こんにちは、しゅー太です。
go to キャンペーンが7/22(水)にとうとうスタートしましたね。
やるからにはいい結果が返ってきてほしいものです。
そしてもう8月・・・。早すぎるよ・・・。
さっそく前回の続きからスタート。
[2日目:2018年7月29日(日)PM 15:45くらい]
高岡駅で電車を降りて、目的地へ向けて歩き出す。
結局、瑞龍寺と高岡大仏のどちらにしたのかと言うと、瑞龍寺にしました。
大仏だと大仏見て「はい、終わり!」となりかねなかった。
中もいろいろ見れる瑞龍寺の方が楽しそうだなと思ったので、こちらへ行きます。
大仏はまた今度。
瑞龍寺までは駅から歩いて20分くらい。(意外と距離があった。)
いくつか信号を渡って、右へ左へ曲がりながら到着。
瑞龍寺は、江戸時代初期に加賀前田家3代目当主である前田利常(としつね)が、2代目当主の前田利長を弔うために建てた菩提寺です。形式は伽藍配置で、総門・山門・仏殿・法堂が一直線上に並ぶようにして建築されています。
伽藍配置と言えば、初期は重要視されていた仏塔(仏舎利を祀る建物)が、年を経るにつれて段々と外側へ配置され始め、最後にはとうとう門や回廊の外に追いやられていくというのが面白いですね。
仏舎利(釈迦の遺骨)よりも、本尊が祀られている本堂の方へ中心性、信仰の対象が移っていった結果という訳ですね。元々初期の仏教では、教え自体を崇めて像を作ることはなかったので、仏舎利が唯一形をもった信仰対象でした。しかし、6世紀半ば(『上宮聖徳法王帝説』では538年、『日本書紀』では552年とも言われている。)に日本へ仏教が伝来した際には仏像も合わせて伝来したため、寺院において必ずしも仏舎利や仏塔が信仰の対象ではなくなっており、仏像の方へ信仰がシフトしたという訳です。仏塔は時代とともに、信仰のシンボルから寺院のシンボル≒飾りにまで落とし込まれていきます。なので、寺院を訪れた際に仏塔がどの位置にあるかで、時代や信仰対象をざっくり判別できるようになるので、そういった点に着目して観光するのもひとつの楽しみ方だと思います。
また、瑞龍寺は曹洞宗の寺院で近世禅宗様式で建築されており、その代表作として山門・仏殿・本堂が1997年に国宝として登録されました。富山県初の国宝にして、現在でも唯一の富山県の国宝となります。(実際「国宝」と言う言葉に惹かれてここに来た感は否めない。)
禅宗が伝来したのは鎌倉時代で、その際に再び整然とした伽藍配置が行われるようになりました。(平安時代に入ってから密教などの山岳寺院では敷地の制約上、整然とした伽藍配置は見られなくなった。)また、禅宗寺院では塔を建てることはほとんどなく、建てられたとしても伽藍配置の一部としての機能は持っていないようでした。
(なんで禅宗寺院だと塔がないのか調べたけど「なぜ」の答えが出てこなかった・・・。誰か教えてください・・・。まぁ単純に禅宗がひたすら座禅による瞑想による悟りを目指す宗教で、あんまり塔とか関係ないからなんだろうなぁ・・・。)
そのため、瑞龍寺は直線上で建築物が並んでいるかつ塔がない寺院になります。
ちなみに瑞龍寺の伽藍は仏様の体を型取っています。
股間から入るなんてえっちだ・・・
では、いざ参りましょう。
正直ここへ行くなら晴れの日をオススメします。
山門は1746年の火災で一度焼失しており1818年に再興する際、両脇に設置されている金剛力士像は作成されたと言われています。その後たびたび修復されています。
金剛力士像は二体で一対として扱われ、寺院の表門に配置されることが多いです。
仁王の名前でも呼ばれています。サンスクリット語でヴァジュラパーニとも。
「金剛杵(こんごうしょ、仏敵を退散させる武器)を持つもの」と言う意味らしいです。
逆光の関係でこの向きでの写真はあんまり取れなかったのが残念。
正面が本堂です。
進路は右なので、右手から回廊へと向かう。
これは「魚板(ぎょばん)」と呼ばれるもので、これを叩くことで、時間や行事を知らせ人を集めたりするのに使われていたそうです。
魚の形をしているのは、魚は昼夜問わず目を開けているところから常に修行に精進するようにと言う意味が込められているとのこと。木魚はこれが原型みたいですね。
「魚梆(ぎょほう)」「魚鼓(ぎょこ・ぎょく)」という呼び名もあります。
東司(とうす)とは寺院におけるトイレのことです。東司と呼ぶのは曹洞宗
で、臨済宗では雪隠(せっちん)といいます。
この東司には、不浄を清める烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)が祀られます。
つまりトイレの神様という訳ですね。
2010年に植村花菜さんが発表した「トイレの神様」がヒットした際に烏枢沙摩明王も少し取り上げられたりしたので、それで知った方も多いのではないでしょうか。
最後に鬼瓦を見て終了。
これは山門の外にあります。
ちなみにここは春に期間限定で夜間ライトアップをしているそうです。
2020年はコロナの影響で中止になりましたが、夏の8月8日(土)~10日(月・祝)で開催予定となったそうです。詳しくは↓
瑞龍寺の観光を終えて、外へ出ると、なんと次の列車の時間まであと10分。
数少ない体力を振り絞って駅まで全力ダッシュ!
