しゅー太の奇譚回想記

興味の赴くままに、風のようにふらふらと

鉄道日本一周-<北陸編>⑤ 福井(一乗谷)

なんだかんだ1か月開いてしまいました。

 こんにちは、しゅー太です。

この間(?)のGWは外出自粛の(同調圧力に負けた)ため、

自宅で大人しく過ごしていました。リングフィットとか読書とかブログ書いたりとか。

そう、なんとこれ書き始めたの5月頭なんですよね。どれだけ時間使ってるんだ。

余計な事含めて書いてたらもう6月ですよ。早いね。

 

そして、そろそろまた旅に出た意欲が高まってくる今日この頃。

コロナが収まるかは兎も角、外出自粛ムードは緩和されそうだから、堂々と出掛けても大丈夫にはなりそうですね。安全かは知らん。

 

前回は、東尋坊行ってソースカツ丼食って寝たところまで。

今回は一乗谷へ向かう所からスタート。

 

[2日目:2018年7月29日(日)AM 9:00]

お世話になったホテルをチェックアウトし、出発。

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今日の天気は清々しい青空が顔を覗かせている。

夏らしい、気分の良くなる晴れの日でした。

ずっと眺めていたくなりますが、一乗谷に向かうため、駅へ向かいます。

そういえば前回掲載し損ねていた、えちぜん鉄道福井駅の写真。

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小さいながらも綺麗な駅。「箱」って感じ。

さて、一乗谷へはJRを利用します。九頭竜線という路線です。かっこいい。

正式には越美北線と言うらしく、九頭竜線は愛称らしいのですが、福井駅その他での旅客案内では九頭竜線の愛称が使われているそうです。確かに呼びやすいよね。

 

九頭竜線の由来は、終点である九頭竜湖駅から付けられていますが、その九頭竜湖九頭竜ダム建設によってできたダム湖です。九頭竜ダム自体は九頭竜川を利用する目的で建設されたものですが、その九頭竜川の由来と思われるのは、以前解説した白山信仰で登場した九頭竜でしょう。その際、九頭竜王白山権現を名乗り泰澄の前に現れたという話をしました。その白山権現が889年に衆徒の前に姿を現し、尊像を川に浮かべると九つの頭を持った龍が現れ、尊像を頂くようにして川を流れ下り、黒龍大明神黒龍大神として白龍大神とともに黒龍川(後の九頭竜川)の守護と国家鎮護産業興隆を祈願・創祀された。)の対岸に泳ぎ着いたと言います。以来、この川を「九頭龍川」と呼ぶようになったと言われています。

 

九頭竜が出てくる伝承は日本全国にありますが、そのほとんどは最終的に善性を帯びていたり、改心するものになっています。似た神話生物に日本神話に登場するヤマタノオロチが存在しますが、こちらは「水害の化身」とされ、悪性を持つものとして退治されています。『古事記』や『日本書紀』においてスサノオノミコト八塩折之酒(やしおりのさけ)と十束の剣(とつかのつるぎ、別名:天羽々斬(※あめのはばきり))を用いて退治したエピソードが有名ですね。

※羽々(はは)とは大蛇を意味するとのこと。

しかしながら、どちらも蛇(竜)かつ水を司る神なのに、なぜ差があるのでしょうか。

 

九頭竜の成り立ちは、元々インドの蛇神ナーガラージャであるヴァースキが、仏教に八大龍王として取り込まれ、それが日本に伝来した際に九頭竜となりました。また竜は蛇として扱われますが、これも中国から伝来した竜が日本の蛇神信仰と融合した結果となります。何が言いたいかと言えば、九頭竜も神仏習合の結果として誕生した産物だということです。

蛇は日本において古来より、害獣を駆逐する面から「豊穣」の象徴とされており、また、蛇が男根を連想させ種神から転じて穀物神としても信仰されたため、「田の神」としても祀られるようになりました。「田の神」から「水神」が結びつき、蛇は水神の使いもしくは水神そのものと見なされるようにもなりました。蛇だけでなく九頭竜自体も現世利益を求める密教において、雨乞いを司る存在になっています。

※現世利益:神仏の恵みが現世で与えられるとする信仰。俗にいう神頼み。

ちなみに、蛇は豊穣の他に男根や脱皮をする点から「生と死(死と再生)」も象徴しています。悪い意味で現在世間を騒がせている世界保健機関(通称:WHO)のマークにもなっている「アスクレピオスの杖」にも蛇の意匠が見受けられます。また、「永遠の生命」や「終わりがない」といったことを意味することもあります。後はシロヘビは幸運をもたらすなんてのもありますね。

 

つまり九頭竜は、「祀られるべくして登場した存在」と言えなくもないということになります。そこがヤマタノオロチと違う点になりますかね。

 

また同じ仏教かつ水神なら弁財天もいますが、この九頭竜伝承が広まっている場所の共通点に修験道があった山が多いという点が挙げられます。こういった山々は山自体が神秘性を帯びており、豊穣を感謝して山を神様と見立てた水神信仰もあります。神秘性の高い場所であれば竜のような怪異が登場してもおかしくありません。弁財天においても蛇は神の使いとされる場合がありますが、弁財天自体に豊穣の意味がないので九頭竜の方が自然と言えるでしょう。宇賀神の使いとして蛇が登場することがありますが、こちらは穀物神の側面だけとなります。(まぁ、後の世で弁財天と宇賀神が合体するんですが・・・。)

また、竜は雷に見立てられることもあり、雷が「雨をもたらし耕作を手助けするもの」として解釈されていたため、九頭竜が登場したという説もあるそうです。

 

白山という条件を見てみてもこれほど九頭竜の伝承が出てくるのにふさわしい地はないですね。

 

 閑話休題

 

 

さて、ではそんな偉大で恐れ多い神様の名前が付けられた路線を使って、福井駅から一乗谷駅まで30分位かけて向かいます。

それではホームに向かいますか。

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これに乗ればいいんだな!

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は?

なんじゃこりゃぁあ!?(低音ボイス)

今まで、ボタンで開閉や手動でドアをスライドする列車には出会ってきましたが、まさか押して山折りするタイプのドアがまだ現役であるとは思わなかった・・・。

今時バスだって自動だぞ。

これから先このタイプの列車に乗車することがあるのだろうか。

なんて、物思いに耽ながら一乗谷へ向けて出発。

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(茶色いシミはは車窓の汚れです)

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長閑でいいところだぁ

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一乗谷

9:30頃に到着。降車したお客さんは数人いましたが、みな同じ方向に歩いていく様子。

とりあえず付いていけばたどり着けそう。とりあえず、駅前にある地図を写真に収めましょう。迷ったら困るからね。

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結構歩くやんけ・・・。

意外に目的地まで距離がありましたが、予定通り歩いていきます。

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道中にあった神社。

文字がかすれて読みにくいけど、春日神社というらしい。

奥に続く階段があり寄り道をするか迷ったけど、自然に溢れている道だったので撤退。

変な虫とかに刺されても面倒だったので諦め。冬か肌が露出しない服をまとっていたら突入したんだけどなぁ。

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駅から歩いて15分くらいでようやくエリアに。もう汗が止まらない。。。

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モニュメントが見えたあたりで、ちょっとばかし一乗谷の解説を。

一乗谷はかつての戦国大名、朝倉氏が1471年に本拠地を移し、治めていた地域です。ここに朝倉氏は一乗谷城を築き、辺り一帯は城下町となり103年間繁栄しました。その間に1467年に起こった応仁の乱にの結果、荒廃した京都から逃れるように多くの公家(貴族)や僧侶、文人や学者たちといった文化人が流れてきたため、一乗谷は飛躍的に発展し、「北陸の小京都(北ノ京)」と呼ばれました。一番栄えていたのは4代目朝倉孝景(さっきのとは別人さん。初代「孝景」の名前にあやかって自身も同じ名前を名乗った。法名は「宗淳孝景」。)の頃で、最盛期には人口1万人を超えており、当時の戦国大狂乱な時代においても勢力を持ちつつも比較的平穏であったため、より多くの文化人が流れてくる地域となっていました。

 

そんな風に5代にわたって繁栄した一乗谷でしたが、1537年一乗谷城の戦い(刀根坂(とねざか)の戦い)によって、朝倉氏は織田信長に敗北一乗谷は焼き払われてしました。朝倉氏は敗れた後大野へ敗走(寺院を転々とするが最終的に自害)、旧臣の多くが信長に降伏して臣従することにより、旧領を安堵されました。その後は、朝倉攻めの道案内を務めた朝倉氏旧臣の桂田長俊(前波吉継)が、信長から守護代職を与えられ一乗谷に館を構えて越前を統治しました。しかし、朝倉氏の中で特に重臣でもなかった長俊守護代に任命されたことを他の朝倉氏旧臣は快く思わず、民衆に一揆を起こさせるために画策。1574年越前一向一揆(平泉寺白山神社が全焼したアレ)へと繋がっていきました。

