しゅー太の奇譚回想記

興味の赴くままに、風のようにふらふらと

鉄道日本一周-<九州編>② 熊本(主に人吉)

 こんにちは、しゅー太です。

 

無駄に東京では三回目の緊急事態宣言が出されましたね。

しかもGW期間だけ。

多分ほとんどの人が気にかけないんじゃないかな・・・。

酒類の提供禁止。8時以降の該当以外の店頭などの明かりを消灯。

 生活必需品売り場以外の大型商業施設の休業要請。

Twitterのトレンドで流れてた空襲警報は不謹慎ながら笑ってしまった。

なお通勤風景は変わらない模様。

うーん、流石としか言いようがないね。

気兼ねなく旅に出たいだけなんだけどなぁ。

東京オリンピックが開催されたら旅に出ようそうしよう。

 

[2日目:2018年3月7日(水)]

2日目の朝は鹿児島中央駅を9時40分出発なので、そこそこゆっくりしてカプセルホテルをチェックアウト。

(この頃はなるべく極限まで時間を有効に使えるように予定を詰め詰めにして動いていたけど、最近はゆったりしながら動くようになった。

年を重ねたから趣向が変わったのかもしれないけど、どっちの方針も好き。)

この日は最終目的地である熊本へ向けて移動しつつ観光をしていきます。

 

鹿児島でやり残したことは、もうちょっと市内観光(前回紹介した駅ビルの中とか)や桜島をしっかり巡るべきだったかなぁと思っています。

まぁ次来た時ですね。黒豚のしゃぶしゃぶとかも食べたいし。

 

ひとまず列車に乗車し隼人を経由し、吉松へと向かいます。

吉松へは予定通り11時40分頃到着。

途中、第二次世界大戦の空襲時に被害を受け、銃弾が貫通した当時の柱が残る大隅横川(おおすみよこがわ)駅を通過しました。

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車内からですが撮影。

鉄道の旅をメインに進めてるけど、沖縄にもタイミングを見て訪れて戦争のことをもっと知りたいね。(高校の時に修学旅行で行ったきりなので。)

 

 吉松駅到着後は観光列車「しんぺい2号」に乗車して人吉駅へ向かいます。

外観とか内装とかはこちらを参考にしてね。

www.jrkyushu.co.jp

吉松-人吉駅間(正確には人吉が終点ではなく熊本まで乗れる)は観光列車である特急「いさぶろう」と「しんぺい」が運行されており、吉松行きが「いさぶろう」、人吉行きが「しんぺい」です。

またこの観光列車、実は自由席であれば18きっぷでも乗車可能な特急になっています。

お得ですね。

ただ、2021年4月現在は上記サイトにも書いてあるとおり2020年7月豪雨の影響で球磨川が氾濫、鉄橋流出や路線への土砂流入など肥薩線に大きな被害を受けたため、現在は列車の運行がされていません。

令和2年7月豪雨(熊本豪雨)(wiki)

 →こっちは気象庁の該当ページ

豪雨後には、球磨川の氾濫対策として計画されていた川辺川ダムの建設凍結は誤りだったのではないかと批判も挙がっていましたね。

 

路線としてはかなり魅力な要素が詰まっていたので、難しいとは思いますが、また乗れる日が来ることを祈っています。

 

