしました。
せっかく、というのはこういうドリンクって頼んだことないし、寧ろ普段は進んで頼まないんだよね。タピオカとか。
流行ってるって言われているやつに別に心惹かれないんだよねー。

逆張りとか言うな。

でも、こういう機会があるんなら食わず嫌いしてないで頼むのはありだなぁと思ったので立ち寄りました。
いくつか味に種類があったけど、俺は無論一択"抹茶"味。
飲んでみた感想は「普通に美味いな」。
やっぱり一度こういう飲み物も試す価値あるかもな。

美味でした

さて、俺はこいつと(萩城下町へ)旅に出る訳ですが、
ルートとしてはざっくり城下町を歩いてそのまま萩城まで。
ただ、萩城跡のバス停から乗車して萩駅まで戻る予定ですが、バスの時間が13:23。
現在時刻12:30前なので1時間ない状態。
じっくり練り歩いてたら1時間なんて余裕で消化してしまうので、さっくり行きます。

円政寺

看板に書いてある通り、伊藤博文らが幼年の頃に勉学に励んだ場所になります。
でかい天狗のお面で有名。入場料200円。
さっくり進行なのでするー。

碁盤上の区画のため道は直線

こういうの城下町っぽいよね

高杉晋作誕生の地も見れます。見てどうするかは知らん。

何故か由布院の通り出てるお店に似ているなと感じた

こういう感じの道がめっちゃ好き

萩の名産は夏みかん

この時期萩を歩いていると、所々で夏みかんがちらっと顔を覗かせてきます。
夏みかん萩の名産品で、5月上旬から中旬にかけて白い花を見せてくれます。
この時はまだ花まではついてなかったかな。

歩いてるとき出会うとこんな感じ。ひょこっとね。

萩城に近づくと大きめの史跡が出てきた印象

途中お手洗いに寄ったりして思ったより時間をかけてしまったが、なんとか萩城跡に到着。でもバスまで10分も時間がなかったのでほんとギリギリだった。

萩城跡入口

萩城跡指月公園。
余裕があればゆったり中も歩きたかったんだけど、先に書いた通りもう時間がないので外から見ておしまい。
毎回綺麗に積まれてる石垣見て感動する。

バス停まで急げ急げ

この後、なんとかバスにも間に合い一安心。
30分くらいかけて萩駅まで戻る。
列車は14:29発なので30分待つので、近くの観光案内所とかで時間を潰す。
萩駅内にはちょっとした歴史資料館があるので、見るものはなんだかんだあって助かった。

駅前の夏みかん

ここから長門市駅での乗り換えを経由して長門古市駅に出ます。
何があるのかというと、元乃隅神社という神社があります。

www.motonosumi.com

名前はピンと来なくても、メディアで画像とかを見たことがある人は多いかも。
中々遠いし、さらにアクセスも悪いので今回の旅の中でマスト寄りたい場所にランクインしていた観光地。
着くのは夕方になるので、快晴青空をバックに写真とかは難しいだろうけど仕方ないね。
ここにはバス(観光バスは除く)なんかは通っていないので、アクセスにはタクシーを使う。
なので、萩駅でタクシーの予約だけは忘れずにしておく。
地方なんてタクシー多くないから、使うなら必ず電話しておこうね。

ありがとうさよなら萩。6時間にしては十分すぎるほど楽しかったよ

萩駅から長門古市駅までは1時間。
ちなみに現在長門市駅から小串駅間は2023年6月にあった大雨の影響で運転見合わせとなっており復旧の見込みも立っていません。
この区間代行バスが走っているので移動はできますが、時間は通常時よりかかる状態です。

長門古市駅。時間は帰りに撮った写真なので夕方。

着いたら駅前にタクシーが待っていたので、名前を告げて乗車。
目的地である元乃隅神社までタクシーを走らせてもらう。
帰りも利用できる認識だけどあってるよね、と運転手と確認。
一応認識合わせしないと怖いよねこういうの。。。

長門古市駅から元乃隅神社までは車で30分くらい。
お話し好きな運転手の方だったので、道中は楽しくおしゃべりをしながら向かう。
コロナが始まって外国人観光客が減って困ってたけど、最近ようやく戻り始めてきていい感じみたい。
コミュニケーション昔なら大変だったところスマホのアプリで翻訳ができるから、ツールも発展してどんどん便利になったよねー、とか。
なんだかんだ旅好きな身としても実感のある話だったな。
外国人観光客が増え始めてきたから、完全に戻る前にここに来れてよかったわ。

おしゃべりしてたらあっという間に到着。
駐車場に止めてもらった際に列車の時間とかから何時までに戻ってきてねーと修学旅行みたいなやり取りをして観光開始。

自分の一つ前にタクシーに乗車していたお客さんがいて、
ちょうどこのあたりで雨が降っていたみたい。
その時、運ちゃんがそのお客さんに「次予約している人(俺だね)がいるんですよ」と話したそうで、「あら、かわいそうに」なんて話していたらしいですが

ようやく来れたよ

自分が長門古市駅に着く頃には雨の名残だけ。
きっかり観光向きの天気になっていました。

元乃隅神社
旧称は元乃隅稲成神社(もとのすみいなりじんじゃ)。
外国人観光客が増えて名前が長くて覚えにくいとのことで2019年に今の名称に改名。

1955年に地元の網元(漁船等を所有する漁業経営者)であった岡村斉という人物の枕元に白狐が現れ「吾をこの地に鎮祭せよ」とお告げがあったことから創建。

海に連なるように続く朱色の鳥居が目を引く神社。

なんでここが有名になったかと言うと、アメリカのニュース専門放送局であるCNNが2015年に発表した「Japan's 31 most beautiful places」(日本の最も美しい場所31選)の一つとして選ばれたことをきっかけに多くの外国人に知られ、たくさんの外国人観光客が訪れるようになりました。

そこからさらに日本人にも伝播していったといった感じですね。

とは言えここはずっと整備されていたわけではなく、長い間鳥居は寂れ神社は廃れた状態だったらしく、割と最近になってから修繕したそう。
そうしたらCNNに見つけてもらって爆発したんだから、修繕した成果は大成功だよね。

もう少し高いところから

鳥居を潜り抜けた先の岬に人が集まっていますが、ここでは「龍宮の潮吹(りゅうぐうのしおふき)」という海蝕洞に荒波が打ち付ける度に海水が中の空気と一緒に吹き上がる現象が見られるため、それを近くで一目見ようという算段の人たちですね。

単純に岬の先まで行きたいだけの人もいると思いますが。
じゃあ、俺も潜るか。

思っていたより急な階段かもしれない

鳥居の隙間から海

いつまで経っても前の女の人が進まないので、諦めて写真を撮って前進

鳥居を抜けて、一枚

岬の先側から

言うまでもなく海傍なので風が強いです。
ちなみに岬の先には海だけなので、そっち側の写真はないです。
後、風車が立てられている場所があったので水子供養もやってるのかも。

この神社、有名になりはしましたが、宗教法人に所属していません。
つまるところ岡村家の個人所有の神社になります。
神社本庁によると神社は基本的に改名はしないそうですが、ここはそもそも個人の持ち物。そんなルールは適応されないという訳ですね。

不動産とかの税金エグそう。
でもそれだけ収益もあるんだろうな。
観光バス停める駐車場とか付属してたし、そのあたりでも賄ってるんだろうね。

じゃあまた上まで戻って、今度はこの写真で見える画面右手の赤い屋根の建物の所まで。

祠でした

かわい・・・かわいい?

じゃあ、ここの名物の所に行きますか。

元乃隅神社の特徴といえば先の海に連なる朱色の鳥居の他にもう一つ、それがこの鳥居。
何が有名かというと、鳥居の上部のをよく見てほしいのですが、
何かついていませんか?

ハートのデコレーションがされた木箱、そう、ここの神社のお賽銭はなんと鳥居の上部に取り付けられているのです。
文字通り、ここでは”投げ銭”という訳です。
高さは6メートル。ここに入れられることができれば願いが叶うと言われています。

入らなくても安心してください。鳥居の右側に代わりに入れられるように敗北者向けのお賽銭箱があるので、そちらへどうぞ。

俺は勿論上側を狙うけどな。

とりあえず挑戦用の10円玉を財布から取り出して準備完了。
賽銭箱を狙って投擲・・・するがこれが見た目以上に難しい。
弧を描くようにストンと賽銭箱に入るのをイメージしていたが無理。
ボールを高く投げるように放っても弾かれたりする。
元々何かを投げるの得意じゃないから余計に上手くいかん。

途中から切り替えて下手で上に打ち上げたりもしたけど、こっちもだめ。
バスケの要領で賽銭箱上の壁(?)に当てて反射で入れようとしても強すぎて賽銭箱にかすりもせず跳ね返ってくる。

まぁそもそも「今の惜しかったなぁ」というのがあまりにも少なかった。
本当に下手くそやった。

なんてやっている間に10円玉は何度も地面に落ちた影響で傷だらけボロボロボローニャ

折れないハートを持って負けじと投げると、今度は勢い余って高く上がりすぎて鳥居の真上に着地。こっちの方がレアだろ。

でもここまで頑張ったのだから何とか入れたい。
家族連れに混じり一人黙々と投げ、あとから来たカップルに先を越され、
投げても中々届かないまだ小学校低学年くらいの子供と張り合ってきた時間が無駄になってしまう。

休憩を挟んだ後、次の10円玉を用意して再トライすること10分。
奇跡的に入れることに成功。やったー。。。。
結局パワー調整した下手投げでなんとかって感じ、だった。

下手だけに。

かかった時間はなんだかんだ30分くらいかけてしまったけど、メインイベントと言っても過言ではないので問題なし。
敷地広くないから周るのに時間かからなくてよかった。

神社の名前の配置が雑すぎる

先の投げ銭鳥居を抜けて左側に行くと写真の鳥居と祠がある。
あの狐、今見てもふてぶてしいな。

この左手側には、

社務所的な

小さな小屋があります。
こちらではおみくじやお守り、御朱印を頂戴することができます。
入った時、管理しているような人は見当たらなかったので、基本無人なのかも知れません。
その代わりにおみくじやお守りの初穂料を収めるための箱が用意されています。

こちらです

さて、もちろんおみくじはあるなら引きます。
こちらのおみくじはなんと50円。
初めて見たかも。

とりあえず目的も達したので、社務所を出る。
おみくじの結果はまた後で。
次は、投げ銭鳥居を抜けた右側へ。

こっちにも鳥居

少し上ったところにある鳥居と祠。
こっちは顔パネルがある。
頑なに腕を組んでるのはなんでだ。
左手の高台?に登ってみる。

遠くに風力発電も見える

いい感じに日が落ち始めてる景色が見えた。
もう少しだけ時間が経てばもっと映える景色になったかも。

さて、そろそろ時間なのでタクシーに戻りましょ。

最後にもう一度、もう一枚。

こっちの方が夕日の光が差して綺麗だね。いいもの見れた。

タクシーに乗ったらまた運転手とおしゃべりしながら駅まで移動。
この近くの道は狭くてよく混雑していたらしいけど、工事で混雑がようやく解消されるから少し楽になるらしい。
混雑ってだけでストレスの元だしね。

このあたりだと他の観光場所として、灯台があるとのこと。
元乃隅神社とその灯台をセットで寄ることが多いみたい。
それから棚田も有名らしいので、水が張られているタイミングだとそこにも見に行く人がいるとのこと。
棚田の景色は綺麗だけど、勝手に水を張る輩が出てくるからよく問題になるよね。
やめようね。

駅まで戻ってきたらタクシー代の清算
長門古市駅から元乃隅神社の往復に掛かった額はいくらかというと、、、

なんと5000円でした!
あのおみくじ引くために100倍の交通費払ったことになるのウケるな。

タクシーの運ちゃん、ありがとうね。
楽しい時間になりました。

時刻は16:35で、列車の時間は16:47なので10分後ともうすぐ。

たそがれて、待つ

なんかいいよなあ、って思ってしまう景色。
いつも見るってわけじゃないから何か感じ入るものがあるんだろうな。

さて、列車に乗ったら日本海に沿う形で、小串駅での乗り換えを挟んで下関駅までレッツゴー。
乗車時間は合計2時間くらいだからまぁそんな長くはない。

さて、ここでおみくじ結果発表。
というかここまでの旅で引いてきたおみくじをまとめて。

こんな結果でした

出雲大社のおみくじにはよく見る「大吉」「凶」とかの吉凶はなく、神様からの言葉としての運勢だけが書いてあります。
でもこのおみくじ総じていいことしか書いてないから、これ大吉と同義じゃね?
同義だよね、俺はそう思うことにした。決定。

松陰神社と元乃隅神社の方はというと、これらは正真正銘どちらも大吉でした。
正月の初詣で神田明神に行った際に引いたおみくじも大吉だったので、3連続大吉ということに。
2023年幸先いいねぇ。
まぁ、この記事書いてる今現在、今年そんな盛り上がるような出来事なかったけどな。

大吉だったのはいいとして、この写真、なーんかおかしくねぇか・・・?
具体的には松陰神社と元乃隅神社のおみくじ。
んー???

比べてみると・・・

これレイアウト微妙に変えてるだけで、運勢の中身全く一緒じゃね?
こんなの初めてだわ。そんなことってあるんだな。
神社に仕入れてもらえるってことは、神社の数だけ取引先があるってことだから・・・。

余計な脱線はそこまでにして、驚きだったねということで。

途中の駅、"特牛"と書いて"こっとい"と読むらしい。読めるかそんなもん!