 

とまぁ、朝倉氏が追われてしまった後も火種が尽きなかったのがこの一乗谷と言う地なのです。

 

長々と書きましたが、これから向かうのはそんなかつての姿を垣間見せる「一乗谷朝倉氏遺跡」。福井市の南東約10キロに広がる史跡は、武家屋敷・寺院・町屋・職人屋敷や道路に至るまで町並がほぼ完全な姿で発掘され、国の重要文化財特別史跡特別名勝に指定されています。一部ではかつての街並みを再現した場所もあり、当時の雰囲気を味わうことができます。

 

んじゃあ、見ていきましょう。

この先にまずあるのは平面復元地区。

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こんな感じの地区がそこそこの広さで広がっている。一軒一軒の間取りは小さい感じ。

関係ないけど、木陰がないのがつらい(小声)。

 

ここからさらに日に照らされ続けながら歩くこと約10分。

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こんな感じの道。

漸く目的の街並みが再現された場所までやってきました。

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復原町並。開場は9:00~17:00(最終入場は16:30)までで、入場料は当時210円。 

今は220円みたい。詳しくはこちら→復原町並ホームページ

個々の滞在時間は30分ほどで、ゆっくり見ても1時間はかからないと思います。

街並みの他にも資料館の役目を果たしている建物があり、パネル解説や展示物が配置されています。後はビデオなんかも流していたから、暑さを避けて休憩がてらに見ることができます。

 

街並みの方はそこまで広くありませんが、しっかりと雰囲気を堪能できるように作り上げられているので、満足できると思います。

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この風景はメディアとかで見たという人も多そう。

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居住区の中

写真撮るの下手かよ。

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ここ一乗谷は当時の遊び道具として、将棋を筆頭に双六や囲碁が盛んだったようで、関連する出土品が数多く見つかっているそうです。

将棋の駒には「朝倉駒」と呼ばれる独自の駒が存在していたみたいです。

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当時使用されていた大工道具なんかも出土。結構綺麗ですね。

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生活に必要な水をためておく場所・・・だった気がする。流石に覚えてない。

 

 こんな感じで用途別に建物を見学できるようになってます。

 

また、道路を渡った反対側には朝倉義景館跡があります。

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現在見られる当時の遺構は5代目の朝倉義景の時のものになります。

 

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遺構はだだっ広い敷地の中に庭があったり、朝倉義景のお墓もあります。

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時間をかければ、遺構が残っている一乗谷城跡地を見に行くこともできますが、歩きだとちと厳しいので今回はスルー。毎回こういう時車で移動したくなるけど、一人だとレンタル料バカにならないんだよね・・・。

 

とりあえず、一通り見終わったので、売店復原町並に直結している売店でアイスを買ってしばし待つ。

ここ一乗谷では「朝倉ゆめまる号」という無料の観光シャトルバスが運行されており、観光スポット同士をショートカットすることができます。

ちなみにこの日2回ほど利用しましたが、乗客は僕一人でした(小声)。

 

時間に余裕があるので、この後は朝倉資料館に向かいます。

暑すぎて建物の中に入りたい欲に負けてしまった・・・。

 

次回はそこから。

鉄道日本一周-<北陸編>④ 福井(東尋坊の帰りは晩御飯にソースカツ丼はいかが?)

こんにちは、しゅー太です。

 

前回は勝山の平泉寺白山神社にお参りしたところまで書きました。

ちなみに前回ほどの情報量はないです。

あんなの毎回は無理に決まってるだろ。

 

[1日目:2018年7月28日(土) PM15:12]

勝山駅からえちぜん鉄道を使って、いったん福井駅まで戻ってきました。

本来ならこの日はこれで行程終了でしたが、

・時間もまだある

えちぜん鉄道のフリーパスがもったいない(貧乏性)

という理由から、明日の予定だった東尋坊へ行くことにしました。

ここで行けば明日以降の行程が短縮でき、やれることも増えるので、

迷わずゴー。

そして、出発前に決めたチャートは初日に崩壊。 いつものことですね。

 

福井駅で乗り換えて東尋坊の最寄である三国港駅へ。

ちなみに、

永平寺や平泉寺白山神社方面に向かう路線→勝山永平寺線

東尋坊へ向かう路線→三国芦原線

と別の路線となるので、福井駅での乗り換えが必要になります。

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進行方向だったかな・・・。それとも逆を撮影したんだっけかな・・・。

福井駅からしばらくは街並みが続きますが、途中からは上記のような何もない、

一直線な線路に代わります。まぁ、街並みがあっても一直線だったんだけど。

三国港駅は終点になるのでそこそこ時間がかかります。

福井駅を15:39に出発し、50分ほどかけて三国港駅に到着。

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こじんまりとした駅

駅前にはバス停があり、このバスに乗れば東尋坊まで10分ほどで到着します。

しかし、自分が到着したのは16:28で、次のバスが17:16と

1時間も開いてしまうことに。。。

なので、今回は歩いて東尋坊へ行く選択をしました。

バス待ってる間に到着できるわ。バスの時刻表は下記から。

bus.keifuku.co.jp

こんな感じで30分ほどの距離で、17時前後かつ日が暮れる前に

到着できそうなので、余裕で明るいうちに東尋坊を拝めそうです。

せっかく行ったのに暗くなってる可能性を考慮してないのさてはバカだな?

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中間地点位から。何か塔らしきものが見えてきましたね。

日本海側の海ってどこか太平洋側と違う感じがするんですけど、自分だけですかね?

道はたまに歩道が掻き消えるので、歩く際は気を付けてください。

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歓迎が過ぎる東尋坊

30分ほどかけ東尋坊へ到着する。

 

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国定公園なのは知らなかった。

東尋坊は、越前加賀海岸国定公園の特別保護地区に指定されている崖で、波によって浸食された断崖が約1kmに渡って続きます。東尋坊の岩石は輝石安山岩の柱状節理という珍しいものとなっています。

節理とは、wiki曰く「岩体に発達した規則性のある割れ目のうち、両側にずれの見られないものをいう。」とのことです。「両側にずれの見られるもの」は断層になるとのことなので、断層じゃないものとでも捉えればいいんじゃないですかね(適当)。

『規則性のある割れ目』というのは、長方形や台形などの形にひび割れている状態を指します。地質の場合、マグマが冷え固まる時や地殻変動の際に生じます。

節理については下記のサイトで分かりやすくまとめられていますので、詳しいことは下記を参考にしてください。

sawagikyou.holy.jp

では柱状節理とはどういうものかというと、マグマが冷えて固まると体積が縮まる訳ですが、その際、冷却面に対し垂直に節理(亀裂)が入ったものを指します(ざっくり)。縦に亀裂が入るから柱状になるということですね。マグマが冷え固まった地帯に行くとなんだか形の整った石で敷き詰められたかのような地面を見ることもありますが、それは柱状節理の上部だったりします。柱状節理の場合、六角柱のものが多いですが、五・四角柱状のものもあります。

 

ここまでを踏まえて大雑把に成り立ちを説明すると、東尋坊は約1300万年前に地表近くまでマグマが上昇し、冷却。その際に六角柱や五角柱の岩石となりました。その後地殻変動によって地表へ隆起し、波などによって浸食され今の姿へと形を変えました。

 

Q.東尋坊の説明するなら節理がどうとかは置いといて上の三行だけでよかったのでは?