さて、閑話休題

この観光列車は吉松駅に着く間にいくつかの駅に停車します。

まずその一つが真幸駅。これで”まさき”と読みます。

宮城県で初めて誕生した駅で、1911年当時の姿のままで使用されてます。

名前からしてとても縁起のよさそうな駅名で、ホームには「幸せの鐘」が設置されています。またその名前から入場券も人気ですね。北海道の愛国駅と幸福駅みたい。

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外観

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僕は強欲なので3回鳴らしました。

この吉松-人吉区間は勾配の急な山が鎮座しています。

当時の列車は蒸気機関でしたが、この山を車両をけん引して一気に登れるほどのエネルギーはなく、直接上るのは不可能でした。

そのためいったん真幸駅に入って休憩し、引き返す形で発進。その後駅の上の路線へと折り返すように入る逆Z型のスイッチバックが採用されていています。

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こんな感じ。人吉側からはこの逆パターンで入る。

真幸駅の次の停車駅は矢岳駅になるが、その道中には日本三大車窓に数えられる矢岳越え」が存在します。

加久藤(かくとう)カルデラ越しに霧島連山とえびの高原を眺めることができます。

この区間では列車が一時停止して写真を撮ったり眺めを堪能する時間を用意してくれています。

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あいにくの天気。晴れていたら綺麗だったろうに。

日本三大車窓の残りは長野県の姨捨駅から眺められる長野盆地善光寺平)の景色。

北海道の根室本線にある狩勝峠を進行方向が180度変わるような大カーブで通りながら見る十勝平野の景色があります。

が、後者の方は1966年に廃線になっているため列車からの景色を見ることはできません。(生まれてすらないからどうあがいても無理ゲー。)

遊歩道として整備されているので、当時の景観がどんなものだったのかを想像することはできます。頑張って歩いてね。

 

矢岳越えを過ぎると、肥薩線内で最も標高の高い駅、矢岳へ到着します。

平屋の木造駅になります。

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ブログ用にちゃんと外観を撮っておけ。

また、この矢岳駅にはSLが展示されています。

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矢岳駅の次は大畑(おこば)駅ですが、この駅に向かう線路は山をぐるっと一周して勾配を緩くするループ線が採られています。

このループ線は人吉側から矢岳駅へ向かえるように用意されたものになります。

ただ、本来ならループ線に入る前に休憩所となる駅や信号を用意するらしいのですが、この山にはそれらが設置できる平坦な場所はなかったらしく、ループに入ってすぐの場所に駅をスイッチバック形式で設置しました。

それがこの大畑駅になります。

 

そしてループ線の最中にスイッチバックが存在するのは日本で唯一この場所のみのとても珍しい場所になります。

この路線は難題を攻略するための鉄道技術を惜しみなく詰め込んだ場所という訳でございますな!

この大畑駅下の写真のように駅構内に大量の名刺が貼られています。

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写真からは見れないけど四方の壁すべて名刺だらけ。

理由はこの駅舎に名刺を貼ると出世できると言われているためです。

こんな場所簡単に貼りに来れるわけねーだろ。

まるで何かを封印するために貼られた呪符みたいだぁ。ある意味出世の怨念を閉じ込めているようにも見える。(適当)

ちなみに何故始まったのか由来はわからないそうです。

ちなみに夏目友人帳の聖地らしいですよ。僕はこの時知りました。

 

そして大畑駅を過ぎれば無事13時ごろに人吉駅に到着です。

1時間ちょっとの間、楽しい時間をありがとう。

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駅前にはからくり時計があったが修理中だった。そういうのいいから。

さて、人吉に来た目的ですがこちらに立ち寄るためです。

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はい

青井阿蘇神社

人吉駅から徒歩10分とかからないくらいところに青井阿蘇神社があります。

青井阿蘇神社は今から約1200年前の806年に創建されたと言われています。

大体空海最澄真言宗天台宗を開いたのと同じ頃です。

ぶっちゃけピンとはこねーな。

あとは海外だとシャルルマーニュが頑張ってた頃。

 

阿蘇を開拓し、阿蘇神社の神主である大神惟基(おおがこれもと)が神託により、その守り神として阿蘇神社の御祭神十二神のうち三神の御分霊を9月9日に青井阿蘇神社に祀らったのが始まりと言われています。

祀られたのは、

初代天皇である神武天皇の孫にあたる健磐龍命(たけいわたつのみこと)
その妃の阿蘇津媛命(あそつひめのみこと)
そして二人の子供の國造速甕玉命(くにのみやつこはやみかたまのみこと)の三柱です。

 

