こんにちは、しゅー太です。
もう年末近くなりましたね。思い出という思い出がない・・・。
なーんも思いつかん。
引っ越し考えて、いい物件ないから先延ばしにしてたらコロナになって、
その直後によく会いに行っていた祖母が亡くなって、気持ち的にバタバタしてたくらい。
この前会社の飲み会があったけど、仕事の話以外になった時は彼女・奥さんの話とか今いい感じの異性との話とか、あとは異性紹介してよとかそんな話が基本だったかな。
この年齢だとメジャーというか、共通の話題になるんだろうね。
それ以外の話だと全員が盛り上がりにくいっていうのもあるんだろうけど。
出会いがないっていうのもあるけど、人と恋愛関係を築けない事実が苦痛になる時がある。
素直に羨ましいって思うこと増えてるのおもろい。
あと最近色恋系に限らず他人にイライラすることも増えちゃった。よくないのが、それが多分態度に出てる。
脳の劣化で感情の制御ができなくなるっていうしそれかなぁ。
後は色々あって、単純に心の余裕がなくなってんのかもなー。
なんにせよどっかでガス抜きはしたいね。
できれば旅、難しいなら・・・抹茶スイーツ食べ歩き?
近況報告長くなりすぎた。じゃあ、続きから。
[2日目:2023年1月9日(月)AM:6:30]
2日目は少しだけ早い起床。
朝食はバイキングなので、余裕をもってこの時間。
ホテルのバイキングってなんかたまに食べたくなるよね。
あのスクランブルエッグとか。
食べ終わって準備したら出発して、朝の7:40ごろには益田駅に到着。
7:50の列車に乗って、本日の第一目的地である山口県の萩に向かいます。
島根県とは物足りないですがここでおさらば。
萩駅までは乗り換えなしで約2時間ぐらいかかります。
9:00ごろ到着予定。
この次だと9:30出発12:15ごろ着の列車になり、観光するにはかなりのロスになるためこの時間を逃せなかった。
一応特急もあるけど、12:00前着になるので使ってもあんまり意味ないしね。
6000円くらいする。
それに萩の後、他にも行くところを用意してるので今日は絶対スケジュール順守です。
萩駅までの時間は早起きの穴埋めでちょいちょい睡眠を挟みつつ行進。
予定通り萩に着いたのでここから観光スタート。
9:10頃に萩に到着。
まぁ列車で訪れる場所ではないだろうからだけど、かなり静かでした。
朝一というのもあるんだろうけどね。
萩には『明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業』という名称で登録された世界遺産があり、これは日本の複数のエリアを一つの世界遺産として申請したもので、萩を含めて7つのエリア(鹿児島や福岡など)から構成されています。
今回はそのエリアの一つを見に来たという訳ですね。
そして、この世界遺産として萩エリアでは5つの資産が存在していて、
・萩反射炉
・恵美須ヶ鼻造船所跡
・大板山たたら製鉄遺跡
・萩城下町
・松下村塾
があります。
本当は全部見たかったのですが、時間とか移動手段の関係で
・萩城下町
・松下村塾
の2つを見に行きます。ぎり萩反射炉も行けたかもだけど、バスの時間がかなり怪しいのであえなく諦めですね。
さてここからどうするかと言う話ですが、萩では萩循環まぁーるバスという周遊バスが存在します。
下が市のホームページ。
初見の時、ぱっと見で全然どういう路線かわかんなかった。
大雑把に書けば東回り西回りがあり、それぞれ別のルートを通ります。
そして大事なことですが萩循環まぁーるバスは、東回り西回りは同じ道を逆方向に回るのではなく『萩の「東側」「西側」をそれぞれ別ルートで回るバス』というものになります。
つまりこの二つのバスは全く異なるルートを通るので観光場所ごとにどちらのバスに乗るかをきちんと調べて置く必要があります。
気を付けてね。
一応その東回りのバスが9:30頃に来る予定。(萩駅はどちらのバスも来ます。)
ここまで来ても正直どう回るか悩んでいました。
一番近い観光地は明倫館という昔の学校で、バスで10分くらい。
つまり今から30分後。
(9:27に西回りのバスが来て、これに乗っても同じ最寄りまで行けますが到着は9:50と少し遅くなる。)
歩きだと30分しないくらい。
この時間あるなら歩いたほうが早くね?