A.うるせえ、俺が解説したかったんだよ(教えてあげる君)

それにしたって「教えてあげる君」のネタって十分古いよね。

 

またここまで大規模な輝石安山岩の柱状節理は世界に三か所しか発見されておらず、地質学的にも大変貴重な場所なります。

※残りの2か所は朝鮮半島の「金剛山」及びスカンジナビアの「ノルウェー西海岸

 

さて東尋坊の名前の由来ですが、前回の記事で出てきた平泉寺白山神社の僧である東尋坊からつけられたと言われています。→下記前回記事リンク

resyuta.hatenablog.jp

『平泉寺に数千の僧侶がいたころ、東尋坊と言う僧がいました。

数千もいると近隣の民に対し悪事を働く僧もおり、そのリーダー的存在になっていたと言われいる層が東尋坊でした。自慢の怪力によって暴れ、他の僧らも困り果てていた。

また、東尋坊はあや姫という美しいお姫様に心奪われており、恋のライバルに真柄覚念(まがらかくねん)という僧がおり両者は犬猿の仲でした。

1182年4月5日、平泉寺の僧らは東尋坊を誘って海辺見物へ向かい、高い岸壁から海を見下ろせる場所に陣取ると酒盛りを始めました。そして、酔いが回り東尋坊が眠った隙に他の僧から合図を出し、この会に同席していた真柄覚念は崖の上から東尋坊を突き落としました。詰まる所、この海辺見物の真の目的とは、皆で結託し東尋坊を海の藻屑とすることにあったという訳です。しかし、その後49日、海は荒れに荒れてしまったといいます。』

このことからこの地は東尋坊と呼ばれることになったと伝えられています。

まぁ、手が付けられないっていうんだから、搦め手使うのは普通だよね。

 

さて、公園入口から実際の東尋坊まで進んでいきましょう。

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入ってすぐの駐車場。既に事故が起きている気がするんですけど(名推理)。

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東尋坊タワー

道中遠くからでも見えた建造物は東尋坊タワー。入口から歩いて5分位。

上るのに必要な料金は500円。登っても東尋坊が見えるわけではないので、登る必要はそこまで感じません。観光地によくあるご当地タワーの一つ。

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東尋坊手前にある「IWABA CAFE」

絶景を見ながらゆっくり過ごせる場所です。多分東尋坊一オシャレな場所。

時間があればゆっくりしたかった。「COFFEE」ではなく「CAFE」なのは良心か。

そして、お待ちかねの東尋坊

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絶景かなああああああああああああああああ!!!!

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結構近くまで寄れます。

近くまで寄れるというか、見た通り柵がないのでがっつり寄れます。

落ちないように細心の注意を払いましょう。海沿いで遮蔽物ものないので、強風が吹きつけています。何があるかわからないので油断してはいけません。

勿論髪はボサボサになりますよ。ええ。

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普通に恐怖心が顔を覗かせる。

結構先の方まで行くことができるので、スリルを味わうこともできます。

ただ東尋坊はその性質上、自殺の名所として有名な場所でもあります。
とは言え近年は減少傾向にあるそうです。

理由はなんとポケモンGO。深夜まで徘徊する人が増えたため、「誰にも見られず」という条件が満たせなくなったたためらしいです。社会貢献度が高すぎる。

こんな感じで感動したり、写真を撮ったり、ぶらぶらしてから帰路に着く。

 

東尋坊米澤穂信の小説「ボトルネック」において、物語の結末を決める重要なポイントとなった地ですので、実際に訪れることができて、個人的にとても嬉しかったです。

面白いし、おススメだからみんな読んで(ダイマ)。

www.shinchosha.co.jp


さて帰りはバスで駅まで向かいます。今日したいことがあと一つあるので、短縮できるところは短縮しましょう。

 

18:30頃に福井駅へ戻り、ここからはまた少し徒歩の時間。

夕ご飯を食べに行きます。

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無敵要塞“福井県庁”

道中横切った福井県庁です。福井城跡を活用して県庁舎を建てたためお堀に守られる形となった福井県庁。面白いですね。個人的にこういうのは好きです。場所の有効利用と県のアピールにもなって一石二鳥。

 

そうしてついでに観光をしながら辿り着いたのがこちら。

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ヨーロッパ軒総本店さんです。

yo-roppaken.gourmet.coocan.jp

福井の名物と言ったら「ソースカツ丼」ですね。

薄い衣をまとったカツにソースをかけた一品。

せっかく福井に行くなら食べたいと思っていたので、今回訪れました。

着いたのは18:50くらいでしたが、そこそこの列が既に形成されていました。

ここまで来たら並ぶ以外の選択肢はないので、最後尾へ。

携帯を弄りながら待つこと20分、ようやく店内へ入れました。

店内はこじんまりとしている感じ。みんな想像できる定食屋だね。

そして迷わずソースカツ丼のセットを注文。

さらに待つこと10分・・・。

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やっっっっっっっっっっっっとありつけます

おなかも減って我慢も限界。さっそくいただきましょう。

さてお味の方はいかほどか。

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最近流行りの。

空腹も合わさって最強ですね。

サクサクのカツに酸味の混ざる甘いタレ

旨くないわけがない。タレのおかげかご飯も進む。

わずか10分ほどで完食。美味でした。

ただ、上記の味の通りなので、

ガツンとした濃厚なお味をお求めの方には少し合わないかもしれません。

食レポは苦手なのでこれでおしまい。

ヨーロッパ軒さんは福井県の中に店舗がいくつか存在するので観光の際に最寄のお店を選ばれるとよいかと思います。

そう考えると静岡の「さわやか」に近いのかも?

あそこの店員さんの対応すごくいいよね。大変だろうけど、また行きたくなっちゃう。

 

さてソースカツ丼も食べ満足したので、これで今日の活動は終わり。

駅近のホテルにチェックイン。

さてこの日泊ったホテル、控えめに言って最強でした。

少し外観は古びてましたが、

1泊5500円

テレビでYouTubeが見れる

コンセントがめちゃくちゃ多い(ここ大事)

部屋ごとにWi-Fiが敷かれている(ここも大事)

駅から徒歩一分

と、ビジホによく宿泊する人なら拍手喝采で迎えられること間違いなしなホテルでした。

5500円でこれなら十分リターンあります。もっと全国に広まれ。

そんな感じでホテルに満足しつつ就寝。

 

翌日は一乗谷へ向かいます。

次回はそこから。

鉄道日本一周-<北陸編>③ 福井(平泉寺白山神社)

こんにちは、しゅー太です。


コロナの影響でこれを書いてる週は自宅待機となったので、時間をフルに使ってました。

更新自体はのろのろペースですが、書きたいこと書いて進めていきます。

 

はよ出かけたい(本音)


[1日目:2018年7月28日(土) AM11:45]

永平寺門のバス停からバスに乗って、揺られること約15分。

永平寺口駅に到着。

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綺麗な駅舎をしています。

ここから勝山駅まで行くのですが、乗車ついでに下記のフリーパスの購入しました。

www.echizen-tetudo.co.jp

これでこの日はえちぜん鉄道が乗り放題となりました。

普通に払うと乗車賃が高く付いてしまうので、このフリーパスは必須かと思います。

値段は1000円なので、お手頃なのも〇。

 

ここから勝山駅までは30分ぐらいかかります。

ちなみに前項で取り上げた恐竜博物館へはこの勝山駅から向かうことになります。

バスが出ているのでこちらに乗車しましょう。

接続情報 - えちぜん鉄道株式会社

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それでは向かいましょう

 そして12:20ごろ勝山駅に到着。

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こちらでも恐竜がお出迎え

さて今回勝山に来て恐竜博物館に寄らず何をするのかと言うと、タイトルにもある通り平泉寺白山神社を見に行きます。

こちらにもバスで向かいます。下のリンクにバス情報が載っています。

接続情報 - えちぜん鉄道株式会社

実際に行った注意点ですが、上記のバスの時刻表を参考に帰りのバスを待っていたのですが、時間になっても来ません。バス停に掲載されているものを確認しましたが間違ってはいなさそう・・・。

その後少ししてバスが来たのですが、運転手の方に「少し待ってから出発する」と言われました。お話を伺ってみるとバスの時刻表に変更があったとのこと。

ですので、上記の時刻表は参考程度に留めておくことをお勧めします。

(とは言え、本当に変更したのならネットの情報も更新しておいてほしい・・・。)

今も同じなのかはわかりませんが、自分が行ったときの時刻表は電車の接続には合わせてはいたので、その点は心配いらないと思います。多分。(勿論予定していた電車にも乗れました。)

ちなみに、バスの料金は毎日運行しているローカル線が200円、土日祝限定の観光バスが300円となっています。

 

自分はローカル線に乗って向かったので、乗車時間は30分ほどとなりましたが、観光バスの方は長くても15分位で着くようです。ただ本数が少ないのでその点も気を付けなくてはいけません。

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そして到着!