健磐龍命はどこぞの番組やYouTuberの如く阿蘇カルデラ湖の水を全部抜いて田を造ろうとした逸話があります。開拓にはぴったりの神様ですね。

ちなみに湖の水を抜く方法は外輪山(二重以上の複合火山の外側の火口縁、またカルデラの縁にあたる山)を蹴破るというものでした。規模が違う。

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また水が引く途中で流れをせき止めていた大鯰を退治したという伝承もあります。

 

次に大神惟基という人物ですが、生涯について詳しいことはわかっていません。

その代わり(?)、出生についてはとある伝説が残されています。

 

曰く、豊後国(現在の大分県辺り)の山里に住む娘の所に毎晩見知らぬ男が通ってきて、娘は身ごもってしまう。正体を知るため、母に言われ娘は糸の付いた針を男の狩衣(※)に刺した。

狩衣平安時代の公家の普段着。確かにこの服装なら身元は保証されたも同然だからどんな人物なのか気になる。俺ならワンチャン玉の輿あるな的な。

翌日、糸を追うと祖母山の麓の岩穴に辿り着き、娘が姿を見せるよう懇願すると一度は断るも男が姿を見せる。その姿は4,5メートルにもなろうかという大蛇であった。その大蛇の喉元には狩衣に通したはずの針が突き刺さっていた。

大蛇は、「生まれてくる子供は男児で、弓矢や打ち物を取っては九州に並ぶ者はないだろう」と告げて、息絶えてしまう。

その後生まれた子供は、祖父から名を取って大太と名付けられた。

成長が早く7歳で元服(成人のこと)し、手足があかぎれでひび割れていたため「あかがり大太」と呼ばれたと言います。これが後の大神惟基になります。

 

という祖母山大明神の神体である蛇との蛇神婚伝説です。

大分県竹田市の穴森神社にはこの大蛇が住んでいたと言われる岩穴があります。

(この穴森神社は恋と出会いの場所とされ、洞穴にある小石をひとつ持ち帰ると子宝に恵まれると言われています。願いが叶ったらそっと小石を洞穴へ戻すように案内されています。無茶言うな。お借りしてるものだし、きちんと返そうね。)

この伝説は平家物語源平盛衰記にも記されています。

 

竹田市にある岡城を築城した緒方三郎惟栄(おがたさぶろうこれよし)はこの大蛇の末裔と言われています。岡城はあの滝廉太郎が作曲した『荒城の月』のモチーフとなった場所ですな。

 

余談ですが宮崎県の高千穂にある天岩戸神社は社伝によると、812年に大神惟基によって再興されたと言われています。ここにもこの旅の中で寄ったので詳しいことはその時の記事で。任せた未来の俺。

 

ちなみに現在の社殿は相良長毎(さがらながつね)によって1610年から1613年にかけて造営されたもので、本殿・廊・幣殿・拝殿・楼門の5棟社殿群が2008年に熊本県初の国宝に指定されました

また、前述の豪雨で拝殿が床上浸水するなど被害を受けました。(これ以前にも球磨川氾濫による浸水被害にはあっている。)

地元では青井さんとして親しまれています。

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立派な茅葺屋根が堪らない。

一通り見学した後、 願掛け記念でおみくじを引きましたが、「旅に出るな」と書かれていました。もう出た後だし関係ないな!

 

という訳で何も気にせず旅を続行します。(鋼の意思)

時刻は14時ごろ。

この後は、人吉から熊本駅へと向かいます。

お昼は駅弁である「栗めし」というのが有名らしいので、購入し列車の中で食しました。

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栗たっぷりでおいしそう。容器の形もかわいい!

勿論おいしゅうございました。

列車旅のいいところは飯や酒を味わいながら旅できることだってところは何十回でも推していきたい。

長くなりすぎたから今回はここまで。

次回は熊本に着いた後のことと、短くなりそうだったら三日目のことも触れていきたい。

 

はぁ、今度、栗飯食いに行こ。