という訳で駅で街歩きマップ的なのを回収して、歩きで出発。
と出発して10分後、やっぱりバスでいいやと予定変更し乗車。
萩循環まぁーるバスは一日乗車券が存在し、東西どちらのバスもこれで乗れます。
料金500円。バスの中でも買えます。
ちなみにこのバスは普通の乗車賃一回100円。乗る回数で一日乗車券買うか考えた方がいいかも。
買わない方が安くつく可能性もある。
買うことあんまないと思うけど、二日乗車券も700円で販売されてます。
どのみち一日乗車券買うし、なんなら着く時間そんな変わらんし、風強いしで、疲労を少しでも抑えるため近くのバス停から乗車して最寄りである萩・明倫バスセンター・・・の手前である萩市役所まで乗車。
実際どちらも明倫学舎までの距離ほとんど変わらんかった。
道路挟んで向かいにある市役所か、明倫学舎に付属の駐車場までかの違い。
降りるのマジでどっちでもいいです。
まぁなんで降りたのかと言うと本当は明倫学舎じゃなくて、別の観光地、松陰神社までここから歩こうとしたんだよね。明倫学舎行かなくてもいいかなとか考えてた。
でもちょっと歩きだした矢先
「松陰神社はバス使って後で行けばよくね?一応工程表にもそうできるようルート取りしてるじゃん」
「行かなかったらなんだかんだ後悔するぞ、お前の性格上。」
と思い直し、明倫学舎に進路変更しました。
松陰神社ここから30分くらいあるんだが、ガチで歩こうとしてたんだよこいつ。
明倫学舎は2階建てで横長の建築物が縦に並んでいてメインは(入口となっている)一番手前の本館と2号館。3と4号館はそれぞれ3号館が"萩市観光関連団体事務所"、"交流室"、"市民ギャラリー"。
4号館はコワーキングスペースや移住を考えている人向けのスペースが用意されており、地域に根差したスポットと担っております。
メインとなる本館と2号館ですが、2号館の方は萩に関する世界遺産を紹介する「世界遺産ビジターセンター」と幕末維新期に関する資料を展示してある「幕末ミュージアム」からなります。
本館は無料なのですが、2号館は有料になっています。
入城料2023年8月現在300円。
個人的にここはいいかなぁとなったので今回はスルー。
本館のみ回っていきます。
本館も展示室のようになっており、明倫学舎自体の紹介がメインとなっています。
明倫学舎、歴史の授業で出てくるのは"明倫館"と言う名称。
大学受験で見るかな。今はわからんけど、10年前はテキストに名前はあった。
1719年に創設。
明倫学舎は"藩校"と呼ばれる(江戸時代に生まれた今でいう小学校のような)もので、
有名な藩校って何がある?と言われたら、その中に挙げられるくらいには明倫学舎は有名な藩校になります。
藩校は元々藩士の子弟は強制入学させられ、後に藩士の子弟以外にも開放された学校も出てきました。
(なので大雑把に武士の子には藩校で庶民の子には寺子屋、といった具合に区分けができますね。)
藩校では主に儒学を勉強し、武芸等も推奨されており、その後勉学として蘭学が、武芸に剣術などの武術も組み込まれて行きました。
藩校は藩の費用負担で運営されており、藩士に月謝の支払い義務がなかったり、むしろ奨学金を出して江戸などに勉強させに行かせることもあったそうです。
一方、入学試験などもあり、仮に入学試験を突破しても次々に試験があり落第すると罰則が科されるなど中々厳しい。3度落第すると自分の将来にすら関わる系の罰則が待ち受けているので中々どころかかなりハード。今とはまるで違うね。
違うと言えば、通う年齢も異なり、大体15歳程度から20歳で卒業となっていました。
多くの藩校のモデルケースにされたのは半官半民で運営されていた昌平坂学問所という機関で、ここの出身者を儒学の教育者として招いたり、藩士を留学させたりしました。
この昌平坂学問所は朱子学(儒学の学派の一つ)を正統としていたので藩校もそれに倣っていました。
江戸時代は儒学の諸学派が発展し朱子学以外の儒学の教育者も多くなりましたが、でも結局松平定信が老中だったころに出された寛政異学の禁(1790)で朱子学以外を禁止したため、最終的には朱子学が大多数を占めることとなります。