平泉寺白山神社とは、「へいせんじはくさんじんじゃ」と読みます。「ひらいずみ」ではないです。717年に泰澄(たいちょう)によって開かれたと言われており、明治時代までは霊応山平泉寺という名称でした。

また、かつては源頼朝に追われた源義経らが、山伏に姿を変えて奥州に逃げる途中でここに立ち寄ったと言われ、義経や弁慶に関する伝説も残っています。

 

さてここで気になることが一つありませんか?そう、

ここは寺院なのか、それとも神社なのかという点です。

 

そもそも、名前にもなっている「白山」は富山・石川・福井・岐阜県の4県にまたがる両白山地の中央に位置する山で、富士山・立山と合わせて『日本三霊山』に数えられています。霊山とは、神聖視され信仰の対象とされた山、即ち山岳信仰の対象の山を指し、この白山も古くから信仰の対象でした。白山から流れる豊富な水によって人々の生活が成り立っていたため、山自体を水神や農業神といった神体として山岳信仰の対象となり、白山を水源とする九頭竜川手取川長良川流域を中心に崇められていました。(このような日本古来の純粋な信仰を『古神道』といいます。)

 

古くは紀元前91年に白山を拝むための遥拝所「まつりのにわ」が創建されたと言われており、祭神は菊理媛尊(くくりひめのかみ、白山の白山比咩(ひめ)神と同一視されている)、伊邪那岐尊イザナギノミコト・伊弉諾命)、伊邪那美尊イザナミノミコト・伊弉冉命)の三柱でした。(この3柱には黄泉の国で揉める伊弉諾と伊弉冉の仲を菊理媛尊が取り持つという有名な話がありますね。)

その後、6世紀中ごろに中国から仏教が伝来し、奈良時代には疫病等を納めるため鎮護国家思想が広まったこともあり、日本の古神道と仏教との信仰体系の融合、所謂、『神仏習合(※)』が進んでいきました。この白山にまつわる山岳信仰神仏習合の影響を受けています。

神仏習合:簡単に説明すると「神と仏は同じ存在」という考え方。

 

神仏習合の流れの中に山岳信仰と仏教(特に天台宗真言宗などの密教)が結びついてできた『修験道』と呼ばれる日本独自の宗教があります。これは霊山に入り修行を行うことで悟りを開き、山の霊力を吸収し人々を救済するといったものでした。その修行者を『修験者』といい、奈良時代にはこの修験者が霊山を開山(仏教寺院を開く)するようになっており、泰澄もこの修験者でした。泰澄によって白山が開山されたことで、古来よりあった白山の信仰と修験道が統一化され、『白山信仰』という新たな体系化された宗教へとなりました。

 

泰澄が開山にいたる際の伝承として、白山の主峰、御前峰に登って瞑想していた時に緑碧池(翠ヶ池)から十一面観音垂迹(仏が仮の姿である日本の神に変えること)である九頭龍王(くずりゅうおう)が自らを伊弉冊尊の化身で白山明神・妙理大菩薩と名乗って現れたことが白山修験場創設の由来となっている、というものがあります。いやこれもうわけわかんねぇな。

神仏習合について補足すると、「仏が主体であり、神は仏が姿を変えた」とする『本地垂迹』という説が存在します。古神道には「ケガレを忌避する(物忌みなどを行う)」という思想がありましたが、「ケガレから根本的に離脱できる」という解決策を提示する『浄土思想』が仏教側から広がりました。浄土思想とは末法からの救済・極楽浄土への往生及び成仏を目的とした思想のことです。仏教は元々インドのヒンドゥー教を由来としており、インドの世界観では、末法の世の日本人は堕落し救済されがたく、正当な方法では救済できないとされていました。そこで、仏が神の姿を取り現れ、厳罰によって人々を導くことで救済を目指す、というのがこの本地垂迹説の意味するところとなります。これにより、仏教が古神道を吸収する形となり、神仏習合はこれまではただ「神と仏は同一の存在である」という概念だったものから、「仏は全能の存在である」という内容で理論化されるようになりました。鎌倉時代中期以降には、逆に「神が主体であり、仏は神が姿を変えた」とする『本地垂迹』が古神道側から出され、仏教から独立する動きが発達していきました。

 

おそらくですが、8世紀にはまだここまでの理論付けがなかったため、上記の伝承の中の神仏がごちゃごちゃしているのではないかと思います。

ついでに言うとある時期は、白山妙理菩薩は白山比咩神(菊理媛尊)とも同一視されていたため、白山比咩神は白山妙理菩薩でもあり伊弉冊尊でもあり菊理媛尊でもあるという存在になっていましたあぁ、もう無茶苦茶だよ。

原因は、本来「白山妙理菩薩≒伊弉冊尊≒白山比咩神」であったが、ある書物に記載された内容を読んだ人物が「菊理媛尊は白山妙理菩薩である(=白山比咩神でもある)」と誤認し、その異説が流布、同一性を獲得するに至ったようです。

 

ちなみに、仏が神の姿を借りて現れた姿のことを「○○権現」と言いますが、この「権」と言う字には「臨時の」や「仮の」といった意味があるそうですよ。

 

翌年718年に泰澄は御前峰にを築き、白山妙理大権現(白山明神・妙理大菩薩)を奉祀しました。

平安時代には、加賀(石川県)・越前(福井県)・美濃(岐阜県)に白山への「禅定道(山頂に上るまでの山道)」が設置され、「加賀の馬場(白山比咩神社)」、「越前の馬場(平泉寺白山神社」、「美乃の馬場(長滝白山神社」と呼ばれました。※括弧内は現在の名称。また「馬場(ばんば)」とは禅定道の起点場所。

そして834年にはそれぞれの馬場に白山寺、平泉寺、長滝寺の神宮寺が建立されました。※神宮寺とは、神仏習合が進んだ結果、その思想に基づき神社内に建てられたお寺のことで、神社とお寺の関係(例えばどちらが主体だったかなど)は様々でした。とは言え、神社ありきのお寺なので普通に考えれば、神社が主体なのは間違いないですね。逆にお寺が主体でそこに神社が建てられた場合、その神社のことは「鎮守社」と言います。

 

つまり、平泉寺(現名称:平泉寺白山神社)は越前側に開かれた白山信仰のための拠点寺院ということになります。

平安時代後期である1084年にこの平泉寺は延暦寺の末寺になり、霊応山平泉寺となりました。また、それに続くように他の寺院も延暦寺の勢力入りを果たし、それぞれ白山寺白山本宮、白山中宮長滝寺という名称になりました。そして、718年に御前峰に建てた社。これが白山頂上本社(現在は白山比咩神社奥宮)として扱われることになりました。

 

この霊応山平泉寺ですが、発展を続け室町時代後期の最盛期にはおおよそ1k㎡の土地に48社、36堂、6000坊の院坊を備え、僧兵8000人を抱える要塞宗教都市とでも呼べるような勢力となっていました。

そして1543年には白山寺白山本宮が持っていた白山山頂の管理権や入山料の徴収などの利権を奪おうとしたことで、以後かなり長い間揉めることになります。(白山中宮長滝寺も巻き込まれて争っています。

結論から言えば、1743年に江戸幕府寺社奉行によって、御前峰・大汝峰の山頂は平泉寺、別山山頂は長瀧寺(白山中宮長滝寺)が管理すると決められ、平泉寺は白山頂上本社の祭祀権を獲得しました。やったね!

 

ただ、1574年に起きた越前一向一揆により全焼しており、10年後に一部再興されましたが、元の10分の1程度に過ぎなかったそうです。しかし、平成元年の1989年から始まった遺跡発掘調査により当時の境内の遺構がそのまま埋まっていたことが判明し、現在も発掘調査が進められています。ちなみに現時点で発掘できているのは全体の1%ほどだそうです。流石の広さとしかいいようがない。

 

その後、明治時代に入り明治維新の中で、1868年に神仏分離令が出されました。これは神仏習合を禁止し、神社(神、神道)と寺院(仏、仏教)をそれぞれ独立・分離させるものでした。明治政府は今までの江戸幕府のような武家政治から天皇を君主とした政治体制を実現させるため、神道を日本の国教としようとし神仏分離令を出すに至りました。

元々神仏分離には「神仏を区別する」という意味しか持ちませんでしたが、次第に拡大解釈され、「仏教排斥」の意味を持つようになりました。そして、長年仏教に虐げられてきたと考えていた神職者や民衆によって、寺院や仏像など仏教に関わるものを破壊し排除する「廃仏毀釈」の運動へと発展していきました。これにより歴史・文化的価値を持つものが多数失われたのは残念なことだと思います。

 

ただ、神道国教化の下準備として神仏分離を出しましたが、結果としては神道国教化は失敗しました。神道を国教とするために宣教をしなくてはいけませんでしたが、神道関係者は宣教経験が乏しかったため、仏教界の協力が必要不可欠でした。そのため政府機関に神仏共同布教体制が敷かれることとなりましたが、この共同体制も廃仏毀釈による関係悪化を受け廃止されました。

いろいろ考えてから政府が動かないのは今と大して変わらないな!