17:50頃小串駅に到着し、乗り換えて下関駅

18:35頃下関駅に到着!

この下関到着をもって、事実上この鉄道分割日本一周の一筆書きが達成され、日本一周完了となりました!めでたいね!
後はより海傍の路線があればそこを通るとかで、より日本の縁沿いを埋めるくらいだね。

この後は今日の宿をどこにするかを決める。この辺でとってもいいけど明日やりたいこと次第では移動してもいいしね。

目立つ建物が駅前にあると思えば、結婚式場でした

なんかラブホみてぇだなって思いました。

とりあえず外でも証明写真

近くのスタバで明日の予定を考える。
とりあえずゴールの岩国までの到着は確定事項だけど、そこまで何をするかとかは決めてない。
このあたりの観光地を回るでもいいけど、あんま心惹かれないんだよな。
ならもういっそのこと進んで岩国を満喫するか。

ということで、新山口駅近くにホテルを取ったので移動移動。
ここからなら大体1時間くらい。

よろしくね

19:35に下関駅を出発して、新山口駅には20:45に到着。
落ち着くにもいい時間だ。

2度目の新山口

新山口駅にロールアウト前の改札が

やっと自動改札機が導入されるんだね。新山口駅もおめでとう。
全国回ってると意外とないところまだあるんだよね。

この後はコンビニで簡単な夕飯を調達してチェックイン。
寝る準備しておやすみなさい。
明日の岩国観光に備えます。

この記事も今回はここで〆。

なんとか次回分は今年中に書き上げたい。
自分への文句があるとすれば、

好き放題書くからこの記事15000字ものボリュームになるんだよ!!

 

終わり。

鉄道日本一周-<中国地方西側編>①島根

こんにちは、しゅー太です。
5月で28歳になりました。
もう30歳目の前だけど、実感というか「俺が30歳・・・?」みたいな自分の想像してた相応しさが付いてきてないので困惑しかない。
同い年の知り合いとか友人とか結婚したり子供つくったりしてるから余計にね。
仕方ないけど。

さて今回変なタイトルだけど、センスいいものが思いつかなかったわ。

なんでこんなことになったかと言うと、
この日本一周の初めの旅が名古屋から京都、岡山と移って島根鳥取経由でぐるっと回って京都に帰ってくるみたいなルートで観光したんですよ。(2016年に。)

で、この時、中国地方の東側ともいうべき個所を巡って山口方面を残してしまったので、今回はそこを埋めようという趣旨の旅になりました。
でも山口だけを観光したわけではないのでタイトルがこうなんというか微妙な感じに。

許してくれ。許された。

今回の旅は2023年の1月8日(日)~1月10日の(火)の3日間での旅となります。
1月10日は平日だったから仕事休んだ。

ちょうどANAのスーパーバリューセールで日本国内どこでも片道7000円弱で行けたので、これを使わない手はないということで近くまで飛行機で向かうことに。
ただ予約争奪戦に乗り遅れたので、片方はもう平日でしか取れなかったので泣く泣く火曜を休みにした。と言う訳。

"鉄道日本一周"なのに飛行機はありなのか?って話ですが、
ここまでの旅のおかげで合法合法。
日本一周の達成条件が『一筆書き』。
今回島根県の松江スタートで九州方面に山口県の上(日本海)側を経由して、ぐるっと下関で折り返し。
そのまま今度は下(太平洋)側を通って岩国(広島手前くらい)まで出るのですが、
一度松江も岩国も鉄道で通ったことあるので、もう攻略済み。
つまり2回目なんで省略しようという話。
そもそもそんなこと誰も気にしてねぇんだよな。


[1日目:2023年1月8(日)AM:8:30]
飛行機で島根に向かうために羽田へ。
もう少し早めの飛行機もあったけど、始発だと余裕がないためこの時間。
前日仕事でどれだけ遅くなるかわからん上、遅くなった時翌日起きられるかマジで怪しい。
実際寝られたのが当日の午前2時だったから余裕持っててよかったよ本当。
朝飯は空港の売店で売ってた空弁。飛行機に乗る前の待ち時間で食べた。
空弁って言っても崎陽軒のシュウマイ弁当なんだけど、間違えて買ったという
ピラフって書いてある札の真下にあったのにね。いいねぇと思って買ったらピラフじゃなかった。流石にピラフって思うでしょ!
いちいち裏の説明なんか見ないよ・・・。
おいしかったけど。

ここから島根まで1時間半くらいの空の旅。
機内では特にすることもないのでおねんねの続き。
飛行機、早くて快適で便利なんだけど、いかんせん新横浜に比べて羽田まで時間がかかるし、搭乗手続きもあるから1時間くらい前には空港に着いておきたいよね。
家で荷詰めの時に飛行機に持ち込んで平気なものか確認しておくものがあるのも怠い。
まぁ最後のは慣れてないのが悪いんだけど。

事情と言うか総合的な楽さを考えると個人的にはまだ新幹線に分があるかなぁ。
今回みたいに辺鄙遠いところに行くなら「飛行機じゃないと・・・」とはなるよね。
飛行機だからこその旅先チョイスという訳でもあったんですが。

10時45分に島根の米子空港に到着。
正式名称は『米子鬼太郎空港』。
なんで鬼太郎の名称が入るのかと言うと、『ゲゲゲの鬼太郎』作者である水木しげるさんの地元がこの米子空港のある境港市になるからなんですね。

米子空港ターミナル前。バスも水木しげる仕様。後で触れます。

ちなみにこの旅では寄りませんが、米子空港より奥(日本海側)に進んでいくと水木しげるロードと言う場所があります。
車で回ることがあれば寄りたいね。

行先ですが、まずここ米子空港からいったん松江市まで出ます。
目的地は松江城
松江城には松江駅からバスで向かえるので、そこまで移動します。

前回島根に来たときは時間の都合で寄らなかったので、次島根に行くことがあれば絶対に寄ろうと考えていた場所。
絶好の機会なので寄らない選択肢はないです。
次いつここに来るかマジでわからんし。

松江駅への移動には高速バスを使用します。片道1000円。
バスは先ほどのゲゲゲの鬼太郎のラッピングがされたバスでした。
乗り場は4番乗り場から。

このバスに乗りました。賑やかでいいね。

もう一種類ある。最初間違えてこっちに乗ろうとしちゃったのは内緒。

飛行機を降りてからバス停に向かう道中にバスの乗車券を購入する場所があるので、そちらでチケットを購入してからバスに乗車しましょう。
乗る前に一応確認されたので、買い忘れた、とかにはならないはず。
それに確証はないけどこういうバスは最悪直接現金支払いができたはず・・・。
まぁ買っておくのがトラブルもないのでよいでしょう。

ここね。

乗車時間は大体1時間。
空港からは列車での移動もできますが、バスの方が若干早い。
あと安いのと、飛行機を降りてからバスが出発するまでの待ち時間が少ないので、特別な都合がない限りはバスでいいと思います。

乗車券も買ったし準備OK

ちなみに松江駅行のこのバスに乗車したのは自分を含めて2人でした。
普通レンタカー使うもんね。レンタカーの受付周りにはそこそこ人はいたし。

松江駅前に到着。

11時ごろに出発して10時50分ごろに松江駅に到着。
どうやら少し前まで雨が降っていたらしい。まぁ米子空港でも天気悪かったしね。
幸いなことにもう雨は降ってないので、影響はなさそう。

駅前から松江城までのバスが出るのは25分後くらいだからしばし待つ。歩くよりはまだ早い。
とか思いながら待っていたが、時刻表の時間が過ぎて時間が経てども経てども全然来ない
なんかあったのかもしれないが、
遅れてるならせめてアナウンスくれ
他の手段なり方針変えるなりできたんだよ。

大体11時に着いたのにバスが駅前に来たのは12時前。
時間決めて動いてるから1時間のロスはかなりきつい。
開幕バッファの使いつぶしもそうなんだけど、ゆっくり観光する時間もそれだけ減るってことだからね。

気を取り直して、降車するバス停は『国宝松江城・県庁前』。
静岡県庁もそうだけど、昔中心になった城の近くに県庁は多いです。
福井県はまんまお堀の中だけど。
明治初期の廃城令とか廃藩置県とかで体制が変わったとはいえ、既に発展してる場所をそのまま使うのは合理的と言うか当たり前だしな。

県庁前に到着。ここからは少しだけ歩き。

お城周りのお堀と。綺麗だよねー。

松江城は1611年に築城され、今日の日本で希少な現存する天守を持つお城になります。
現存する天守閣を持つお城は日本全国で12城しか存在せず、有名なものであの姫路城が該当したりします。
大体のお城の天守閣は復元だったりする。

松江城の特徴はその屋根です。
お城の屋根には装飾目的でつけられる破風(はふ)というのがあります。
松江城には入母屋破風(いりもやはふ)と呼ばれる破風がありますが、昔は別の破風がつけられていた痕跡が見つかっています。
元々は千鳥が羽を広げたように見える『千鳥破風(ちどりはふ)』がつけられていたらしく、建築から100年ほど経った時に大改修が行われその時に現在の破風に置き換わったものと考えられています。
この破風が東西南北の四方に付けられていることから”千鳥城”という別名が付けられたんですね(と僕は考えています。)
なんかいろんな記事漁っても「入母屋破風が千鳥に見える」とかバラバラなこと言ってたり、明確なソースが載っているサイトとかなかったんだもん。
ちなみに千鳥城の由来には諸説あって、近くに千鳥が生息しているから、とかもあります。

という訳で入っていきましょう。

天守の場所までは少し階段を登った先にあり、そんなにきつくない階段を少し登ることにはなります。

松江神社

階段を上がった先、すぐ近くに松江神社があります。
松江神社は松平直政という出雲松江藩の4代目藩主を祭神とした神社で、松江城天守閣が1611年に完成したことを証明する祈祷札が見つかった場所で、この祈祷札のおかげで松江城が国宝指定されるに至りました
そういう意味でとても重要な場所になっています。

レトロな建物もあるよ

その奥には『興雲閣(こううんかく)』と呼ばれる建物があります。
こちらは島根県の指定有形文化財に登録されており、明治天皇の行在所に使用する目的で造られた内装は豪華な仕上げとなっています。
中にはカフェが併設されているので、小休憩にはちょうど良いですね。

階段を登って左手にこれらがあり、松江城は右手側にあるのでサクッとこれらを見た後そちらに向かいました。

では待ちに待った入城タイムです。

入城料は680円。まぁまぁまぁ。
そして画面左手をご覧ください。
こちらにいらっしゃいますのは黒の装束に身を包んだ忍者お一人様にてございます。
・・・忍者なんで?

実はちゃんと理由があるんですよねこれが。
この松江城を築いたのは堀尾吉晴という人物なのですが、彼が静岡の浜松にいた頃、1581年に織田信長が起こし伊賀衆に壊滅的な被害を及ぼした"天正伊賀の乱"の際に伊賀から逃れた忍者たちを召し抱え、その後松江に連れ帰ってきていました。
彼らの松江での職務は城下町の治安維持で、後に天下分け目の大戦である関ケ原の戦い大坂夏の陣などに参戦している者もいます。
このように実は松江も忍者と関りのある場所でもあると言えるんですね。

イベントのためにしっかりした建前で忍者を持ち出せるお城でよかったね。

じゃあ中を見学した時の写真垂れ流し。僕のお家芸

天守に付いていた木造の鯱

今、現存天守に付いている鯱は昭和の修理時に作り直されたもの。
こうして古い方は展示品として城内に配置されている。

お城の備蓄場所。

実際には結構暗い。
カメラのフラッシュ焚いたり、ISO感度上げて頑張って撮ってた。

階段はいつも通り傾斜が強い。

例に漏れず松江城も登るのは苦労するかも。
元々こういう階段はお城に侵入された時、敵を迎撃しやすくするための作りになっているので、快適じゃいけないんですよね。
だからまぁ仕方ない。
引き戸が付いている場所もあるよ。

てっぺんだよ。

広くはないので割と早々に頂上に到着。
四方の景色を眺め終えて今度は下る。
全体で大体30分くらいかな。
満足度はまぁまぁ。どうしても入城料との釣り合いを考えてしまうのは悪い癖。

次の目的地に向かうバスまではまだ30分ちょっとあるのでお城の周りも散策することに。

松江護国神社

徒歩5分、お城の裏手にある松江護国神社
昭和14年に創建され、明治維新後に国のために殉死された松江・隠岐地方の戦没者の方々を祀る神社で、延べ2万2千人ほどが祀られています。

少しもの寂しい空気がある。

正面から

幟にも書いてありますが、絵馬等にも"大勝利"と言う文字が書かれています。
そのため、スポーツや学業(受験)などで祈願に訪れる方も多いようです。
実際に絵馬の内容がそんな感じだった。
多分、戦争関連の名残なんだろうなぁと境内をぶらぶらしながら思っていた。
あ、御朱印ももらえますよ。

そして、松江護国神社のほぼ向かいにあるのが、

いなり~。でも入り口だけは狛犬

城山稲荷(じょうざんいなり)神社
1638年、この年新しく松江藩主となった松平直政徳川家康の孫)の枕元に稲荷真左衞門と名乗る美少年が現れ、「城内に住処をもらえれば城内だけでなく江戸城を含めあなたをすべての災いから守りましょう」という趣旨の言葉を伝えて消えました。
直政はこの少年が稲荷大神が姿を変えた姿だと思い、早速城内に稲荷神社を建てた、と言われています。
その稲荷神社がこの神社という訳ですね。