※寛政異学の禁でなんで朱子学以外を禁止にしたのかと言うと、松平定信の前に政治を執り行っていた田沼意次の頃にまぁ汚職やら何やらが蔓延って幕府の権威が落ちていました。
朱子学は上下関係を重んじる教えになるため、こちらを利用して幕府の権威を取り戻そうとする目的で朱子学以外を禁止にしました。
ちなみに昌平坂学問所は寛政異学の禁の一環で1797年に誕生(元々林羅山という人物を祖とする家系の家塾の位置づけを改めた結果生まれたもの)しましたが、その前の名を湯島聖堂といい、これらは後の東京大学の前身になっていきます。
セットで覚えておくと大学受験でもお得。
藩校には敷地面積が最大規模だった茨城の弘道館(水戸藩)、最古の庶民向け学校である岡山の閑谷学校※(岡山藩※郷校という種類の方が近い。でも藩校の延長)、白虎隊などを輩出することにった福島の日新館(会津藩)など言い出したらきりがないくらい有名な藩校は多いです。
そもそも普通の人にとって藩校はマイナーとか言わない。
この(建造物としての)明倫学舎。なんと割と最近まで小学校の校舎として使用されていました。
上の写真はその時の風景を模した教室になります。
通ってたことを大人になってから自慢と言うか話のタネにできるやつ。
そして子供の頃はなんもありがたみを感じないやつ。
この校舎自体は、明倫小学校という学校の校舎で藩校の跡地に建てられました。
1932年に建てられ2014年まで使用。
その後は、隣接する商業高校跡地に新校舎建造しそちらに小学校としては移転をしまして、今はそちらで運営されています。
これが先ほど写真にもあった謎のでっぱり。
ダストシュート的な奴らしいです。
俺の記憶が正しければ。今度電話して確認してみようかな。
写真整理しながら貼ってるけど、廊下全体を写した写真撮ってなかった。
雑巾がけ大変そうだなと思うような廊下でした。伝われ。
国の登録有形文化財となっている建築構造を確認できる場所も用意されています。
建築素人なので詳しいことはいまいちわからないのですが。
なんかすごいんだろうなぁ。
その他当時の敷地に関するミニチュア模型が展示されていたり、
外には、鎧を着たまま泳ぎの訓練を行ったり、水中での騎馬訓練を行ったと言われている水練池があったりします。
この水練池は藩校にあるものとしては、現存する唯一のものとなっています。
ちなみに奥に見えるのが、先に話題にもした明倫小学校の新校舎。
旧校舎の名残というかオマージュ的な意匠がいいね。
こちらは有備館と言って当時の藩士たちが剣や槍と言った練武を行った他、他国の武士との試合に使われたりした場所です。
坂本龍馬もここに来て試合をしたらしいです。高知県から大変だったろうに。
メインで見れるものはこんな感じ。
他に明倫館の正門だった南門も見ることができます。
ざっと1時間しないくらいの観光だったけど、有料区域まで行くともう少しかかるんじゃないかな。
本当にゆったりして見ていくなら2時間くらいとっても良さそう。
満足できたので次の目的地に向けて移動開始。
この次は東光寺というお寺に向かいます。
方法はバスでの移動になるんだけど、バス停がどこにあるかいまいちわかりづらい。
しかも地図をなくすと言うおまけつき。
時間的には現在10:20前くらい。
スマホでどうにか調べるかぁとやっていると、有備館のスタッフのおじいちゃんが声をかけてくれて、めっちゃ丁寧に調べてくれたんですよね。
ありがてぇ。
しかもバスの時間も調べてくれただけじゃなくて、手元にあった地図までプレゼントしてくれるという至れり尽くせりな対応。
本当にありがとうございました、有備館スタッフのおじいちゃん。
萩バスセンターと言うバス停が最寄りらしいのでそこまで徒歩移動。
10分後にくるらしいので少し早歩き。
バスには余裕で間に合ったのでそのまま乗車できました。
東光寺までは30分ほどかかるので、しばしゆったり。
立ち寄り候補だった萩反射炉。
時間の関係で省いたけど、次回は必ず寄るよ。
来ることがあればね。
11:00過ぎに目的地の東光寺に到着。
荘厳な門がお出迎え。
東光寺は1691年に萩藩主3代目毛利吉就(もうりよしなり)によって建てられた黄檗宗の寺院です。