また神道国教化にはキリスト教排斥の目的もありましたが、こちらも西洋の国々からの信教の自由の保障を求められたことで、禁教令を廃止したことなどに伴い意味を失い、神道国教化の廃棄へと繋がっていきます。

 

とは言えこの神仏分離によって打撃を受けたのは何も仏教界だけでなく、修験道陰陽道の廃止を始め、日常の伝統的習俗が禁止されたことで、修験者・陰陽師世襲神職等の伝統的宗教者にも影響を与えました。

 

さて少し話がそれましたが、神仏分離の影響はここ白山にも影響を与えます。

修験道に基づく白山権現は廃社となり、寺号を捨て神社として生きていくことになりました。これにより現在全国の白山権現社の多くは、菊理媛尊を祭神とする神道白山神社となっています。白山寺白山本宮は白山比咩神社に、霊応山平泉寺も平泉寺白山神社に強制的に改組され、白山中宮長滝寺は廃寺こそ免れましたが、長滝白山神社天台宗の長瀧寺に強制的に分離させられました。また寺院関係の建物は解体され、仏像なども一部を残し破壊されてしまいました

余談ですが、その後、歴史史料が調査され3社の中で白山比咩神社が最も古いことが分かったため、全国の白山神社の総本社とされ、白山山頂は白山比咩神社境内となり奥宮が置かれました。主要な禅定道も白山比咩神社の管轄となり、江戸時代の判断とは逆転する形になりました。

 

さて長々歴史も交えて記載しましたが、最初の問いに対する回答はこのようになります。

Q.ここは寺院なのか、それとも神社なのか?

A.平泉寺白山神社は「神社」となります。

 

ここまでたどり着くのにほんと長かったですね。お疲れさまでした。

情報を整理してまとめて書くのは楽しかったので反省はしませんが。

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では、改めて平泉寺白山神社の紹介をしていきましょう。

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2枚前の画像の左側に行くとある「顕海寺」。一向一揆の後建てられたそうです。

ちなみに、ここの鳥居までの坂を『精進坂』と言うそうで、「菩提をもとめて煩悩を断じ身を清め心を慎む」という意味から名付けられたそうです。ちなみに昔はこの坂より上には魚の持ち込みは禁止されていたそうですよ。

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鳥居の先はこんな感じになってます。

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平泉寺白山神社は梅雨から夏にかけて一面に見事な苔が見られることから「苔寺」と呼ばれています。苔寺と言えばもう一つ有名な京都のお寺「西芳寺」がありますが、アクセス的にも西芳寺の方が行きやすいとは思います。

井まで出る手段が面倒なのが悪いよ手段が~。

今回訪れた時期が7月の終わりで、理想的な時期からひと月ほど後ろにずれていたので、ピークは逃してしまっていましたが、名残は感じることができました。

(検索したらピーク時の画像が出るので気になった人は検索してほしいな)

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拝殿。一向一揆によって焼失した後、江戸時代に再建。

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中宮平泉寺」と書いてあります。

奥まで歩いていくと一際目立つものがあります。拝殿です。

拝殿の中には十数面の絵馬があり福井藩松平家の奉納品が多く、ほとんどが勝山市文化財に指定されているとのこと。焼失前の拝殿は京都の三十三間堂よりも大きかったそうですよ。あそこも中々でかいのにあれ以上あったのか・・・。

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本社。1795年に再建されたもの。

拝殿の後ろに回ると本社(本殿)があります。また本殿左側に別山社が、右側に越南知社(おおなむちしゃ、別名:大汝社)があります。この3社は白山を構成している3つの山を表しているそうです。また、本社の扉は33年に一度しか開けられず、次に扉が開けられるのは、2025年(平成37年)みたいです。

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本社から右手に進むとさらに奥へ行く道が現れる。

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三ノ宮。明治22年に改築されたもの。

写真の札にも書かれている通りここでは、栲幡千々姫尊(たくはたちぢひめのみこと)を祀っています。また、ここから先が白山へ上る禅定道ともなっています。流石に登山用具などもないし、午後に入ってからの登山などアホの極みなので、今回はここで引き返します。

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三ノ宮をバックに。

観光客の数はそこまで多くなく、木々に囲まれた場所なので、こちらも大変涼しかったです。また、かなり多くのひぐらしが生息しているようで、鳴く音が辺り一面に響いていました。覚えているくらい印象深かったということです。

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苔むした常夜灯。明かりがついたらどんな感じなのか正直気になる。

ここでの滞在時間は大体1時間くらいでした。1時間あれば十分だと思います。足りすぎて困るくらい。また、近くに小さいですが歴史資料館である「白山平泉寺歴史探遊館 まほろば」があるので、そちらも周られるとよいかと。

なんと入場料無料です。

www.city.katsuyama.fukui.jp

大体こんなことをして過ごして平泉寺白山神社を後にしました。

今度は石川県の白山比咩神社にも行ってみたいです。

 

そうして14:20発の電車でいったん福井駅まで戻ります。

次回は戻ったところから。

 

ここまでで漸く1日の2/3が終わったところなんだぜ?

どうしてこうなった。

どうしてこうなった。

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まだまだ現役な丸形ポスト君

鉄道日本一周-<北陸編>② 福井(永平寺)

こんにちは、しゅー太です。

 

ブログ熱が戻り始めてから仕事と勉強が手に着かないので、

ひと段落つけないとまずそうな気配がプンプンします・・・。

 

前回は朝一で氣比神宮を訪れたところまで書きました。

敦賀駅を出発して福井駅へ向かう所からスタートです。

 

[1日目:2018年7月28日(土)]

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初手から全力の挨拶が僕を迎える

「なんだこいつは・・・」

敦賀駅のホームの椅子に我が物顔で腰を掛けている恐竜?の像に思わず声が出てしまいました。

白衣を着て化石を見せつけてくるこいつの名前は「恐竜博士」と言うらしいです。

2015年に敦賀駅の他に芦原温泉駅福井駅といったJRの駅に設置されたとのこと。

ちなみに恐竜博士が座っているこの椅子は「ダイノベンチ」という名称がついていました。どうでもいいね!

 

何故、このようなものが設置されているのかと言うと福井県は恐竜と大変関係のある県だからという他にありません。

その歴史は1982年に中世代白亜紀(1億4500万年前~6600万年前)前期のワニ類の全身骨格化石が見つかったことから始まります。要するに恐竜が生きていたと考えられる時代の地層から化石が見つかったということですね。

その後、福井県は約30年以上に渡って化石調査を続け、その間に6体もの新種の恐竜が発見されています。(勿論その恐竜たちには福井県の地名が入っています。)

凄いですね!

またそれまでの化石調査の実績から、国内最大級の地質・古生物学博物館として、福井県立恐竜博物館が2000年に設立されました。

 

福井県としてはその恐竜を全面に押し出して観光地アピールをしているという訳ですね。適当な紹介をしてごめんね。でも中々威圧感あって隣に座る気にはなれなかったよ。

まぁ、今回は恐竜博物館には寄らないんですけどね。

最後まで迷ったのですが、この時恐竜あんまり興味なかったのが如実に表れていますね。沢山解説したし、次福井訪れたときは必ず行くから許して・・・。

 恐竜博士にはここでも会えるので、訪れる人は駅での別れを悲しまなくて大丈夫ですよ!

ひとまず恐竜博士とはオサラバして、福井駅へ向かいます。

時間は大体1時間ほどで到着します。

ちなみに、この当時敦賀駅福井駅にはまだ改札がありませんでした。

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ロールアウト直前の改札が今か今かと始動の時を待っています。

2018年9月になり両駅で使用され始め、ようやくJR西日本管轄の中で最後の自動改札機のない県を脱出することとなりました。ちなみに合わせてICカードICOCAも使用できるようになり敦賀福井駅の他に17駅で使えるようになったとのことです。

とりあえず主要駅ではICOCAが使えるようなので、これ一枚でも移動できるようになったなり一安心できるといったところでしょうか。

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福井駅。壁には恐竜が。

写真には写っていませんが、駅前には巨大な動く恐竜のオブジェが配置されています。

ここまで恐竜が侵食しているプッシュされている県は他にないんじゃないですかね。

まさに恐竜の国って感じです。

 

さて、福井駅まで来たわけですが、ここは経由地点にすぎません。

次の目的地、永平寺へと向かいます。

 

移動方法は鉄道ではなくバスを使用します。

補足しておくと、永平寺までは「えちぜん鉄道」というローカル線が福井県にはあり、こちらを使用し、永平寺口駅という駅まで移動した後、バスで永平寺まで向かう方法があります。

www.echizen-tetudo.co.jp

ただ、今回はバスを使用した方がすぐに出発でき、早く着くことができるので、バスを選択しました。バスは「永平寺ライナー」という30分ほどで向かうことのできる便利なバスを使用しました。(下記リンクから時刻表へ飛ぶことができます)

bus.keifuku.co.jp

このバスに乗るためには乗車前に乗車券を「バスチケットセンター(リンク貼ってます)」で購入する必要があるので、その点だけ注意してください。

ちなみにバスはリムジンバスったので、「あれ?普通のバスじゃなくてこれでいいの?ほんと?」と何も知らなければ少し不安になるかもしれないですね。僕はなりました。

乗車券を買ったらバスへと向かいます。(バス乗り場もチケットセンターも東口にあります。)