前も濡髪大明神の時にもあったけど、なんで日本の伝承には美少年とかいう性癖がちらちら出てくるんだよ
"美しい女性"とかはよくあるけど、"美少女"とかあんま見ないしやっぱり変態大国NIPPONということか・・・。

こんにちは

コンコン

入ってすぐからキツネさんがお出迎え。
ここには数えきれないほどのキツネの像等があります。
きゅんポイント。キツネ好きにはたまらないな。
拝殿までの道のりは真っすぐなので迷うことはないです。

階段は結構ある

こちらが拝殿

松平直政が家康の孫と言うことは、徳川家の人間なので『三つ葉葵』の家紋がありますね。

かわ

こんなところにも

拝殿周り四方を囲むようにずらっとキツネが。
それはもういたるところに。
とは言え長い間外に晒されているので崩れているのとか苔が覆っているのとかもそれなりにいます。
でもこんなにキツネを拝める場所は行ったことはなかったので圧巻でした。
なんとなくの散策だったけど、寄ってよかった。

さてそんなこんなしてると乗車予定のバスの時刻までもう時間がない。
少し早歩きでバス停まで戻る。

ところで話が少し逸れますが、旅先で困ることにバス停の場所がわからないとかどのバスが目的地に向かうのかぱっと見わからないというのがあると思います。
特に京都に行って市内観光の際にバスを使ったことのある人ならわかるんじゃないかな。
北海道の北竜町に行く際に使った「深川十字街」バス停とかいくつも同じ名前のバス停があって、事前の調べだとどの乗り場からのバスが向かうのかわからなかったということもあったね。
仕方ない、そう旅にはこんな仕方ないことが起こるんです。

ちなみにこの後の予定はこのままバスに乗車して一畑電車("いちばた"と読む)という鉄道を使うために一番近い駅である松江しんじ湖温泉駅に向かうつもりでした。
通称バタデン。かわいい。
そして13時半過ぎの電車で島根と言えばここ、出雲大社に赴くルートを計画していました。

まぁ前振りはここまでにして。
はい、乗車するバスを間違えました。
いや、バス停は間違っていなかった。ただ、バスに間に合わないかもと慌ててたのと事前に調べてメモったデータを調べる余裕がなかったのがよくなかった。
同じくらいの時間帯に別のバスが来るのが罠だよ。
乗った後、いつまで経っても向かうべき方向に行かないし、もう着いてもおかしくないくらいの時間なのに全然その気配すらない。
おかしいなおかしいなとか思っているとついに松江駅前まで戻ってくる始末。
薄々気が付いてはいた。
「もしかして間違えた・・・??いやいやまさか。はっはっは。」と目を逸らしていた現実も松江駅を見てしまったからには受け入れざるを得ない。
だって乗る予定のバスは松江駅に行かないもの。

仕方がないので松江駅で降りる。
バスの中で必死にリカバリ案がないか探してたけどバスは間に合わなさそう。
出雲大社に行く方法としてはバタデンの他にJRで出雲市駅まで出て、駅前からバスで向かうこともできるけど、到着するの遅くて観光に回せる時間が結構減ってしまう。
となると選択肢は一つ・・・。

Hey!!!
TAXIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII!!!!!!


緊急事態なのでね、使わせてもらいますよ。
(社会人として働くようになってからマジで躊躇わなくなったなとしみじみ。)
運ちゃんにお願いして松江しんじ湖温泉駅まで向かってもらうことにしたが、時間的にはまぁぎりぎり。

電車に乗る10分前に着く予定だったけど、その時間に今松江駅にいて、ここから松江しんじ湖温泉駅まで約10分かかる。
運ちゃんも微妙顔。「信号次第だねぇ」。
まぁこちとら祈ることしかできないので信じて乗るだけ。
ダメなら仕方ないけど、予備プランに切り替えればいいしね。

結果としてはなんとか無事間に合いました。
助かった。

到着したの出発の2,3分前とかだったから結構ギリギリだったけど。
乗れたのでセーフ。
1100円払って下車。運ちゃんありがとうね。

危ない危ない

前に来たときは上にも書いた出雲市駅からバスで出雲大社まで行って、帰りにバタデンで出雲市駅まで帰ったからこの鉄道を使うのは初めてではないけど、始発駅からは初めて。
出雲大社最寄りは出雲大社前駅。ここは終点に当たるので、何気に始発から終点まで向かう乗車になる。久しぶりだな、これ。

じゃあ、出発

運賃は820円。移動時間は1時間ほど。
なんだかんだバタバタしてたので、ちょっとゆっくりできる。
お昼は食べる時間はないけれど。

車窓からの宍道湖。海だよな言われなきゃ。

宍道湖は日本で7番目に大きい湖で、約1万年前にできたそう。
日本百景にも選ばれています。

ついった

揺られて1時間。出雲大社駅前に到着。
ここから少し歩いて出雲大社まで向かう。

駅舎

かわいい。
本当は"旧大社駅"と言う国鉄時代存在した大社線の駅を見に行きたかったんだけど、ちょうど保全修理中で全体がシートで覆われていて見ることができなくなっているようなのであえなく断念。
前来たときは存在を知らなくて見に行けなかったから、次こそはって思ってたのに・・・悲しい。

前回は朝8時くらいに来たこともあってほとんど人がいなかったんだけど、まぁ15時前。
結構混雑してた。
とは言えまだ日本人が多かったからコロナ前と比べたらかなりマシな方なんだろうな。
駅から大社までの通りは食べ歩きとかふつうの飲食店などが立ち並ぶ参道になっているので、ぶらぶらするのも十分楽しいと思います。
何も気にせず大社まで向かうなら5分くらい歩けば着く。

出雲大社です

出雲大社
人が途切れなく出入りしているので綺麗には写真取れなかったけど、仕方ないね。
出雲大社の正門で勢溜(せいだまり)といいます。
勢溜の本来の意味は「軍勢が集まりひかえている所」を指し、武者溜まりとも言います。
江戸時代頃はここに芝居小屋があり、たくさんの人が集まったことが由来となっているらしい。

大社拝殿までの道のり

入口の鳥居で一礼してGO。

ムスビの御神像

大国主神がまだ神様になる前、修行中の身である時に海から来た「幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)」から「おかげ」を受け取り、神性を養われ「ムスビの大神」となられた・・・という話があり、これはその「おかげ」受け取るシーンを表しています。
※幸魂・奇魂は和魂(にぎみたま)とに分類され、神様の温和で平和的な面を持つ霊魂で、反対に荒々しい面を持つ荒魂(あらみたま)という霊魂も存在します。

んじゃあまぁ、お参りしましょ

勢溜から真っすぐ来ても5分くらいはかかる。
言うまでもなく境内は広いです。
ちなみに写真には取りませんでしたが、境内のあちこちにウサギの石像が配置されています。その数現在66体とのこと。たくさん。
因幡の白兎」と言うの前には聞き覚えがある人が多いのでは。
因幡の白兎」とは、先ほども登場した大国主神も登場する古事記のお話になります。

大国主神にはたくさんの兄弟がいましたがこの兄弟たちに大国主神は嫌われていました。ある時因幡の国の八上比賣(やがみひめ)に求婚しようと思い、大国主神に大きな袋を持たせ従者のように引き連れて出発しました。
大国主神は一番後ろからついていっていたのですが途中、「気多(けた)の前(鳥取市白兎(はくと)海岸近傍の岬)」に来た時、体の皮が剥がれたウサギを見つけました。
どうしたのかと話を聞くと、
隠岐の島からこちらに渡る手段がなかったので、和邇(ワニ、若しくはワニザメのこと)を騙してどちらの仲間が多いか数えよう、一列に並ばせてその上を踏んで数えよう、と言い数えるフリをしながらこちら側まで渡ってきた。最後今にも地に足をつけようとしたときにお前たちは騙されたのさ、と言った瞬間最後の和邇に捕らえられて皮を剥がされてしまった』らしい。
体の皮を剥がされたので傷をいやすにはどうすればよいか先の兄弟たちに尋ねたところ、『海塩を浴び山の上で強い風と日光にあたって、横になればいい』と言われたので言われた通りにしたがますます傷がひどくなってしまったとのこと。
そこで大国主神は『今すぐ真水で体を洗い、蒲(ガマ)の穂を敷いてその上で転がって花粉をつければ元通りに癒えるだろう』と告げました。教えられたとおりにするとウサギの体はすっかり良くなりました。
そのウサギは『ほかの兄弟たちは八上比賣を得ることはできないでしょう』と言い、八上比賣もほかの兄弟たちの求婚にはそっけなく対応し、大国主神を選びました。

という因果応報を教えるお話。
うーん、相変わらずウサギが畜生すぎる。
こんな感じで結びつきがあるのでウサギの像がいっぱいあったりするんですね。

拝殿の注連縄

ここじゃなくて神楽殿の方の注連縄はくっそでかいです。
何故か写真にはなかった。無能。
見たい人はホームページから見てね。。。
拝殿でお参りして、次はその奥へ。

こちらでもお参りしていきましょう。

本殿前

祭神はもちろん大国主神。国造りの神として有名。
この神様沢山別名持ってるんだよね。だから出典によって表記が全然違ったりする。
出雲大社には神無月に全国の神様が集まって祭儀を行う(神様が人の生活に関わることを含めていろんなことを決める)と考えられており、そこから転じて男女の仲だけでなくあらゆる分野での縁結びを司る神様として今では広く知られるようになりました。

ちなみに前に来た時も祈願したんだけど、まだですかね??


出雲大社の創建に関しては様々な伝承があるが、「天津神(もしくは天皇)に命じられて大国主神が住む(祀られる)宮を造った」と言う点が共通点となっています。

余談。
日本神話にはいくちか界層が存在し、
天上界にある『高天原(たかまのはら、たかまがはら等とも
人間の住む地上界『葦原中国(あしはらのなかつくに)
地中に存在する『根の国』『黄泉
などがあります。

天津神(あまつかみ)』はこのうち高天原にいるもしくは葦原中国に天下った神々の総称のことを言います。
また古代の神の分類にはもう一つあり、『国津神(くにつかみ)』と言い、葦原中国に現れたり、天津神の後裔だったりする神様のことを指します。
※"津"とは"の"を表し、それぞれ「天の神」、「国の神」といった具合になります。一気にわかりやすくなったんじゃないですかね。

九州一周編で取り上げた天岩戸は高天原にあったとされるので、「日本神話(の一部)は実際にあったことで、高天原も実在する場所なのではないか」と研究する人たちもいます。
高天原、と名前が出てくる場所沢山あるらしい。

話を戻して。
自分もお参りで今回も恋愛的縁結びを祈願する。
いつか花咲く時が来るのだろうか・・・。

今回はちょっとこの近辺で寄りたい場所があったので、そちらへ歩いていきました。
出雲大社を出たら西へ、日本海側へと進行する。
目的地はその日本海の海岸「稲佐の浜」。
歩いて15分くらい。一応バスもあるけど時間がまちまちっぽいので歩いた感じ。

道路に沿ってひたすら真っすぐ。海が見えてきた。

カップルがなんか多かったわ。出雲大社ついでだとそうもなるか。

出雲大社からおよそ1㎞のところにある。
日本神話の国譲りや『出雲国風土記』の中で出てくる神話国引きの舞台になります。
(国譲り神話は天津神国津神から葦原中国を譲り受ける話。この話の中で大国主神が、国を譲る代わりに宮を立ててもらうよう要求する。先の内容に出てきた出雲大社の成り立ちの一つです。)
実際には国譲りの舞台は奈良かもしれないらしいという豆知識をちりばめて置く。

稲佐の浜のメインはなんといっても弁天島
かつてははるか遠くの沖にあったらしいですが、今では砂浜が広がり歩いていける距離にまで。
かつては名前の通り弁財天を祀っていたそうですが、今は豊玉毘古命(とよたまひこのみこと、海神(ワタツミ)の娘。名前の通り海神は海の神。)を祀っています。
弁財天は仏教、それが日本の神様に置き換わったということは・・・?