息も絶え絶えになりながら、なんとか列車が出る前に高岡駅までたどり着く。
瑞龍寺から走りっぱなしだったから、いろいろ限界・・・。
なんでここまで頑張ったかと言うと、次に行こうと考えていた場所が、暗くなってからでは意味がないから。
その場所は雨晴海岸。
読みは「あまはらし」。
日本海越しに標高3000mを超える山々からなる立山連峰を望むことができ、年始には初日の出を拝みに来る人も数多くいるそうです。
雨晴の由来は、その昔源義経が奥州へ落ち延びる際に、にわか雨が上がるのを待ったと言われる「義経岩」があることからその名前が付いたそうです。
四季折々でそれぞれ異なった顔を見せ、その美しさから多くの人々を魅了してきました。奈良時代の「万葉の歌人」としても知られる大伴家持は、ここを題材として数多くの歌を詠んでいます。
またこの「海越しに3000m越えの山々を望める」場所というのは、世界で唯一この雨晴海岸のみなのではないかとも言われています。
確かに海越しで山を見ることって考えてみると中々なさそうですよね。
そんな場所なので、ここはぜひ押さえておかなくては。日が暮れて見えなくなる前に。
ということで、向かっている訳です。
高岡駅から雨晴海岸の最寄り駅である雨晴駅まで20分ほどで到着します。
ちなみに、高岡駅から雨晴駅区間はJRです。なので18きっぷが使えます。
流石に勿体ないので使いませんでしたが。
駅を出て右に進んでいくとこじんまりとした踏切が見えるので、それを渡って海側へ出る。
ここを抜けたらもうすぐそこが海です。
ネットでよく見る角度のスポットに行くには端に行く必要があるので、渡った後で右に曲がり直進します。
道中も写真に収めておけばよかった。
途中日本人じゃない、多分アジア系のご家族と思しき人たちが、音楽流しながらシート広げて花見ならぬ海見?を大人数でやってたので、この辺はアジア系の方が住んでる割合が多いのかもしれないですね。ばりこの辺に住んでますって感じの緩さだったんで。
そんなこんなで5分位歩いて端まで到着しました。
山頂に雲がかかっててちょっと残念ですね。
でもなるべく自分が納得する写真を一つ撮りたかったので、少し時間を使う。
先に来ていたお兄さんにいい場所を抑えられていたので、我慢して別の場所へ。
波の画を入れようとするとどうしても手前の流木が写らざるを得なかったのでこれが限界でした。まぁ、仕方ないですね。
でも、実際に来れてよかったです。ここまで来ないと見れない景色を自分の目で見ることが出来たというのが一番の収穫です。
少し早めに駅に戻ったけどすることなかったので、適当に時間を潰す。
お店はなく、自販機があるくらいの駅なのです。
いや、駅前に小さい商店くらいならあった気がします。。。
大体いたのは30分くらいでした。
この後は、富山駅へ向かいます。
ぶっちゃけノープランなので、そこで少し休憩しながらこの先のことを考えます。
待ってる間ずっと韓国人か中国人のカップルor兄弟がガチ喧嘩してるのはキツかった。
1時間ちょっと乗って富山へ到着。
富山駅の中に直接路面電車の駅があって、すごくオシャレでした。
車体もかっこよくてびっくり。
環状線らしいので、あれでぶらぶらするのも楽しいだろうなぁ。
いつかやりたい。乗ってないけどリンク。
さて、今後の方針としてはここで一泊していくか、
明日に向けて北上するかの2択でした。
できれば、黒部ダムあたりも見たいよなぁなんて思っていましたが、調べてみると富山から行くより長野から行った方が近いし安い。というわけで没。
向かい辛過ぎる黒部ダム側に責任がある。
となると、「一泊してまで見たいものがあるか」という観点になる訳ですが、正直今個人的に気になるものはないので、進めるところまで進むことにしました。
時間的に新潟の直江津までは向かえるので、そこまで進んで一泊することに。
直江津へは上の写真にもある「あいの風とやま鉄道」を使用します。
泊(とまり)駅というところで乗り換える必要があります。
運賃は2400円ちょっとでした。
富山駅を19時過ぎに出発して、乗車時間は2時間と少し。
最初の小田原‐大垣間のムーンライトながらを除けば、この旅一番長い乗車時間だったかもしれません。
地方+遅い時間と言うことも相まって、乗客はほとんどいませんでした。
確か、他に一人くらい。
ほぼ貸し切りみたいで逆にテンションが上がりました笑
そして21時半前に直江津駅へ到着です。
ここからなら頑張れば佐渡へ向かえますが、今回はスルー。
この後もギリギリまで考えていましたが、料金もさることながらフェリーの移動時間がかかりすぎるので、遊びに行くのはまた今度ということで・・・。
いつかは行きたいですね。
ここから歩いて15分くらいの場所にホテルを取ったので、そこまで歩きます。
途中不思議な音が聞こえてくる。
恐る恐る音のなる方へ向かうと音の正体はなんとお囃子の音でした!
どうやら、小さいお神輿を担いで町内を練り歩いていたみたいですね。しばらく眺めていましたが、最後は公園のようなところに入って見えなくなってしまいました。
お祭りなんて最後に参加したのはいつだったけな・・・なんて遠い目をして、振り返りながら本日宿泊するホテルへチェックイン。
明日はどんな出会いがあるのかとワクワクしながらこの日は就寝。
次は、新潟の弥彦神社へと向かいます。