チケットセンターの場所がわからなければ、西口を出てすぐにある観光案内所を訪れるといいでしょう。バスの時刻表など必要なものはここで調達することができます。

 

10時半ごろ永平寺門バス停に到着。

バス停から永平寺までは5分位歩くことになります。

ちなみにここの凄いところは、永平寺に行くまでの道が商店街(まぁお土産とか売ってるところ)になっているんですが、なんとwi-fiが通っているんですよね。(ただ永平寺の中にはないんですが。。。)

こういった地方の方が快適さの面で発達してるんですよね。

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永平寺曹洞宗鎌倉時代に成立した仏教)の大本山で、曹洞宗の開祖でもある道元がこの寺院を1244年に開きました。曹洞宗とはざっくりふんわり解説すると「ひたすら座禅を組めば悟りを開ける(只管打坐)」を特徴とした仏教です。

ご本尊は釈迦如来弥勒仏・阿弥陀如来です。

元々道元は「天台の教えだと、人は生まれながらに本来悟っているはずなのに、厳しい修行をしなければ悟りが得られないのはおかしい」という考えの持ち主でした。

答えを見つけるために臨済宗栄西の弟子に師事しましたが、答えは見つけられず本場である中国へ渡り、仏法を学びました。そして帰国後少しごたごたがあった後、永平寺を開くに至りました。

 

ちなみに永平寺と並ぶ曹洞宗大本山が神奈川県の横浜市にあるので、「時間も金もない上に遠すぎて福井まで行けねぇよ」と言うそこのあなた。こちらがおすすめです。

總持寺(そうじじ)

大本山=中心寺院なので一つとは限りません。興味があれば「本末制度」で調べてみてください。江戸時代に成立した制度です。

 

以下、こんな感じの雰囲気の場所です的な紹介。

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永平寺の建物までの道

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さぁ行きましょう

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天井のマス(?)ひとつひとつに花の絵柄があります。

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道元を祀っている御廟

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山門の下から

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山門に祀られている守護神である四天王。南方増長天(左)と西方広目天(右)

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反対側。北方多聞天(左)と東方持国天(右)

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こんな感じで永平寺を見回ってきました。いやー楽しかったです。
永平寺は見どころも多く、広い敷地を歩くことになるので、

余裕をもって拝観に1~2時間くらいは見ておいた方がいいと思います。

観光時期は夏でしたが山の中だったので、そこまで暑くなかったです。

 

余談ですが、永平寺の一部はまるで旅館かと思うような場所があるので、

実際に目の当たりにするとギャップに驚くかもしれません。

まさかエレベータがついてたり真っ赤なカーペットが引かれてるとは思わんやん・・・。

 

そんなこんなで1時間ほど滞在して、次の観光のため移動します。

ひとまずバスを利用して、えちぜん鉄道の駅である永平寺口駅へ出ます。

このままえちぜん鉄道を使用して勝山という場所へ向かうところから次回は始めて行きたいと思います。

 

 

意図してないのになぜか観光地ごとの記事になってる。

なんか完結する気がしねぇ・・・。

 

 

鉄道日本一周-<北陸編>① 福井(敦賀)

こんにちは、しゅー太です。

約3か月振りの更新となりました。

 

昨今は新型コロナが世界的大流行を見せ、行動に自粛が求められたり遊びに行こうにもお店が営業していなかったりで、窮屈な感じですが仕方ないですね。

こんな時だから、過去の思い出を振り返り、

気持ちだけでも解放されたいなと思ったので久しぶりに触りました。

(他にすることが制限されたし、今戻らないと一生ブログ再開しない気がしたのである意味助かった。)

 

さて今回は福井や富山など北陸を中心に巡っていきます。

時期は2018年7月27日(金)~8月1日(水)の6日間。

もともと2019年のGWに実施した四国巡りをここでやろうと思っていたのですが、直前に起こった西日本を中心とした豪雨による土砂災害などにより、多くの路線が断線してしまったこと、被災地となって復興に尽力されている方々いる中で、ぶらぶら観光できるほど図太くもなかったので、時期を見送りました。

今思い出しても、あの当時の雨量は劇的だったと思います。2019年はそこまで多くなかったので、もう少しバランスとってくれ神様・・・。

せっかくなので詳細も→平成30年7月豪雨 - Wikipedia

 

というわけで、急遽プランを変更し、北陸へ行くことにしました。

休みもまとめてとっていたのと、四国に行く手段を先に抑えていたので、それを活用できる場所が限られていたことも決めての一つでした。

一つ難点があるとすれば、北陸はJRではなく基本第三セクターでの移動となるので、18きっぷ等のJRのフリーパス系のきっぷが使えないことですね。それぞれの会社でフリーパスはあるようですが、移動のタイミングもあって今回は特に利用しませんでいた。

というか下調べが足りなくて存在に気づけませんでした。

今まで金沢には何度か行ったことはあったのですが、それ以外の県に訪れたことがなかったので、せっかくだしいい機会かなと。

この旅に出る前は 、

 

富山や福井を単品で旅行する日が来るわけないだろ!!(失礼)

 

とか思ってましたが、「次はゆっくり堪能できるように計画して来たいなぁ」と思えるくらいには見どころがある良き場所が多かったです。

それでは、纏めて行きたいと思います。

 

[0日目:2018年7月27日(金)]

日中は普通にお仕事だったので、いったん帰宅し必要な荷物を取り、服を着替えて出発。 

23時ごろ電車に乗車し、東海道線で小田原へと向かう。

何故わざわざ小田原に向かうのかというと

ムーンライトながらを利用して大垣まで行くためです。

ja.wikipedia.org

※JRのホームページに紹介が見当たらなかったのでwikiを引用

 

ムーンライトながらとは簡単に言えば、「18きっぷの発売期間限定で乗車できる夜行列車」で、東京-大垣間を運行しています。夜行列車には他にサンライズ系がありますね。(まだ未乗車)

サンライズとは違い特急券は必要ないので、18きっぷさえ所持していれば指定席券を購入するだけで乗車することができます。指定席の値段は520円(当時価格)です。閑散期なら200円ほど低いです。

18きっぷは当時11850円なので日割りで考えると2370円。指定席券と合わせて2890円で岐阜の大垣まで移動することができます。現在の値段では18きっぷが12050円のため日割りで2410円なので、2930円となります。

 

これに乗車して、旅先で朝一から動こうというのが狙いです。

元々これで大垣まで出た後、四国へ乗り継いで移動しようとしていましたが、冒頭の理由から急遽予定を変更し、大垣まで出た後そのまま北上し福井入りを目指します。

 

ムーンライトながらはかなり人気のため、指定席券を取るのであれば1か月と1週間前から予約できるえきねっとから予約をするといいでしょう。(発券はみどりの窓口か券売機)

 

ムーンライトながらを利用する際のメリットは、

①安い、②夜間に動ける、③夜行バスよりは振動に悩まされない

などがありますが、以下のデメリットもあります。

・車内の明かりはつきっぱなし(アイマスク耳栓が必要な人は買っておくべし)

・座席は横一列のシート(通路の狭い新幹線みたいな感じ)

・場合によっては騒ぐ人たちと同車両になるかもしれない。

 

ネットをさぐればいいところも悪いところもより出てくるはずなので、調べた上で検討してみてください。自分は「一度は夜行列車に乗ってみたいな」と思っていたので今回使用しました。

 

それから東京ではなく小田原までわざわざ出た理由ですが、東京や横浜からだと23時台の乗車になり、18きっぷを使用してしまうと1日分消費してしまうので、0時を過ぎて乗れる場所として小田原駅から乗車することにしました。

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深夜の小田原駅。他にもムーンライトながら待ちの人が。

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ムーンライトながら到着

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ムーンライトながら車内の様子

夜間に走る列車の中から見る景色というものを楽しみにしていたのですが、中が明るすぎて窓に中の様子が反射。全く見えませんでした。悲しい。

また、幸い自分が乗車した列車ではうるさくする人もいなかったので、それなりに眠ることができました。

そして、5:50に大垣へ到着。そしてそのまま乗り換え米原へと進みます。

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6:27米原着。時間もあったので写真も撮った。

このまま北上して目的地へと向かいます。

最初の目的地は敦賀。ここにある氣比神宮へと訪れます。

氣比神宮には厳島神社の「大鳥居」、春日大社「一之鳥居(大鳥居)」と合わせて、日本三大木造鳥居と呼ばれる鳥居があります。日本三大○○と言われると見てみたくなる。

祭神は7神おり、主祭神として伊奢沙別命いざさわけのみこと)という神様が祀られています。こちらは御食津大神(みけつおおかみ)とも呼ばれています。御食津神とは食べ物を司る神様のことで、御食津から転じて「氣比」と呼ばれるようになったと言われています。また、伊奢沙別命は古くから海上交通や農漁を始めとする衣食住の生活全般を守護する神として崇められてもいます。

 

氣比神宮まではバスで移動。大体5分しないくらいで着きます。距離的に歩けますが、今回は詰められるところは詰めて移動することにしたので、時間があれば帰りは歩きます。

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敦賀駅。比較的しっかりした建物だった。

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氣比神宮へは4番線から向かいます。

氣比神宮前で降りて、朝8時に到着!