はいここでも出てくる神仏習合
明治まで弁財天、明治以降は神仏分離で日本の神様になったということですね。
どっかで触った気がします(多分福井とか言った際の記事かな)が、弁財天は元々ヒンドゥー教の女神サラスヴァティーが仏教に取り込まれた結果生まれた存在で、
元々のサラスヴァティー川の名前から取られています。
そのため水辺の近くで祀られることが多かったそう。だから弁財天も同じような属性を持っています。
そして日本の神様である宇賀神と混じって蛇の属性も巻き込まれて、原典には特徴がみられなかった弁財天の使いが蛇になっていって、蛇が好んで住んでいた水辺をイメージさせるだけでなく蛇は豊穣(男根)をイメージさせるから稲作に必要な水辺と結びつくようになって・・・
とごちゃごちゃとして行きます。詳しいことは専門家に聞け。追えないよこんなん。

閑話休題

くだらない話は置いておいて、せっかくお参りできるならここもして行こうということで訪れた次第。

後光がうまい具合に入ってくれた。ありがてぇ。

ちょっとした高台からの別アングル。

お気に入りのナイスフォトも取れたので満足。この旅の中でもかなりのベストショットに入るわね。
風はもちろん強かったです。


お参りが住んだら少しだけ海でたそがれて大社の方まで戻ります。
いい感じの電車の時間が近づいてきたので。

全然関係ない話題ですが、
"黄昏時"と言ったりしますがのその語源は「誰そ彼」。
夕方になって人の輪郭がぼやけて誰かわからなくなる、そんな時間。
一方で明け方に人の見分けがつかなくなる時間帯を"彼誰時(かわたれどき)"。
「かれ(わ)たれそどき」とも。

「誰そ彼」で「誰だあれは」。
「彼そ誰」で「あれは誰だ」。

同じ単語を逆に使って朝方と夕方を表すのは言葉の面白いところですよね。
君の名は。』で知ったという人が多いであろう言葉なんじゃないかな。

活気のある参道。綺麗に整備されてて歩きやすい。

大社まで歩きで戻ったら、またバタデンを使って今度は出雲市駅まで出る。
出雲大社駅から出雲市駅に向かう際(出雲市駅から向かう際にも)には、『川跡(かわと)駅』での乗り換えが必要になります。
バタデンには"大社線"と"北松江線"に分かれており、この川跡駅を経由しなくてはいけません。
バタデンで向かう際には乗り換えを忘れないようにしましょう。

一畑電車ホームページより

出雲大社前駅横にある。自由に見学可能でしでし。

16時前のかわいくラッピングされた電車でGO。

噂の川跡駅。オレンジの電車に乗り換え。写真は乗り換えた後。

川跡駅のホームは未使用の1つを含めて4つありますが、多分初めて行くと「乗り換え・・・?何番ホーム???」となる確率大なので、アナウンスはしっかり聞いておきましょう。割と何回か駅でもアナウンスがありますが、イヤホンとかしてたら聞こえないからね。

運んでくれてありがとう。

全体の時間は大体30分しないくらい。
乗り換えで前後するかなって感じです。

これがバタデンの(電鉄)出雲市

バタデンの出雲市駅からJRの出雲市駅までは隣接はしていますが少し歩きます。

こっちがJR出雲市駅。駅舎が大社に合わせた造形。

この後は進めるところまで進んで、明日の行動を少しでも楽にする。
時間的には16時30分くらいだけど、電車までしばらくあるので食べてなかったお昼も兼ねて近くにあったモスバーガーに入る。
宿とかまだ決めてなかったから、Wi-Fiのあるところがよかったんだけど、ここしかなかった。

モスバーガーって注文してから作り始めるのが売りだし、めちゃめちゃ旨いんだけど、
普通に高いんだよな。
普通のバーガーとサイドメニューのポテト、ドリンクで1000円近くして笑っちゃった。
最近マクドナルドも値上げして手軽さがなくなったけど、もう気軽に利用するっていうお店じゃないんだろうな。

18時ごろ出発するので、1時間半ゆっくりお宿探し。

その間ご当地グルメ食ってねぇなぁとか考えてた。
前来た時に出雲そば食ったしいいか的な思いもあったからモスで全然妥協したんだけど。

お宿も無事決まり列車が出る時間も近くなったから、退店。
モスバーガー利用したの人生で2回目だったし、なんなら前回は5年くらい前とかそんなもん。
次利用するのはいつになるのかな。好きなのでバーガーキングでいいです。

どこまで行くのかと言うと益田駅と言う駅。
始発駅になる出雲市駅から出て終点の一つに当たる駅。
乗車時間は3時間。いつもの旅らしくなってきたな!!

列車の中はなんだかんだ制服着た学生だったり、遊びに行っていたであろう若者の姿がチラホラ見られた。
なんなら乗ってた時間の半分以上一緒だった人たちもいた。
その子らも益田駅で降りたんだけど、やっぱりそこそこ遠出しないと遊べるところがないんだろうなぁ・・・と。
同情はしないけどやっぱ地方格差えぎぃとは思った。

到着。真っ暗。

21時過ぎに着いて、宿まではここから10分くらいの場所。
途中コンビニがあるので、そこで晩ごはんを調達。
朝ごはんはホテルのバイキング。
思ったより疲れはしてるはずなので、さっさと宿に入って飯食って寝るぞ。

という感じで1日目終了。
トラブルはありつつも行きたかった箇所全部回れたので満満満足。

残り2日間も何もないといいな・・・。と言う懸念を胸の中にしまいつつ就寝。

2日目は萩観光です。
ではまた。


余計な事書きまくって1万字超えてるんだけど。
アホなんか??

鉄道日本一周-<九州編>⑪宮崎+まとめ

こんにちは、しゅー太です。

いつもゴールデンウィークには、一人旅で日本一周の何かをやってたりしてたけど
今年は日帰りで友達と静岡に行く程度。
後はオフ会行ったり、何するかよくわからん集まりに呼ばれたり、酒飲みに行ったりする予定で、なんだかんだゴールデンウィーク中の日曜以外は全部埋まってしまった。
人との予定が立て込むの珍しすぎる。

一人の時間ないと生きていけないタイプだから休息が日曜だけで大丈夫か不安になる。

とかなんとか書いてるうちに日曜も埋まりそうじゃ。充実してるなぁ。


最近は趣味の種類・数を増やそうとしているけど、結局「一人でできること」から脱却してないんよな。
これ自分の多様性広げることできてなくないか・・・?

基本他人と関り必須の趣味やることなさそうだけど。
そっちに倒れるきっかけなさそうー。

とりあえずまぁじゃあ、まず前回記事の書き漏らしから。

[8
日目:2018年3月13(火)AM:17:00]
と、その前に載せたかった写真も。
高千穂の棚田。
高千穂も棚田で有名な場所で、バスで天岩戸神社へ向かう道中で目にすることができました。
棚田は水張ってないときれいじゃない派(がいると耳にした)の意見もわからなくないけど、このままでも普通にいいよね。
俺は好きな景色。

棚田のこの段々とした感じがね

はい、貼りたかった写真は終わり。

次は、観光地。

タイミングは、フルーツパフェとかを食べに行くために友人たちと合流する前。
もっというなら、宮崎駅に着く前。

元々友人との待ち合わせ時間に関しては、お互い予定あるし状況次第で決めようぜー、としていたので、最終的に集まる時間に余裕を作りができたので、ある場所に行きました。

宮崎駅から列車で3分、隣駅が最寄りの宮崎神宮
駅名もそのまんま「宮崎神宮前」となります。
宮崎神宮前駅から宮崎神宮までは歩いて5分とすぐそこ。
駅名になるだけはある。

本当は行く予定はなかったけど、道中でしかもそんなコストかけずに行けるということなら立ち寄ろうと思い下車しました。
大通り的なのはなく民家に面する道路を歩いていくことになります。

いつもの神宮までの道

境内の様子。
観光に来たのが17時過ぎくらいで夕方だったのもあるし、なんなら閉館?閉園?時間が17時半なこともあったので、人はあんまりいなかったので快適。

逆に言えばそんなにいることもできなかったんだけどね。
(なんなら見終える前くらいから扉閉め始められたし。)

門を抜けて、奥へ。

全国には神様を祀る場所として神社や神宮がありますが、両者の違いは祀ってる神様の属性に関係があります。
祀っている神様が皇族の祖先にあたったり、縁があったりすると神宮
そうじゃないと神社に分類されます。
なので、神宮には皇族を象徴する菊花紋章があしらわれています。

閉まった後。菊の紋章。

ちなみにこの菊の紋章に関しては、鎌倉時代後鳥羽上皇が用いたことが由来となっているみたいです。
後鳥羽上皇は鍛冶が好きで、全国から名工を集め仕えさせて身近なところで作らせていただけでなく、なんと自分でも刀を打っていたそう。
そして自分が打ったんだぞという意思表示として作った刀に菊の銘を付けており、そのことが後のこの菊の紋章の起源になったという訳です。

滞在時間的には10分から15分くらいでした。
時間調整にはちょうどいい場所だった。


という訳でここから本筋。

[9日目:2018年3月14(水)AM:8:30]

今日は最終日。
観光する箇所は1つだけで、スケジュールにはかなり余裕を持たせてます。
というかギリギリで組むと、飛行機逃した時のダメージがえぐいからな。
まぁ他に行きたい場所もなかったっていうのもあったんだけど。

8時47分に宮崎駅を出発する列車に乗車して、途中の都城(みやこのじょう)駅での乗り換えを含め2時間揺られて移動します。

目的地は霧島神宮、その最寄り駅が霧島神宮駅になります。

ちょっと霧島神宮を意識した駅舎

霧島神宮駅から霧島神宮まではバスで移動になります。
霧島神宮駅に着いたのは11時ごろで、バスの時間は11時45分ごろなのでしばらく待ち。
暇なのでスマホをいじったり、近くのコープで少し買い物をしたりして時間を潰す。
この時T-ポイントカードだかなんだかをなくした記憶がある。
1000ポイントくらい無駄にしたわ。
すぐ気が付いたけど、どこにもなかったので萎え。
最終日なのにあんま幸先よくないね。

大鳥居

鋼材の鳥居は別に珍しくもないけど、色塗りされてないのは独特な感じがするよね。
靖国神社の鳥居とかもそうだよね。


15分かけて、霧島神宮までバスで移動。
バスを降りたらうっすらとだけど火山灰が地面やベンチとかにかかってた。
九州に来た時に霧島が噴火してたけど、その後もちらほら活動があったからその名残。
『霧島が噴火した。』という事象は知っていたけど、実感したのはこの時が初めてだったかな。
普通に過ごしてたら火山灰なんて見ることない(富士山がこの先噴火しないとも限らないけど)から、身近に感じながら生活している人たちは想像以上にきついんだろうな。掃除もそうだけど、いつ普段の生活ができなくなるかとか。

まぁ、それは関東でも南海トラフが起きたら変わらないけど。

ちょっと歩いて霧島神宮の前まで到着。

本殿までもう少し歩くよ。

と、階段を上がる手前で写真を撮られているご夫婦に遭遇。
お一人ずつ交互に社標の前に立たれて撮影されていたので、
「お撮りしましょうか?」とお二人で写真に写れるように声をかけました。
写真を撮った後、「(俺のことを)お礼に撮りますよ?」と言われたので、
御好意に預かりせっかくなので撮っていただきました。

あまり自分のこと撮らないのでレア。

この旅の中で4回目くらいの自分の写真。
前までならマジで1枚も取らなかったと思うけど、この頃から自分のことも頑張って撮ろう運動が始まりかけていたので、これでも多い方だったりする。

自分のこと好きか嫌いかなら断然嫌いだから、写して残したいとかなかったんだよね。
撮るという方向になったからには少しはましになりつつある時期。

霧島神宮
6世紀ごろには創建されていたとも言われており、当初は霧島連峰高千穂峰(たかちほのみね)と御鉢(おはち、みはち)の間にありましたが、御鉢の度重なる噴火で何度も炎上したそう。最終的には焼失まで。
ちなみに建てられてた場所が火口に近い場所だったみたいなんだけど、どうしてか聞いていい??

その後、高千穂河原という霧島山の中岳と御鉢の間に移されるが、ここでも度々噴火に巻き込まれ炎上し、またまた焼失。
幾度もの炎上を超えて、今の場所に建て直された様子。
そしてここでも炎上はした。

鹿児島は火山と切っても切れないから、仕方ない寄りではあるよね。
地理的にはこんなもん。
ピンが最初の場所、2度目の所が高千穂河原鳥居の近く。
左下が3度目にして今の霧島神宮がある場所。

この霧島神宮は皇室の先祖とされる瓊瓊杵尊ニニギノミコトを祀っており、天孫降臨神話瓊瓊杵尊が神々の住む高天原から人間界に降りてくる話)の舞台となったのがこの地域になります。

またこの降臨の際に連れていた9人の神様が由来である、300年前霧島神宮に奉納された宝物『九面』があります。(文字の通り九つのお面)
霧島神宮で初穂料を納めると授かれるお守りにもこれらをモチーフにしたものがあり、
九面が"工面"を想起させることから縁起のいいものとして特に商工業に携わる人がお参りに来るそう。
お面自体は一般公開されてはいませんが。

境内の感じ。

本殿前。

神話なんて身近でも何でもないからもう少し世俗的な話を。
ここ霧島の地は、かの有名な幕末の志士、坂本龍馬がその妻お龍と一緒に日本人初とされる新婚旅行をした場所になります。
・初めて新婚旅行が行われた土地は鹿児島県(霧島)。
・日本人初の新婚旅行に出かけたのは坂本龍馬
2つもの豆知識を同時に学べるなんて、なんて最高のブログなんだぁ。

色々ゲン担ぎには良さそうな場所だから、機会があれば行ってみてな。

さて、13時前には霧島神宮を後にする。
この日の、というかこの旅の観光地はここが最後。
長かった旅路ももうすぐ終わる。
列車で移動して鹿児島空港から羽田に戻り、バイト先で要件を済ませて
おうちに帰ります。

個別指導の塾講師をしていたので、大学受験をした生徒の合否報告とかほかの生徒の宿題の進捗とか課題確認とか雑務含め諸々やりに行きました。
お土産ばらまきもかねて。

この日普通に仕事したよ。
あのバイタリティは振り返ってもよくやったなと思う。

 

ここからいつも記事を分けてたまとめと振り返りを織り交ぜながら。

今回の旅は、寝床の半分以上がネカフェでさらに+1日は祖父母の家に宿泊したので、宿代自体は日程からしたらかなり安く済んだと思う。
というか、8泊してまともな宿一回だけだったんだが。
宿1日、カプセルホテル1日、祖父母宅1日、ネカフェ5日。
ようやり切ったわ。

でも今振り返るとこの成功体験がよくなかった。
翌年の四国一周+αをした時、体調管理に失敗して熱を出して旅半ばで帰還することになったからね。
↓はその時の記録パート1。今回のシリーズはよく過去の記事を貼ってる。

resyuta.hatenablog.jp

年々年老いているんだから、過去の挙動をそのまま引き継いだらダメよ。

そして、どこかで引っ張った『九州一周なんて嘘だよ詐欺だよ』の話。
引っ張ったっというか「その1」みたいな書き方して、まるで続きがあるかのような・・・。

はい、という訳で「その2」のお時間なんですね。
今回この旅は、鹿児島空港に着陸して鹿児島中央駅に移動・スタートしたわけですが、
帰りは国分駅と言う駅で下車して、バスで鹿児島空港に向かいます。
さて、鹿児島中央駅国分駅はどの程度離れているかと言うと、

こんな感じ。そんな感じ。
あらぁやだぁ。ずいぶん離れているじゃなぁい?