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綺麗な鳥居がお出迎えしてくれます。そこまで大きくはない。

朝を狙ったのはそのあとの行動時間を増やすためという意図もありましたが、人が来ないうちに写真とかを撮っておきたかったのもあります。特に島根の出雲大社なんていつ行っても激込みですからね。8時くらいに着くくらいで個人的にちょうど良かったです。

 

まっすぐ進んでいくと松尾芭蕉の像が出迎えてくれます。

台座にはかつて中秋の名月を見るために氣比神宮を訪れた際に詠んだ詩が刻まれています。

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”月清し遊行のもてる砂の上”と書かれています。

他に見れるところは後回しにして先に参拝を済ませます。

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拝殿前の鳥居

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晴れていたら良かったのに。。。

朝早すぎたのもあり、お守り等はまだ販売されていなかったので、お参りだけ済ませて散策。社殿の横には「九社の宮」と呼ばれる本宮と関係が深い神様が祀られている社があります。

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伊佐々別・天利劔・天伊弉奈姫・天伊弉奈彦・擬領・劔・金・林・鏡の9社

皇室ゆかりの地でもあるため、門には菊家紋が見られます。

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敷地内には以下のようなものも存在します。

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1936年に陸軍関係者から送られたというユーカリ

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絵馬堂。その名の通り絵馬が多数飾られている。

氣比神宮はそんなに広くないので、30分あれば十分回れると思います。

電車の時間もあるが、余裕はあるので帰りは歩いて駅へ向かいます。

敦賀駅から氣比神宮を繋ぐ大通りには「銀河鉄道999」及び「宇宙戦艦ヤマト」の名シーン等を再現したブロンズ像が設置されています。駅から見て右側の通りに「銀河鉄道999」、左側の通りに「宇宙戦艦ヤマト」が並べられています。氣比神宮へお参りの際には行きと帰りで違った楽しみを味わえるのが良いところかもしれません。

なぜ配置されているのかは下記写真にて。ところどころ抜けてるけどまぁ読めるやろ・・・

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銀河鉄道999」の登場人物である鉄郎とメーテル

ちなみに私は像と解説をじっくり見ながら駅に戻ったおかげで反対側にある「宇宙戦艦ヤマト」の像を見ることができませんでした。

アホだね。

訪れた皆さんは是非どちらも見ていってください。見ごたえはあります。

 

時刻にして現在8:50。

ここから1時間かけて福井駅へ向かいます。

そんなところで今回はここまで。

福井に入った後は、永平寺東尋坊一乗谷などを巡っていきます。

 

鉄道日本一周-<千葉編>②銚子

千葉の南と言えば魚介が有名ですね。

特に勝浦あたりが検索でヒットするんじゃないでしょうか。

今回は時間の都合で下車しませんでしたが、おいしい魚介をぜひ食べに行きたいですね。

とは言え、(どこでもそうですが)そういった「○○で有名な」場所というのは得てして、観光地価格に引き上げられどうしても「足元見られているなぁ」と感じてしまいます。それを考えてしまうと、行かなくて正解なのではないかという気がして足を運びたくなくなる残念な人間が私なのです。まぁあまりにも「滅多に行けない場所」ということであれば希少性とを秤にかけ、食べに行くとは思いますが、何で今回は千葉。行きたければいつでも行けるが故に一生行かない運命にあると思います。

観光地にしてもわざわざ近いと行かないですからね。スカイツリーとか。

 

[2日目:2018年9月2日(日)]

朝7時にビジホを出発。前日まで天気は雨予報だったが幸いなことに茂原は曇り。いつもだったら若干の蒸し暑さを感じる時間帯になってくるが、曇りのおかげでわりと快適に過ごせそう。

目指すは銚子の先にある犬吠埼

茂原からだと一度大綱まで出た後、外房線から東金線へと乗り換え成東へと向かい、さらに総武本線を利用し、計3階の乗り換えで銚子へ向かうことになる。時間にしてざっと2時間くらいなのでそこまで長くはない、はず。というかもう慣れてどのくらいから「長い」となるのかわからなくなってしまった。

 

銚子駅からは第3セクターである銚子電鉄銚子電気鉄道)を使います。

この鉄道の有名なところは「ぬれ煎餅」や「まずい棒」といったお菓子食品の製造販売を行っているところですね。少し前には経営が危なくなり、メディアにも取り上げられたことで話題にもなりました。

 

銚子電鉄の気に入ったところは、車両の中におススメポイントをまとめたものが掲載されており、無計画で乗りに来ても一通り楽しめるように仕込まれているところがよかったです。

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こういうのいい

その鉄道の色が見えていて色んな鉄道会社でもっとよそと差別化出来る特色が出てくれば、訪れる楽しみが増すのになぁと勝手ながら思っています。

 

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関東最東端の駅もある。それが銚子電鉄



目指すは終点手前の犬吠。間違えて最後まで乗らないよう気を付けましょう。

駅から犬吠埼までは歩いて10から15分ほど。道に関しても駅に案内図が張り出されているので迷うことはないと思います。

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道もそこまで複雑じゃない

また、犬吠駅には銚子駅から出発する列車との接続についても掲示してあり、いちいち調べなくて済むので助かります。行動時間は列車との都合を見ながら決めましょう。

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犬吠埼に着くまでには2020年1月現在、一時的に閉館している犬吠埼マリンパークがあります。イルカショーなんかで有名だったみたいですね。こちらは再開の目途がたったようなので、再開したら訪れてみたいと思います。 

 

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館前の恐竜は犬吠の崖の層が白亜紀のもののためそれを身近に感じてほしいとの思いから設置されたらしい。

検索結果

ウェブ検索結果

 ただし、モデルとなった恐竜はジュラ紀のもので、設置当時に流行った恐竜ブームに便乗しただけらしい
納得しかけたのに最後適当なのよくない。
 
犬吠埼灯台は、レンガ造りの灯台で全体が白く塗色されています。
近くにはポストがありますが、こちらも統一性を持たせるためか白く塗られています。

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中は200円の料金を支払うことで見学することができ、20分もあれば見終わります。近くには飲食店の入った建物があるので、その点の危惧はいらないかと思います。
 
ただまぁ、当たり前のことですが風が強い
その点にはご注意いただければと・・・。
 
あとは特筆して語ることもなく、帰りは時間もあったので、ここから君ヶ浜駅まで海岸を眺めながら歩いて、列車に乗車。銚子へと帰還しました。

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やる気に満ち溢れた駅やる気。銚子。

この後は、少し時間ができたので銚子から茨城を眺めに行きましたが、すぐ雨が降り出したためあえなく退却。

他にしたいこともなかったので、横浜への帰宅を決める。せっかくなのでルートは千葉県境をギリギリで通れる路線にしました。(鹿島線成田線

おかげで帰宅するのに1時間くらい多くかかりましたが、たまにはいいでしょう。

 

以下が今回使ったルートになります。

ざっくり適当に計画したため、見逃したものも多かったですが、また来る理由にもなるので問題なしです。

千葉を周るだけなら3日くらいみておけば十分鉄道で回れる気がします。4日なら完璧。

手軽に1県を巡れる場所はそこまで多くないと思うので、ぜひ計画して楽しんでみてください。

中々に楽しいものですよ。

 

今回はここまで。

 

ようやく北陸のまとめに移ることができそうだ。

鉄道日本一周-<千葉編>①館山

『千葉編』とは銘打ってみたものの、「日本一周と言うなら千葉の縁も周らないとな」という考えから2日でなぞったので、どちらかと言えば消化試合間のある旅になったものです。

実質おまけパートみたいなもの。

 

なのでサクッとまとめて行きます。二回に分けます。

訪問時期は2018年9月1日と2日です。

 

[1日目:2018年9月1日(土)]