旅の行程を加味するなら、実際には熊本に行く際に国分駅の一つ手前の隼人駅を通過しています。
地図をアップにしてもらえればわかりますが、かなり近いです。
つまりここの間さえ通っていればよかったという話なんですが、
こんなん誤差だよ誤差。

そもそも福岡から大分に行く時にもう同じようなことやって、一周自体の本質は達成してないんだから今更ここで拘るも何もねぇんだよな。
一応隼人駅からも鹿児島空港駅までのバスが出てはいるんですが、なんかタイミングが合わなそうだったので国分駅から行くことにしました。

そもそもなんで鹿児島中央駅まで帰らず、国分駅からなのかというと

鹿児島中央駅までわざわざ行ってから鹿児島空港駅行くの無駄じゃね?国分駅からの方が近いじゃん。」

という思いつきによるもの。
この「無駄じゃね」思考、この旅のすべてを否定してるんだが気づいてるのかこいつ。

アホみたいな旅やっている時点で、「無駄じゃね」思考を取ろうが「やり切ろうぜ」思考になろうがどっちにしろ『頭大丈夫?』案件なのはさておき、この旅の実質的な終点はこの国分駅となりました。

最後に恒例の旅地図。
これわざわざ手で塗ってたんだよ。やったの3年くらい前だけど。

絶対なんか方法あるはずだから、まだ色塗りしてない旅のやつは楽にしたいね。

次回九州行くならどこ行きたいかな。。。
別府温泉は逃しているからありだよな。
太宰府は一回行ったはずだけど、もう記憶にないからここもあり。
他だと阿蘇と天草は時間と経路の都合上省いちゃったからここもいいよな。

いけてないところ沢山なので、まだまだ楽しめるな九州、とそんな感想を抱いた九州一周でした。

費用は約11万円。
うち宿泊費2万、交通費6万でその他食費観光費が3万行かない感じでした。
切り詰めてはいた。
けどまぁ、大体想定した予算で収まってよかった。
行く前に上限設けたりは特にしてないけど、どの旅も10万円くらいに収束するから俺はあんまり贅沢できないタイプの人間なのかもしれん。
1日1万円で観光旅行って聞いたらそんなにかかってはないでしょ?

18きっぷ様様ですわ。

 

それじゃあ、このシリーズはこの辺で。
2年もかけてるのはよくなかったねぇ。
次回は多分直近のを優先すると2023年1月に行った、日本一周旅の締めにもなる山陰地方の旅かな。
あれは3日とかだったからシリーズ自体は短くなるはず・・・。
頑張って終わらせます。

それでは次回。

 

なんと最初の分割日本一周「中国地方編」は6年前。
いつ手に付けられるか分からない上、何もかもが古すぎてまずい。

鉄道日本一周-<九州編>⑩宮崎(主に高千穂)

こんにちは、しゅー太です。

最近はAPEXの野良で知り合ったフレンドとよく徹夜して朝まで遊んでいます。
おかげで生活リズムとかいろんなものがボロボロです。

楽しいからいいんだけど、最近ゲームに人生奪われてる感覚があるからちょっとまずい気はしている。
大体1か月後に迫ったGWは、最初佐渡にでも行こうかと友達誘ったんだけど、
一緒に調べてるうちに移動・宿泊費等々の値段がえげつなくなって諦めました。
GWどこ行くにしても厳しすぎる。

そんなタイミングで佐渡に行く価値ねーよ。

今度どこかのタイミングで一人で行きます。
流石に佐渡への興味が薄い友人たちに行くだけで6万払わせるのを強要できん・・・。

 

大人しく静岡ぶらぶらすることになりそうです。
友人の車で浜松行って餃子食ってビール飲むんだよ、俺は。

 

[8日目:2018年3月13(火)AM:8:45]

ネカフェで6時ごろに起きて、朝ご飯とシャワーを済ませる。
あらかじめ立てていた予定だと、朝6時過ぎの列車で佐伯駅から延岡駅へ来る方針だったけど、それは昨日のうちにクリアしているので少しゆったり目。
ゆっくり英気を養って、いざ。

さてさて、今日は延岡に進んでまで行きたかった場所、高千穂に向かいます。
延岡駅この時は駅舎工事中だったらしい(あんまり注目してなかった・・・。)んだけど、一か月後の4月に駅複合施設「エンクロス」が開業して外観がめっちゃきれいでおしゃれになっていました。
encross-nobeoka.jp
中はTSUTAYA図書館やスタバが入っていたりと待ち時間等を過ごすのには困らなさそうなラインナップ。
せっかくならもう少し早く開業していてくれ。

8時頃にネカフェを出てまた30分ほどかけて駅へと向かう。
もう変なところに泊まるのやめてね。(なお二年後の北海道一周の時にやらかす。)

今回の目的地である高千穂に行く方法ですが、列車は通っていません。
前は通っていたようですが、2005年の台風被害が原因で廃線となりました。
そのため、現在高千穂へ向かうにはバスを使用します。

延岡駅からは宮崎交通がバスの運行を行っており、片道大体1時間30分程度かかります。
料金は当時片道1790円。今だと1820円。
往復だとまぁそれなりの額にはなる。

困りますよね、なるべく安く済ませたいですよね。
・・・・・お任せください!
宮崎交通は我らの味方。
なんとお得な乗車券の中に「宮崎県内路線バス全線 1日乗り放題乗車券」というものがあります。
この乗車券は文字通り宮城交通の路線なら1日乗り放題となります。
当時の価格は1800円で、今は2000円
だとしてもですよ。
実質半額で高千穂に行ける。
なんなら宮城交通を使う分にはその前後の移動が実質タダ。
お得すぎる。
全国のバス会社はこの制度を見習ってくれ。
観光の度に無限に使うから。

 

8:45に延岡駅を出発し、1時間30分かけて高千穂バスセンターに到着。
ここでの目的地は
高千穂神社高千穂峡天岩戸神社
になります。


天岩戸神社だけ他二つと逆方向になるので、高千穂峡を目指しつつ道中にある高千穂神社に寄っていきます。
高千穂神社に関しては、完全に「地名のついた神社だから行く」っていうだけなので、
どんな場所なのかはわからん。

高千穂峡までの移動方法は徒歩。
大体30分かからないくらいで、真ん中くらいに高千穂神社と言った位置関係。
時間には余裕を持たせているので、ゆったり目で大丈夫。
ルートはこんな感じ。

道的には緩やかな下り坂中心なので、行きでそこまで苦労はない。

3月にしては温かかったのと、服装にヒートテックのウルトラウォームのやつを着てたので汗が結構出てたけど、山の上だからか高千穂峡あたりや天岩戸神社はかなり涼しかったです。

そんなこんなで歩いて高千穂神社

高千穂神社

写真はないですが、夫婦杉(たまに色んな所で見る幹が一つになったやつ)もあります。

別アングル

神社の装飾って手が込んでるから見るの好きなんだけど、神像が画面右のこの位置に彫られて置かれてるタイプって初めて見た。

狛犬

こいつも中々に複雑に作られてるよな。
この狛犬はどうやら源頼朝が奉納したものらしい。
なかなか遠いところまで・・・。
創建年はわからないが、900年代前半にはあった記録が残っているそう。

主たる祭神は高千穂皇神(たかちほすめがみ)と十社大明神
高千穂皇神は、日向三代と言われる皇祖神(こうそしん、天皇の祖)とその配偶神の相称で、
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
・鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあわせずのみこと)と玉依姫命(たまよりびめのみこと)
が該当します。

十社大明神三毛入野命(みけぬのみこと)とその妻子神9柱のことを言い、三毛入野命は伝承において高千穂を荒らしていた鬼神「鬼八(きはち)」を退治し、この地に宮が置かれたとされています。

(「神様の名前なんてどれも同じに見えてわかんねーよ」って思うそこのあなた。わかります。)

三毛入野命が鬼八を退治するに至った過程は、鬼八に捕らえられ無理やり嫁にさせられていた鵜目姫から助けを求められたからというものなのですが、鬼八が退治され助け出された後、三毛入野命の嫁になってるんですよね。
なんか
ナンパ師から助けた後、そのままナンパした
みたいな空気があるよな(不敬罪
内容としては青少年をターゲットにしたラノベとか漫画と言われても違和感がないわ。

ちなみに8人も子供を作ったそうです。大好きじゃん。
鵜目姫は上に挙げた十社大明神で括られた妻子の一体になります。

余談ですが、斃され埋葬された鬼八は魔性のモノのため一夜で息を吹き返してしまったため、今度は体を3つ(首・胴・手足)に分けて埋葬したところ蘇ることはなくなったものの早霜が降り始め、作物に害が出始めてしまいます。

これを鬼八の祟りと考えた人々は慰霊祭を行ったところ、霜は遅く降り、作物は無事実ったそう。
この慰霊祭は毎年鬼八の魂を鎮め豊作を祈願する祭り「猪掛祭」として今なお続けられています。
それから、鬼八をバラバラにして埋葬したとされる場所には鬼八塚と呼ばれる塚が現存しています。

高千穂を訪れて時間に余裕のある人はこのあたりも回ると楽しいかもね。

高千穂神社は適当にぶらぶらして確かおみくじも引いたかな。
そんな感じで過ごして、そのまま高千穂峡まで歩く。

到着

峡谷なだけあってこのあたりの気温は低くて、今までの暑さが和らいでかなり涼しくて気持ちよかった。

五ヶ瀬川(ごかせがわ)。いいよねこの雰囲気

高千穂峡阿蘇山の火山活動によって噴出した火砕流が、長い年月をかけて侵食され断崖から成る峡谷です。
平均して80メートルの断崖が約7キロに渡って続きます。
昭和9年には「五箇瀬川峡谷」として国の名勝・天然記念物になりました。

別アングル

峡谷内には日本の滝百選に選ばれている「真名井の滝」があります。
夏場にはライトアップもやっているそうですよ。絶対きれいやん。
真名井の滝の伝承に元々水源のなかったこの地に天孫降臨瓊瓊杵尊が中津国を治めるために、高天原から高千穂峰へ降りたこと)の際に、天村雲命(あめのむらくものみこと)がこの地に水種を移したものがこの滝の水源と言われています。

写真にも写っている通り、この峡谷では貸しボートに乗ることができ、高千穂峡をより体験することができます。
秋は紅葉と合わさって忘れられない景色になること間違いないと思う。

辺りも散策できます。

ボートで楽しむだけじゃない

水でがっつり浸食された様子

別方向

奥が真名井の滝がある方向

鬼八が投げたと言われている石。推定で200トンあるらしい。

太陽が悪いよ、俺じゃない

峡谷の断崖は高いところで100メートルほどあります。
まさに大自然を体感、といった感じ。
柱状節理でできた「仙人の屏風岩」と呼ばれる断崖をぜひその目で見てほしい。

今回は20~30分ほど滞在。
景色を楽しみながらあたりを散策。
歩くだけ。
貸しボートでゆったりするのもいいなと思うけど、それは今俺が沢山旅をしてきて、年齢も30代に近くなったから。
感じ方もまた少し変わっただろうし、今度来たときは五ヶ瀬川の上を漂うのもいいかもね。

おすすめです

 

この日は夕方に予定があるし、天岩戸神社行くならここは見るだけ。という運び。

そんな訳で、清涼を味わった後は天岩戸神社へ移動なり。
一度高千穂バスセンターまで戻って、岩戸線に乗車です。

ちなみに高千穂峡のすぐ近くにバス停はないので、もし高千穂バスセンターからバスで行こうとする場合は高千穂峡と最寄りバス停の間を少し歩くことになります。
(「ホテル高千穂前」バス停になるのかな。)

とりあえず高千穂バスセンターまで戻った後、バスで移動しようと思っていたんですが、次のバスは12半過ぎで今から大体1時間弱待つらしい。
待つのはいいんだけど、その時間で観光をした方が絶対いい。
なので、急遽タクシーを捕まえて天岩戸神社まで向かうこと方針に変更。
約2500円で時間を買いました。
学生の俺にしてはなかなかナイスな判断。

タクシーで10分ちょっと。
天岩戸神社に到着です。

天岩戸神社西本宮

境内地図

天岩戸神社ホームページより

amanoiwato-jinja.jp

地図見た通り、神社は西本宮と東本宮の二つに分かれています。
橋で隔てられてる感じ。
かなり昔はもともと別の社だったとのこと。
メインとなるのは西本宮。
東本宮は、まぁ、見るとこはないっす。

これ以外「まぁ写真、撮らなくていいか・・・」ってなったのを今でも覚えてるもん。
まぁこんなところ滅多に来れるものでもないから、見るだけ見るのはいいかもですね。

戻ってメインとなる西本宮へ。

天岩戸神社
”天岩戸”という言葉はよくわからなくても、日本人なら一度は聞いたことがあると思います。
”天岩戸”とは、日本神話に登場する岩でできた洞窟で、関係する逸話の概要をざっくり書くと、

素戔嗚尊スサノオノミコト)が好き勝手やっていた結果、天照大御神アマテラスオオミカミ)を激怒させ、天岩戸に引きこもってしまいました。
天照大御神は太陽神のため、引きこもってしまったことで世の中は闇に閉ざされてしまい、多くの災いが起こるようになってしまいます。
そこで八百万の神々はどうにかでてきてもらうためにいろいろな手を尽くし、
最終的に天鈿女命(アメノウズメ)が岩戸の前で古事記だとほぼ全裸でおどけるように、日本書紀だと巧みな踊りを踊り楽しげな様子を演出しました。
天照大御神は天岩戸の中から笑い声を聞き「どうして外はずっと暗いままのはずなのにこんなに楽しげにいられるのだろう」と思い、少し天岩戸から外の様子を伺い出てきたところを隠れていた他の神に引っ張り出され、世に日の光が戻り、天岩戸に立入禁止の注連縄がなされました。

と言うお話があります。
天照大御神は一般に女神として扱われ、件の素戔嗚尊とは姉弟関係に当たります。
素戔嗚尊が好き勝手やってたのは、『アマテラスとスサノオの誓約』でアマテラスに潔白を認めさせ勝ち誇って調子に乗ってたからですね。
あ、下記の記事でも関係する話に触れているのでこっちも読んでね(露骨な誘導)

resyuta.hatenablog.jp

素戔嗚はこの件で、八百万の神々から罪を償わせるために沢山の品を献上させ、髭と手足の爪を切って高天原から追放されました。えぐいね。
でも調子に乗ってやらかしたこととその結果天照大御神を引きこもらせ各方面に与えた影響のことを考えたら、〇されたとしてもおかしくはないか。
流石に立場的にも〇せなかったんだろうから追放なんだろうけど。

天岩戸神社はその名の通り、この逸話に出てくる天岩戸を祀っている神社になります。
祭神はもちろん天照大御神。(東本宮も同じく天照大御神を祀っている)

西本宮前

奥にある西本宮の拝殿

この天岩戸神社には本殿が存在しません。
本殿とは神様がいらっしゃる場所になりますが、天岩戸神社のように御神体が「自然」に由来する場合、神様ではないので本殿は存在しないということがあるんですね。

その御神体ですが、いつでも好きな時に見られるわけではありません。

まず天岩戸(今はもう洞窟跡と言う方が適切かも)は境内地図を見てもらえばわかる通り、この拝殿の後ろ側にある形となり、境内のどの位置からも見られる場所はありません。
唯一拝む方法は直接社務所に申し込みを行い、お祓いを受けた上、神職の案内で拝殿後ろにあるに遥拝所に通してもらうことです。
神職の方も暇ではないので、実施の時間は決まっています。
※ホームページに詳しい時間は書いていますが、大体30分間隔でやってくれてはいます。

なんかゲームのイベントみたいだな。

写真の撮影は禁止で、案内中神職の方が神話などの説明くださいます。
ただ、遥拝所から拝む、と言っても天岩戸が直接目視できる(視界内にはあるが具体的に見えないという意味)訳ではなく、「大体あの辺にあります」と言った感じの見方になる。
実際見たときも木々で覆われていたりして、「あそこに洞窟があるらしい」ぐらいの感覚しか湧きませんでした。
まぁでも追加でお金が必要なわけでもないし、神職の方のお話も聞けるしで参加し得なので、訪れた際はぜひ。


また、西本宮の奥側には天安河原(あまのやすかわら)と呼ばれる場所があります。

石が沢山積まれてる

天安河原は先の天岩戸の逸話の中で、天照大御神を岩戸から日引っ張り出すために様々な手を尽くしたと書きましたが、その案を集まって考えた場所と言われているのが、ここになります。
石が積まれた所が沢山あるのは、積むと願いが言われているらしく、訪れた観光客が積み上げていった結果。

由来については調べてみましたが、よくわかりませんでした。いかがだったでしょうか。(クソブログ風文章)

道中の足元があまりよくないので、スニーカーの方がよいです。
ここに限らず都市から離れた観光地に行くなら足元のことは絶対考えた方がいいよ、あと服装。
気候だけじゃなく虫刺されとかも意識しないと、みんな。

西本宮の近くにある天安河原の遥拝所(ようはいじょ)

天岩戸神社については、まず起源として瓊瓊杵尊ニニギノミコト)が天岩戸での出来事を偲び、その跡に鎮祭されたことと社伝で伝えられています。
それから、812年に大神惟基(おおがこれもと)と言う人物が、退廃した社殿を再興したと伝えられています。社殿に関してはその後の戦国時代に度々焼失した様子。
そして1707年に延岡藩主の援助により、またまた退廃した社殿の再興と荒れ果てた社地の整備を行ったそうです。
歴史の大部分ずっとぶっ壊れてないか、ここ?

東本宮は天照大御神自体を祀っているのに対し、西本宮は天岩戸を御神体として祀っているという違いがあります。
なので歴史的観点から見ると、信仰と言う点では東本宮が中心になるべきと言えますね。
みんな西本宮目当てだけど。

そぉいやぁよお、大神惟基ってどっかで聞いたことがあるよなあ??
あ!!!!

resyuta.hatenablog.jp

この記事でどんな人物か話題にしてるんじゃあ、ねーかあ!?!!?!?!?!
と言う訳で、2年前の俺。ちゃんと言われた通りに書きました。
もうこんなことやめてね。
こっちも良ければ流し読みしていってください。
読んでくれていたらありがとう。

よし、これでこの記事でやりたいことはやりきった。

この日は、ここを観光し終えたら宮崎駅まで進んで人と会う予定があり、
そのために、15時30分頃発の列車で延岡を出ます。
高千穂を出たのは13時30分のバス。延岡駅に着いたのは14時50分くらい。
いつもの列車待ちだけど、40分なら短い。

滞在時間は2時間くらいになっちゃったけど、見たいものは見ることができた。
山の方で空気も澄んでいたし、水も透明で綺麗だったし、歴史的に有名な高千穂の土地に行ってみたかったという自分の欲求・目的を果たすこともできてかなり満足。
こういう場所は中々味わうことができないから、貴重だしね。行きにくいし。

名残惜しさを延岡駅に置いて、宮崎駅まで進行。
着いたのは18時過ぎだったから2時間はかからない感じ。特急とかならもっと早いんだろうね。
こちとら18きっぷなので。

その後、18時半くらいに友達(と急遽その彼女)と合流。
その彼女とは初対面だったけど、中々フレンドリーでコミュに自信ない側からすると助かった。去年時点でもう別れたとは聞いたからもう会えないけど。
駅近くでハンバーグステーキを食べて、そのままフルーツパフェを食べられるお店まで移動。

宮崎駅に来たら行ってみたかったお店。ここ。
フルーツ大野|宮崎県宮崎市で昭和57創業の青果店

有名なフルーツパーラーのお店で、宮崎駅に行くなら寄りたいなぁと思っていたところで友人も巻き込めたので、躊躇いなくGO、となりました。

宮崎駅から歩いて15分程度で到着。
店内には他のお客さんもいたけど、そんなに多くはない状態。
まぁ時間が19時過ぎてたしね。

着いて、店内でパフェを注文。
1600円や1800円のパフェなんかもあったりしたけど、ここは1000円しないくらいの一番人気の『フルーツパフェ』を選択。
ご飯食べた後でお中にそんな入らないだろうし、一番人気なら初めてはやっぱりそっちかなって。

決して、値段に日和ったとかじゃないから。ほんとだから。
今はもう抹茶パフェ食べに行くときは2000円平気で払ってるのにね。大人になるっていうのはこういうことよ。

フルーツパフェ到着。普通にでかい。

でkkkkっか!!そして旨そうねぇ、写真はぶれてるけど。
これで1000円切るんだからお得。いつ見ても信じられん。
調べたら今は990円らしいけど、当時は850円だよ。これで。
クリームも入っているけど、もうひたすらフルーツ、フルーツ、フルーツの連続。
しかもどのフルーツもみずみずしいんだ。意味わからん。

マジで満足できるから、宮崎行った際はぜひ食べに行ってみてほしい。
話しながら、ゆっくりと堪能してきました。


食べ終わった後は、駅の方までみんなで戻る。
今日の宿泊はネカフェなので、コンビニによって朝飯だけ調達。
ネカフェ前まで二人が見送ってくれてここで解散。

付き合ってくれてありがとうございました。
ネカフェにインしてシャワーだけ浴びてこの日は就寝。


この旅も残すところはあと一日。もう終わりかと思いながら眠りにつきました。

翌日は宮崎駅から鹿児島方面に向けて移動しつつ観光から帰宅。
内容的にもあと一回で終わるな。(まとめ回を除く。)
ようやく締められる・・・。
どんだけこのシリーズ記事書くのに時間かけてんだこいつは。

という訳で今回はここで終わり。
九州一周編の次は何にしようかな。
どんどん閊えてるのに、消費が追い付かねぇよ。


※2023/3/23 追記
記載漏れしていた観光地があったので、次回記事に混ぜ込みます。
書いていた時、微妙に違和感覚えてた理由これだったわ。
反省。

鉄道日本一周-<九州編>⑨大分

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。しゅー太です。


年が明けて早々に、島根・山口の観光を海沿いに沿ってぐるっと観光していました。
松江から萩の方を通って下関まで出て、折り返すように岩国から最後は逃げて広島の宮島をぶらぶらしてました。
次はこのことを記事にしたいね。
東北や一番最初に中国地方疑似一周した時のこととかいつになるんだろうね。

四月からはネットバトラーに返り咲く予定なのでブログ書くなら今だよ。

今回は日本史のお勉強がたくさんできるよ、やったね。

[7日目:2018年3月12(月)AM:7:50]
朝、お世話になった祖父母宅を出てJRの城野駅へ。
九州までって割と遠いから、
「次に来れるのいつかわからないけど、また来るよ。その時おいしいもの食べにいこうね。」
と約束をして家を出て、駅まで送ってもらいました。
そんなこと言いつつ、翌年のGWに四国一周のついでに来るんだけどね。
着いた翌日熱出して即帰宅しておじゃんになったけど。

 

この日はほとんどが移動旅。
ひとまず次の県である大分まで南下します。

 

各停で向かうので時間にして大体3時間の乗車。
恒例行事。
中津駅で乗り換え経由して大分入りをします。

中津は唐揚げで有名なので、降りてどこかで食べたいなぁとは漠然と考えていましたが、ちょっと後続のことを考えるとここに寄っている場合ではないので、スルー。

次に福岡とか来た際の寄り道候補と言うことで。
そのまま大分行に乗り換えて、終点まで直行。
ということは、今回の旅は別府温泉もスルーしてます。

ある程度の出費に目は瞑っているとはいえ、学生の身からしたら「温泉見るだけで2000円はちょっと・・・。」と言う感じ。
上述の通り、他に寄り道をする余裕があんまりないということもあるのでここも次回候補入り。
いつか行くよ、いつかね。

大分へ向かう列車の車窓から

ダラダラしながら、なんとなぁく窓の外に目を向けると見たことないオブジェクトが。
藁で作ったまきグs塊が目に入ってくる。
写真を撮って調べてみると、どうやら腐敗を防ぐために稲藁を三角錐の形にして干しているらしい。
コンバインが藁を裁断するようになってからほとんど見られなくなったとグーグル先生が教えてくれた。

藁ロールとかもそうだけど、こうして列車でブラブラしてなかったら絶対実物見ることないものとか、そもそも存在を知らないまま終わるものとかも沢山あっただろうから、
それだけでもこの列車旅には意味があったなぁとつくづく思う。
どこで生きる知識かどうかって正直重要じゃなくて、「新しいものを知れる」ってだけで楽しいもんよ。

コスパいい性格してると思ったけど、旅行自体にに金・時間めちゃくちゃ使ってるからそんなことなかったわ。

 

朝から乗車し続けて時刻は11時前。
ようやく大分駅に到着。
およそ3時間の南下となりました。思ったより遠かった。

到着だーぜい

駅前の銅像大友宗麟

大友宗麟。戦国時代から安土桃山時代に活躍した人物で、戦国武将。
宗麟は法号で大友義鎮と言います。「義鎮」と書いて「よししげ」。
大学受験あたりだと高山右近と合わせて『キリシタン大名』として紹介されます。

キリシタン大名とは、その名の通りキリスト教に入信し、洗礼を受けた大名を指します。
最も初めの頃は全員が全員キリスト教に関心があったという訳ではなく、「領土内で布教の許可をいただければ、南蛮貿易の援助(貴重な品を融通)しますよ」といった具合にリターンを提示し、それに乗っかった大名が入信するという構図もあったようです。