横浜駅から横須賀線に乗ってスタート。

ひとまずの目的地は君津駅。ここで乗り換えて、館山方面へ向かう。

横須賀線とは相互直通運転なので、千葉に入ったあたりでいつの間にか内房線に切り替わってます。

まぁ、千葉駅から蘇我駅までは本来は外房線ですが、事実上内房線の扱いを受けています。

どうでもいいですね。僕もそう思います。

君津過ぎるあたりから単線になるのも意外でした。もう少し東京から離れないとないと思ってた。

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君津で乗り換え

この辺りになると観光地としてはマザー牧場がありますね。
それから、君津より千葉寄りになりますが海に浮かぶ電柱で有名な江川海岸なんてものもありますね。

今回はどちらも行きませんが。江川海岸の方は一度は行ってみたいですね。

 

最初の下車駅は浜金谷駅。ここの目的地は鋸山、つまり日本寺です。

日本寺には有名な大仏があります。この大仏は岩に彫刻されて創造されたもので、いままで見た大仏にこのタイプはなかったので、楽しみにしてました。

あと鋸山ではせり出した崖の先に行ってフォトジェニックチックな写真を撮ることもできる、通称「地獄のぞき」があります。

 

この日本寺は鋸山の上にあり、ここへ向かうメジャーなルートはロープウェイ。

浜金谷駅を降り、駅前から海沿いまで出たら左折、合計徒歩十分ほどでロープウェイ乗り場に到着します。

が、なんということか強風のため運行中止。他にはタクシーを使う、徒歩で登る(?)というものがありますが、想像以上に時間がかかってしまうため、あえなく断念。特にタクシーは一人だからこれだけで予算オーバーになりかねない。

 

今度の機会に回すことに。ちなみに、浜金谷までは久里浜からフェリーが出ており、30分位で到着するので、ちょっとした船旅気分を味わいながら行くことができます。

僕は次行くならこのルート使います。

 

さてこのまま館山に向かってしまうと想像以上に早く到着してしまうので、那古船形駅で降り少し寄り道。

 

グーグル先生の案内を頼りに徒歩20分くらいで到着。

大福寺。

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ここの本堂はなんと壁面に埋まるように建造されています。

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縁起などについては画像を参照。書くよりわかりやすい。

それにしても、9月に入ったばかりだからだろうか。いやに暑い。夏の残暑というか、夏はまだ終わっていないことを訴えるように身に応える暑さだった。

特に厳しかったのは、大福寺までの道のりで高い建物が一切なかったので、直射日光をもろに浴びてしまうこと。おかげで到着するころには汗だくで、駅近くで買っておいた500ミリの飲料水は底をついてしまった。

 

休憩がてら、本堂から景色を堪能する。

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夏はこの海辺で遊ぶ人が多いのだろうか。このあたりの地域性はわからないから想像するしかない。

また海辺なので、風が良く吹いている。火照った体にはちょうどよかった。

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それから何の用途で設置されているのかわからないもの。本当に何なんだ・・・

しばしの休息を終え、駅まで戻る。結局戻る過程でも太陽と相対することになり、また汗をかいてしまった。水分の補給はしっかりと。

 

今度こそ館山へ。那古船形駅からは5分くらい。

ここの目的地は、館山城。

館山には沖ノ島やその近くに海水浴場がありますがスルー。興味はあったんだけどね。

 

館山駅は結構おしゃれな感じ。駅周辺にそこそこ商業施設がある。

ただ、言っちゃ悪いが「駅周辺で完結している町」だった。「観光地」としてではなく「町」として。

 

館山駅から館山城まではバスを使用します。

バスはあらかじめ乗車券を購入しておくタイプ。路線バスに乗る際に初めてこの乗車スタイルに遭遇したのが多分ここだと思う。

 

バスの中から通りを見てみると呉服屋が多い印象だった。

なんか有名なのか気になる。(調べても特にそういう情報出なかったから気のせいだと思う。)

 

15分しないくらいで館山城下に到着。城下は公園になっている。

城は少し高いところにあるので、傾斜のきつい坂を登らないといけないのだが、なんと上までのシャトルカーがある模様。これを利用するかぁ、と思っていたところにちょうどシャトルカーが来た。

 

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んんんんんんんんん???????

なんだ、これは・・・。

しかも運転手が忍者の格好をしてる・・・。意味が分からない。

運転手に話を聞いてみると、頂上まで500メートルほどだが坂がきついためか、せっかく来たお年寄りの方が途中であきらめてしまうことが多々あったそう。

その対策としてシャトルカーの運用を試験的に始めて、現在は正式に運行しているとのこと。

察しのいい方なら気付いたと思うが、これは「お年寄り(=日本人)向け」の車であり、「外国人向け」ではない、ということである。運転手が忍者の格好する意味・・・。

ちなみに、シャトルカーの運行は休日のみで、平日は市役所員の出張に駆り出されているとのこと

 

くっそ目立ちませんかね、これ。まぁ、話のタネなんかにはなるだろうし、宣伝にも使えるから一石二鳥なんだろうね。

 

ちなみにこの時乗車したのは僕一人だけでした。

 

5分位で楽々館山城まで。ちなみに中に館山城ゆかりの品はほとんど(覚えてないだけでもしかしたら一切)ないです。あるのは「南総里見八犬伝」関連の品物ばかり。

まぁ、ホームページでも里見八犬伝博物館を謳っているので詐欺ではないです。

大きくもないのでそこまで時間もかからず回ることができます。

NHKの人形劇で使った人形や、江戸時代の写本とか関係する物なら何でも置いておけとばかりに詰め込まれていました。

 

南総里見八犬伝」とは、江戸時代の作家である曲亭馬琴によって創作された読本です。読本というのは、黄表紙(風刺などが込められた大人向けの絵本)や洒落本(風俗での遊び方ガイドブック)が規制された後台頭したジャンルで、これらに比べると文章量が多く挿絵が入るのが特徴。史実を取り扱いつつも内容は基本的にフィクションとなっています。ライトノベルを想像するといいかもしれません。

 

「犬」の字を含む名字を持つの若者八人(八犬士)を主人公とする長編小説で、巻数はなんと驚愕の106巻。またこの作品を書くのに馬琴は48歳から75歳までの27年間を費やしたそう。しかも平均するとおおよそ1,2年に1回5冊を出版している。
HUNTER×HUNTERなんかより色んな意味でえげつない

(生きているうちに読めなかった人が普通にかわいそう)

 

館山城は里見氏という大名が城主でしたが、その里見氏及びこの地域がこの作品の舞台になったため博物館として機能している感じですね。

 

興味のある方は是非。

 

さて、帰りは歩いて館山駅へと向かう。

海沿いから駅へと戻ったけど、駅から海沿いまで出る道の雰囲気良かったです。

ちょっとしたリゾートっぽさが出てて綺麗でした。

(写真撮ったはずなのに消えていた・・・)

 

それはそうと、館山は駅前に小さい郵便局があったけど、行ったときは閉まっていて困った。他にも郵便局はあったけど駅から少し離れていて不便でした。

やはり、駅周辺で完結する街、というのは便利なようでそうでない不器用さを抱えているように思いますね。

 

この後は、携帯の充電がぎりぎりだったため安房鴨川駅まででて、マクドナルドで充電。ネットで調べたら「コンセント有」って書いてあったのだが行ってみると全く見当たらない。記載ミスかなぁと落胆しながら一応店員さんに聞いてみると、なんとバックヤードから延長コードを持ってきた。だが見た限りどこにもコンセントがなかった。何処に差すのだろうか。。。と考えているとなんと出入口横にあるごみ箱を動かした。

するとその後ろからコンセントの差込口が現れたのだ。

コンセント有表記でまさか延長コードが出てくるとは思わなかったですが。

 

災難だったのは、その延長コード届く距離の席が入口をまたいだ先にしかなかったということ。

入店してくるお客さんの足を引っかけてしまいそうになるのはとても申し訳なかった・・・。

 

程よく充電出来た後は、安房鴨川を出発し茂原駅で下車。

ここは個人的に気に入った街でした。飲み屋もほどほどにあって、近くに生活用品を買える場所がある。かつそこまで人が多くない。遊べる場所はなさそうだけど千葉駅まででれば問題ない。千葉に住むならここがいいなぁと感じました。地域文化とか天候とか知らないから絶対いいとはまだ言えませんが。

 

そして晩御飯は「中華そば鷸 (シギ)」さんでいただきました。

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泡系ラーメンというのを初めて食べたのですが、かなり癖が強いんですね。。。

おいしかったのですが、自分はあっさり系が元々好きだったので、これからたべることはあんまりなさそうです。。。

 

この後ビジネスホテルにチェックインして終了。

小さめの昔ながらのビジホという感じでした。

 

翌日はこのまま北進して、銚子へ向かいます。

 

つうか本当に写真撮ってなかったんだな・・・。せっかく行ったのに。