もちろん、キリスト教に感化された大名もおり、先に挙げた高山右近は人徳があり彼に影響を受けて入信したという大名もおり、貿易云々は関係なく入信することも増えていきました。
(あとは入信まではいかなくともキリスト教に好意的な大名とか。)

キリシタン大名は着々と増えていきましたが、分母が増えると避けられないのが世の常、過激派だって現れます。
寺社などを破壊する者や僧に暴力を振るう者が出てきました
この過激派代表みたいなのが大村純忠(すみただ)という人物で、日本で初めてキリシタンになった大名と言われています。
古参はこわいねぇ。
こうした破壊活動は宣教師が教唆し行われたこともしばしばありました。

また反対に仏教や神道側はキリスト教邪教として広め対立関係を深めていきました。
まぁ、勢力を削られるのはどちらの宗教も望むところではないよね。

その後、豊臣秀吉によって全国統一がなされた後に出された1587年のバテレン追放令によって禁教への一歩が始まります。
最初、秀吉も信長同様キリスト教を容認していましたが、勢力拡大を侵略の兆しととったか、また、長崎で日本人奴隷の売買が実行されている事実を知ったためか(はたまた両方あるいはその他に理由があったのか)、キリスト教を抑えにかかります。

とは言え、キリスト教の宣教師は商人を兼ねていることも多く、キリスト教を禁止して宣教師を完全に出入り禁止としてしまうと貿易が止まることになるため、メリットの大きかった貿易を黙認。
やむなく、このバテレン追放令はあまり意味のないものとなりました。

完全にキリスト教を禁教する動きに入るのは、江戸時代の徳川幕府時代に始まった一連の鎖国の流れの中でになります。
バテレン追放令以後、1612年の禁教令を皮切りにキリスト教徒への弾圧、宣教師等の処刑、中国・オランダ以外の渡船の制限(長崎の出島でのみの交易)、日本人の渡航・帰国の禁止により鎖国が完成し、キリスト教徒はひっそりと息をひそめながら生きていくことになりました。

ちなみに『鎖国』と言っても出島のように一部限定的に認められた貿易箇所があり、上記の出島以外だと
松前アイヌ蝦夷
対馬:朝鮮
薩摩琉球
と貿易を行っていました。
※ただし幕府の管理の元
完全にシャットアウトはしなかったという訳ですね。
また、世界の事情なんかは出島にあったオランダ商館長(カピタン)に提出させた『オランダ風説書』から情報を得ていました。

禁教令が発布される一因にキリシタン大名の起こしたある事件が関わっているので、キリスト教の布教から禁止になるまで文字通り中心にいたと言って間違いない存在が彼らになります。

余談その2になりますが、キリスト教の洗礼を受けると洗礼名(教派によって聖名(せいな)だったり教名(共きょうめい)だったり呼び方は変わる。クリスチャンネームとも。)がつけられますが、大友宗麟の場合は「ドン・フランシスコ」という名前だったそうです。
※洗礼名は聖人の名前を取って付けられるらしい。絶対名前被るやつ出て来るやろ。

キリシタン大名関連の話おしまい。

 

一時的に駅の外には出たけど、再び列車のホームまで戻る。
ちょっと時間があったから先に写真だけ取っただけ。20分ないくらいかな。

さて、このまま由布院(ゆふいん)駅に向かいます。
『湯布院』とも書くこの地名。
元々この地域には「栲(たく)」という木が多く生えており、
その木の皮から作った木綿のことを「由布」と言います。
また、飛鳥から奈良時代律令制(昔の日本の法律)で定められた税である
祖(収穫した米)」や「調(布類や特産物)」を集める場所を”院”といい、この地にそれがあったことから組み合わせて由布院となりました。
※ちなみにもう一つ労役の税があって、「庸(よう)」と言う。

そして、時は流れ昭和30年に村の合併が起きました。
その時由布院と合併した村の名前が湯平村という名前で湯の字が取られ、
湯布院”とも呼ばれるようにもなりました。

この由布院は温泉地で有名で、温泉目的でみんなこの地を訪れます。
アクセス的にもバスを使えば福岡からそんな離れていないので、寄ることは可能です。

温泉地でもあるので、例にもれず買い食いのできるグルメタウンになっていました。
今は知らん。

由布院駅。ホームに有料だが足湯がある。

1時間くらいで由布院駅に到着。駅前は結構な数のタクシーやバスで入り乱れていました。
そして数多く聞こえてくる絶対に日本語じゃない言語たち。
多分ここにいる人の半分くらいは韓国とか人たちだったと思う。
すごかったよ、ほんと。
むしろ日本語の方が珍しいくらいだった。

とんでもない場所に来たなぁと漠然と思う。
コロナになってかなりの被害を受けた場所の一つだと思う。
メジャーなところだと京都とかもそうだろうけど、それでもあっちはまだ国内客が集まりやすいからね・・・。

 

で、温泉地なんだけどぶっちゃけ温泉浸る気は一切なかったです。
「大分どこ行こうかなあ。有名なところ一か所は押さえたいけど。お、由布院近いやん。ここにしよ。」な適当さで選ばれたのは由布院でした。
当日ちょうど連絡してた知り合いからは

「行く意味ないよそれ」

と火の玉ストレート。

反論できないないのでとりあえず、由布院で観光名所になっている金鱗湖に向かって、道中にある食べ物物色しつつ入浴できる温泉を探す。

ちなみに食い物の写真はありません(いつもの)。
この当時は食い物に関心なんてほとんどなかったからね。
食べてたのも「なんとなくそれっぽい観光」になりつつ、友人に話した際の話題作りの面が大きかったな。
最近は普通にうまいもの食べよう、となるから人間的な成長を感じる。

いろいろあったけど、確かプリンとアイスと唐揚げとか食べたかな。
こういう場所にある唐揚げの出店って大体「日本一」とか「〇〇賞受賞」とかって掲げてるよね。
マジで謎。逆にうさん臭さを感じるのは俺だけ?

金鱗湖

最奥にある金鱗湖は、湖の中に鳥居があります。
嫌いな人おらんやろこんなん。

駅から金鱗湖までは歩いて大体20分くらい。
通りの屋台と言うか食べ歩きできるものを売ってるお店とかの他にも色々あった(アニマルカフェみたいなのとか)のでブラブラしながらだとなんだかんだ1時間は使いそうな予感はある。

金鱗湖

茨城の水戸にある千波湖ほどじゃないけど、野鳥もそこそこいる

行きと帰り道で散策をしながら、結局目に入った銭湯に入ることに。
お店の名前ちゃんと見なかったんだよなぁ。忘れました。
そこそこその時だけ温泉に入れる施設があったので、適当に来ても楽しめる・・・かなぁ。
基本みんな泊り前提で来ると思うけど。


温泉好きなんですが割と早めに撤退。
鍵付きのロッカーがなかったのと大学入ってから体が熱に弱くなってあんまり熱いところにいられなくなったので、その都合。
正直温泉って絶対どこもそんなに変わらないんだろうけど、
温泉がメインの観光地だとやっぱり一層気持ちよく感じるよね。

風呂上がりにせっかくだから地ビールでも、と思ったけど何故か売ってる場所が見つからない。
結構探し歩き回ったんだけど、全然見なかったんだよな・・・。
ちゃんとあるのは調べたんだよ。これこれ。

www.yufuinbeer.co.jp

流石に探すのヘタすぎか。

探してるうちに由布院を出なきゃいけない時間が来たので、さようなら。
由布院は流石にもう一人で来ることはないかな。
次に来ることがあるとしたら誰かとになるな。
つまり残念ながら、それはないっていうことや。

14:45ごろに出発して、大分まで戻る。
次の列車まで時間があるので、いったんまともなお昼タイム。

大分と言えば、とり天。二代目与一さんにて。

大分名物の一つである琉球(アジの刺身を甘辛いタレで漬けて食べる丼。元々は漁師の賄飯で名前は大分の漁師が沖縄の漁師から教えてもらったことに由来。)で有名なお店。
ただ、どうしても旅に出発する前からとり天を食べたいと思っていたので、
ここでとり天を注文。
とり天はその名の通り、(基本は)鶏肉の天ぷら。
調べたら基本は「胸肉です」「もも肉です」と書いてあって正直わからん。
多分どっちもそれなりに使うんじゃないかな。
胸肉ならかしわ天と変わらないだろ。
とり天は唐揚げのように一口大サイズで、唐揚げよりもさっぱりしてます。
タレは酢醤油に練りからしを溶かしたものが一般的らしい(ウィキペディアより)。

列車の時間まで2時間くらいあるので、のんびり味わう。
さっぱりしてる分唐揚げと比べてガッツリ食べてる感じはしなかった。
かしわ天と同じだから食レポいらんやろ。

 

この日の活動としてはこれでおしまい。
あとはひたすら移動。
翌日のことを考えて延岡(のべおか)駅まで進みます。
大分からだと佐伯駅で乗り換えを含んでここから3時間弱の移動です。
この佐伯→延岡間がネックで、18きっぷで旅している関係上、まぁ基本普通列車での移動になりますが、ここの区間普通列車
なんと合計一日3本しかなく、朝6時20分頃の列車を乗り過ごすと次に普通列車が来るのが17時頃で、その次が19時頃になるという乗り過ごすと致命傷になりかねない区間になっています。
この間は山間部になっていて、途中駅はすべて無人で、
走っている特急もすべて通過していくような場所。
鉄オタの中では有名な場所らしいっす。

代わりに相対比特急列車はバンバン通っているので、最悪5000円ほど払えば通過はできますが、当時は学生でそこまでお金を湯水のごとく使うことはできず、なんなら節約できるところは節約していくスタイルだったので、なんとしても普通列車で乗り越えたい難所という訳でした。
「5000円あったら、観光に回すわ。」というね。
進める時に進んでおこうがモットーな旅なので、ここの通過を翌朝の6時ではなく、この日にやってしまいます。
なので延岡駅到着が21時半ごろとなりました。
辛いね。
しかもこの日は宿代節約のためにネカフェ泊。
尚且つネカフェまでは駅から30分で移動方法は歩き。
終わってる。
もうできないよ、こんな旅。

 

ネカフェについたのは22時前くらい。
翌朝も早めなので即就寝。
というか、明日この旅の中でも割と体力使う予定だから回復に努める。

 

という訳で今回はこの辺で。

 


なんと、この旅の記録があと2日分残っているらしい。
後ろ(記事にする予定の終わった旅)がかなり閊えてますよ?

鉄道日本一周-<九州編>⑧福岡(大島・門司港とちょっと山口県):part2

こんにちは、しゅー太です。

前回投稿から大体1か月。
自分の中のペース的には、ちゃんと早く仕上げられてよかったよかった、といった感じ。

10月には、話題の鉄道開通150周年記念切符『東日本パス』で、青森・岩手・山形をぶらぶらとしてきました。東日本の新幹線まで乗り放題という太っ腹な切符。
新幹線をバスのように使うのは多分ほとんどの人がない経験だと思うので、なかなか珍しい形で旅ができたんじゃないかなと思います。
そのあたりの話もいつか記事にできたらいいかな。写真そんなないけど。

9月・10月と出かけて、その上衣類系とか何かと必要経費が飛んでいくので、あんまりクレカの明細を見たくない、そんな時分になっています。

近況終わり。
じゃあ、九州一周を振り返りますか。

 

[6日目:2018年3月11日(日)AM:9:00]
宗像大社を8:45分頃に出発。
バスに乗車し、大島へ上陸するためにフェリーの出ている神湊へと向かいます。
「神湊」と書いて"こうのみなと"と読みます。
由来は宗像大社の外港であったかららしいです。
神湊港(こうのみなとこう)という港になりますが、みなとが重複してて漢字だとわかりづらく初見で見たとき「は?」となりました。

バスの乗車時間は10分程度なので、宗像大社から向かう分にはそんなに時間は取りません。
神湊港へ向かうには「神湊波止場」というバス停で降ります。
まぁ、港の真ん前に停車するので「ここであってる??」とはならないと思います。
一応時刻表。

宗像大社前~神湊波止場 | にしてつ時刻表 | 西鉄グループ


神湊港から大島へは
・フェリー「おおしま」
旅客船「しまかぜ」
の2種の渡船が出ており、車やバイクなどで上陸が必要な場合はフェリーである「おおしま」を利用しなくてはいけません。
また、予約などはできず現地での先着順での乗車なので、そこだけ注意ですかね。
下は神湊港からの出航時間です。

大島渡船運航時刻表 - 宗像市

運賃は現在、

・大人 570円
・小人 290円
となっています。

2018年の時は560円だったからちょっぴり値上げされてたね。


フェリー関連の写真はないから省略。
撮る頭なんてありません。


航海時間はフェリー「おおしま」が25分、旅客船「しまかぜ」が15分くらい。
今回は9時25分発の「おおしま」で大島へ向かいました。
後続の進捗を考えて島観光に使える時間は大島から神湊港へ向かう13時発の「おおしま」までの大体3時間ちょっと。

観光サイトなどで紹介されている所要時間が大体4~5時間くらいなので、ちょっと駆け足き気味での観光になります。

大島側の港ではお土産を売っているほか、レンタルサイクルの利用受付ができます。
レンタルサイクル利用料は800円・・・らしい。
というのも、手元の記録だと500円と書いてあったので、ここも料金改定が入ったのかもね。

主要な観光名所にはバスが通っているので、こちらを利用するのも手。
一回300円、一日乗車券が800円と手軽に観光するにはとても便利ね。

大島観光バスグランシマール|路線図・路線案内|バス情報|西鉄グループ

ただ、「島に来たんだから、せっかくなら一周したいぜ」となるとバスだと実現できないので、タクシーかレンタルサイクルになってくる感じ。
下の地図の赤い線がバスの経路です。

「宗像大島の魅力を発信する”しまカフェ”」ホームページより引用

僕は「どうせなら一周」派だったので、レンタルサイクル一択。
タクシーで島めぐりできるほどの予算はねーです。

レンタルサイクルは感謝の極み電動タイプ。
といっても、この島かなり高低差があるので、電動でもなかなか厳しかったので、上りは覚悟しましょう。
ルート的には中津宮をに寄ってから、時計回りに夢の小夜島→沖津宮→砲台・・・と回っていきます。

では出発、という訳なんですが、なんとこいつ中津宮の写真が一切撮ってない
何しに行ったんこいつ。

 

おみくじ引いて、おじいちゃんおばあちゃん観光客の引率をしていた女性バスガイドさんと世間話して満足して出発してるんですよね。
ほんましょーもない。

 

しかも夢の小夜島についた際は、写真の存在思い出してるくせに「面倒くさいし、ここはいいだろ」つって、撮ることすらしない始末。
まぁこのころブログ書くとか想定してなかったしな。
気が向いたら調べてほしいんだけど、ここ潮が引くと島までの道ができるんだけど、そうじゃなないときってそんな写真に収めるほどの風体してないんだよ。
到着時には道ができてなかったというのもあって撮らないという選択肢を選んだ記憶がある。

みんなも大島行けば解決だから、見たい人は行ってくれ。

と言う訳で大島ダイジェスト。

沖津宮遙拝所社殿

(例えば女人禁制のため)渡島できず、参拝が困難な沖津宮を拝むために用意されたのがこちら沖津宮遙拝所社殿。
海沿いに建てられ、この方角の遠くに沖ノ島があります。
肉眼で沖ノ島を見るのはさすがに少し厳しいかな。

砲台跡付近

島のかなり高いところにある。

砲台跡付近は牧場になっています。
まさかこんなところで戯れることになるとは思わなかった。
砲台跡は現在台座のみ残され、周辺の芝と一体化し、風化した様相を見せてくれます。
僕は帰って調べるまで砲台跡だと知らなかったので写真はありません。またか。

砲台跡から歩いて行ける風車展望台

というかこっちに目を引かれて意識の外に行ってしまった。
道がちゃんとあるので、さきまで行けるよう。
自転車では入れないようになっているので、置いていきましょう。

思っていたより小っちゃくてかわいい。

記念写真を撮ったりしてました。
一人だったのでなかなか思ったような写真が撮れずに、他の観光客が映らないようにするために時間とも格闘してた。

10分くらいかけてなんとか納得な写真が撮れました。

一時期lineのアイコンにしてた。(どうでもいい)

ブームだったミニチュアモードでの撮影遊び

砲台跡・風車展望台で思ったより時間を使ってしまったようで、あんまり残り時間がなかったので、ここより西にある大島灯台は諦めて港の方向へ進むことに。
3時間だと無謀だったか。

御嶽山(みたけさん)展望台からの風景

本土の方がよく見えますね。
福岡ドームも見ることができるらしいです。
ちなみに、ここに上がるための坂がいっっっっっっっっっち番辛かったです。
途中すれ違った(向こうは下り)お子さんを連れたご夫婦に
「あとちょっとだから頑張って!」
と応援されるくらいには。
向こうも登ったからこその声掛けだったんだろうな。。。
マジで心折れかけた。ありがとう、助かりました。元気でやってるかな。

旅行とか旅とかで出かけてるときって何故か他人に積極的になれるよね。
あれ不思議だよなぁと思ってる。
(山系でトレッキングしてるときすれ違う人にあいさつする謎文化好き)

海藻がたくさん干してありました

中津宮の近くの公園にずらぁぁぁぁっと並べられていました。
なんだろう、ひじきっぽいけど、海藻博士ではないのでよくわからんです。
12時半前には港まで戻ってこられたので、レンタルサイクルの返却をして、お土産を選んでいました。
この後宮崎で大学の友人(+その彼女)と会う約束をしていたので手土産をここで調達しようという算段です。宮崎で会うのは2日後だけど、流石に大島のお土産はもらったことないだろう、という考えでね。

まぁ、買ったお土産2日後には賞味期限切れてたんだけどね。

(????????????????????????)

確認してなかった俺も悪いけど、お土産くらい期限が迫ったら品物入れ替えてるのが普通だろ。渡してお別れした友人から「そういえば期限きれてたよ」と言わるまで気が付かなかったわ。マジで謝り倒した。
みんなもお土産買うときは気をつけようね!

その後は予定通り13時の「おおしま」で神湊港に戻って、
そのままバスで東郷駅まで。
列車を待って乗車します。

 


次の目的地は、北九州にある門司港
時間にして大体1時間かからないくらい。
"門司港レトロ"を見に行きます。

門司港は明治初期に開港し、現在は栄えていた当時の大正モダン(風だったりするものも含め)な建物が並び、有名な観光地となっています。
大正ロマンな建物好感持たない人いないでしょ。
それとは別にこういう"人が集まる場所"が"人を集める場所"に代わるの好き。

ちなみに訪問時の門司港は建物を建築当時のデザインにしようと改装中。
なので駅舎の写真はありません。
今はもう完成してるから、それを拝みに行くのはありやね。

門司港駅からのショット

右の目立つ建物は門司港レトロハイマート。
これ商業ビルじゃなくて、建物が完成したのは1999年の1月に完成した31階建ての超高層マンションらしい。
最上階の31階を市が買い取って「門司港レトロ展望室」として開放してます。

北九州市大連友好記念館

門司港が中国・大連と航路を結んだ友好15周年の折にロシアが1902年に大連に建築した鉄道汽船会社の建物を、そっくりに複製し建築したのが、この門司港の建物になります。
中はレストランやコミュニケーションスペース、大連の紹介コーナーなど。

門司港の名物として、米の上にチーズとカレーソースなどを乗せてオーブンで焼いた「焼きカレー」が有名ですね。
ご当地グルメとして親しまれています。

 

 



僕はチーズが苦手なので食べません。
(そもそもカレー味のチーズドリアでしょあれ)

チーズが苦手なのはほんとですが、単純にどこもめちゃくちゃ混んでたのと、
優先度は、
観光>>>>>>>>>食
だったのでスルーしました。

というのも門司港に来たのはもう一つ理由がありまして、
「せっかく本州に一番近いところに来たのなら、ちょっと寄っていきたくね?」
なノリで対岸の山口県にお邪魔してしまおうかと。

 

門司港、というか北九州から本州である山形の間には関門海峡があります。
移動するには、車なら関門海峡に架かっている関門橋で渡れます。
(高速道路なので有料ですが。)

でけぇし、長い

JR在来線でも移動できますが、移動には海底にある関門(鉄道)トンネルを経由してとなるので、「気が付いたら県境を跨いでた」となります。
「なるべく県をまたいだ実感を味わいながら移動したい。」
そんな皆様に、朗報です。
歩いて渡れるトンネルがあるんです。

その名も"関門トンネル人道"。
全長780メートルにも渡る歩行者用の海底トンネルで、エレベーターで約60メートル下ったところからスタートします。
自転車や原付も持ち込むことはできますが、押して移動しなくてはいけません。
また、歩行者は無料ですが自転車・原付を持ち込んだ場合は20円かかります。
そして県境には標識があり、きちんと「ここから福岡/山口だよ」というのがわかるようになっています。

幼少の頃に利用した記憶がありますが、あんまり来ない土地でもあるためせっかくなら今回渡っておくかとなった次第です。

一応門司港からバスもありましたが、タイミングよくアクセスできる手段がなかったため歩いて人道まで移動。大体30分くらいで到着。

福岡側。ここから下る。

中はこんな感じ。

関門トンネル人道はまっすぐ伸びていますが、県境に向かってゆったりとした下り坂になっており、県境辺りからゆったりとした上り坂を歩くことになります。
なので後半になると、なんか少し歩き辛いなぁ、と感じるんですね。

そしてこれが県境の標識。
地面にペイントされており、それぞれ自分が行く方向の県の名前がわかるよう書かれている。
「せーの」で一緒に渡るなり、ジャンプで線を飛び越えるなり、(周りの迷惑にならない範囲で)エンジョイして超えましょう。

山口側

10分くらいで到着。
帰りもまたこの人道を使って福岡に戻ります。

山口側の関門トンネル人道出入口目の前のみもすそ川公園

これはNHK大河ドラマ義経』を記念して2004年に作られた「源義経平知盛像」。
そうこの場所こそ、かの有名な"壇ノ浦"なんです。
聞いたことあるけど場所わからん、っていう地名たくさんあるうちの一つだと思ってる。他には関ケ原とか。

この公園には他にも幕末に起こった下関戦争(大学入試の日本史だと「四国艦隊下関砲撃事件」とかで出てくるかな)で活躍した砲台跡があることから、その砲台のレプリカが置かれてたりします。


今回はちょろっとだけ山口を見ていく予定なので、本格的な観光はまた今度。
一か所だけ観光しに来ます。
場所はここからほど近い赤間神宮

赤間神宮壇ノ浦の戦いにてわずか6歳(数え年で8歳)で亡くなった安徳天皇を祀っている場所になります。
壇ノ浦の戦いは言わずと知れた、源氏と平氏が争い、そして平氏が滅亡する原因ともなった決戦です。
当時天皇は源氏・平氏側それぞれで擁立されており、安徳天皇平氏側の天皇でした。
安徳天皇は生後わずか1年後には天皇に即位しており、そして上記8歳の頃に壇ノ浦の戦いて入水、歴史上もっとも短命かつ唯一戦の中で命を落としたことが記録されている天皇となりました。

さてこの赤間神宮ですが、元は「阿弥陀寺」として開かれました。
しかしこの阿弥陀寺は、明治初期の神仏分離から始まる廃仏毀釈によって神社へと変わり、今の赤間神宮となりました。
神仏分離は字のごとく神道と仏教を分けようとしたこと。
廃仏毀釈は仏教関連のものはぶっ壊そうとした運動などのことを指す。

この阿弥陀寺は、これまた有名な『耳なし芳一』の舞台ともなっていて、境内には「芳一堂」と呼ばれる、耳なし芳一を祀ったお堂が存在します。

山口側の関門トンネル人道からは、歩いて10分くらいの距離になります。

初めて見たときは「竜宮城みたいだな」と思った

 

正面

こちらが件の芳一堂

赤間神宮自体は広くないので、宝物殿等に寄らない場合は想像しているよりもさっと見終わることができます。
俺も確か10分から15分くらいしかいなかった気がする。
手元の写真のタイムスタンプみてもそのくらいだったし。
なのであんまり時間は取らない観光スポットになっています。
駐車場も車50台は止められるようなので安心かな。

さて、さっと見終わって再び関門トンネル人道を超えて福岡の門司港へ。
帰りは福岡側の人道近くから門司港駅まで走っているバスに乗車して移動。
歩いてもよかったんだけど、ちょっと時間が押してたので。
と言うのも、北九州には父方の祖父母が住んでおり、事前に会いたいと話して泊めてもらえることになっていました。

一旦門司港駅から小倉駅まで出て、北九州モノレールで祖父母の最寄り駅の城野駅まで移動。
最寄駅でじいちゃんが車で拾ってくれるそうなので、待ち合わせて祖父母宅へ。

祖父母に会うのは10年振りとかそのレベルだったので、実際にあって泊めてもらった時にはめちゃくちゃ丁寧に扱われてしまった。。。

久しぶりに話せて嬉しかったのも楽しかったけど、旅的にありがたかったのは布団で寝られたこと。
ここまででお布団入ったのは初日の鹿児島と長崎1泊目の2回だけだったので、体を休める的な意味でもかなり助かりました。
翌年に走った四国一周+αの際にも同じようなスパンでネカフェに泊まって、山陽辺りも観光しながら九州まで出てこの祖父母の家に泊まったその日に疲労で熱出したからね。ちゃんとした休息は大事。

あんまり俺が祖父母と話す機会がなかったので、じいちゃんの謎経歴とか聞けたりして新鮮でした。

この日はこんな感じで、ちょっとお話して、酒飲んで就寝といった感じ。

さて、この翌日は城野駅と言うところから宮崎方面に向かって行きましたが、
ここがこのシリーズ冒頭で話した「正確には一周してないんだよね」ポイントその1になります。
北九州モノレールJR九州にはそれぞれ城野駅』という駅がありますが、これらはそれぞれ別の場所にあり、同じ駅ではありません。

地図で見てみよう

画面上部が小倉駅、画面下部に城野駅がありますが、こんな感じでちょっと離れています。
つまりこのまま、JRの城野駅から出発すると西小倉駅南小倉駅を通らずに進んでしまうことになります。

まぁこのために戻るとか面倒なので、無視しましたが。

時間もったいないし、何より最初のルールに「日本一周を一筆書き」とは書いたけど、「ルート上実行不可能な経路の色塗りはしない」とか宣言してないしね。
俺のためにやってるので、(迷惑じゃない範囲で)楽しくやれればいいんですよ、何事もね。

という訳で、次回はここから南下して大分方面に行った時の話になります。

それでは。

 

年内に終わらせたいけどさすがに厳しいか。