入場料として300円が必要です。
まぁ、ここに来た目的は建物それ自体ではなくあるものを見るためなので、とりあえず先に行きます。説明はその時にでも。
右手に進路があるので道に沿ってそちらへ。
魚板は木魚のもとになったもの。
時刻などを知らせるために使われ、魚の形をしているのは魚は昼夜問わず目を開けていること(昔はそのせいで魚は寝ないと思われていたそう)から「寝る間も惜しんで修行しろ」と言う意味合いがあるそう。
また口に丸い玉を咥えているが、これは煩悩を表し、魚を叩くことで煩悩を吐き出すということらしい。
っていうかこの説明前どっかでやったな。。。
調べたら富山の瑞龍寺を訪れた時の記事で簡単に触れてたわ。
こっちは臨済宗じゃなくて曹洞宗なんだけどね。
まぁ別に魚板は臨済宗だけのものと言う訳でもないから、不思議でも何でもないか。
良かったらこっちも流し見でいいから暇つぶしで見てね。
resyuta.hatenablog.jpこの魚板は江戸時代初期に中国から来日した隠元隆琦(いんげんりゅうき)という僧によって伝えられました。この隠元という方は先ほど出てきた黄檗宗の開祖になります。
黄檗宗は臨済宗の系譜と言うか、隠元自身は臨済宗を名乗っていたらしいです。
その後、明治時代に臨済宗から独立する形で正式に黄檗宗と言う禅宗が誕生したそう。
まぁ細かい話は置いといて、この魚板がこの東光寺にあるのは黄檗宗の寺院だからなんですねぇということです。
さて見たかったものの話しに戻って。
先にメインのものを貼りますか。
なんせ写真が下手くその極みなのでね。
広角レンズをもっていかなかったことを後悔。
東光寺で調べたらまずこの風景がよりきれいにエモく撮られているので、そっち見てくれ。
そんな訳で、分かりにくいですが石灯篭の群生です。
一応生で見た感想は普通に「おぉ・・・。」となりました。
いい意味の方ね。
石灯篭の数はこの敷地内になんと500余りあるらしい。
この場所は、本堂の裏手にあるいわゆる墓所。
建立に関わった毛利吉就はもちろん、他の代の藩主やその関係者その他大勢が眠っています。
この石灯篭は藩士が寄進したもの。
毎年8月15日に行われる「萩・万灯会」ではこの灯篭に送り火として、火が灯されるそう。
難しいけど、一度は見てみたいね。
わざわざ寄進されるほどだからきちんと忠義と言うか愛される人だったのかも。
など考えながら、騒がずに静かに見て回る。
この場所の話だけでなく、お墓だけど、そういう場所が観光スポットになるっていうのもなんだか不思議な感じがする。
長崎とか神戸の外国人墓地と似た感じ。
そのうち今ある普通の人たちのお墓も、もし敷地とかのデザインが普通の人に特別ウケるようになったら観光地化するのだろうか。
あんまり長居すべきではないと思っているので、早々に退散。
お邪魔しました。
ここの滞在時間は20分くらい。
じっくりと見ても30分くらいの場所だと思う。
この後は徒歩で移動になります。
目的地は松陰神社で、大体15分くらい歩く予定。
もちろんまぁーるバスでも行ける。
乗車時間は10分かからないからこっちの方がより楽ではある。
けど、今回はバスの時間が合わないのもあったので、歩きを選択。
玉木文之進とは吉田松陰の叔父にあたる人物で、松下村塾の創始者になります。
元々松下村塾は玉木文之進が私塾として自宅に子供たちを集めたのが始まりで、吉田松陰も子供の頃はここで勉強をしてたんですって奥さん。
旧宅は軽く中を見ることができます。
常駐しているかわかりませんが、中に案内?の人が滞在しているのでお話を聞くことができます。
ここ寄る予定なかったけど、中からラジオが聞こえてきたからつい覗いちゃったら中年の女性がくつろいでたからビビったよね。
気まずいのでちょっとだけ見ていくことにしました。
さて上記の旧宅に寄り道したので、想定よりちょっとかかり20分くらい歩いて松陰神社に到着。
吉田松陰はペリーが日米和親条約のために来航した際に、黒船の一隻に乗船して渡米しようとしましたが、あえなく失敗。
その後、幕府に捕まりましたがなんとか死罪は免れ、萩の自宅にて幽閉の処分となりました。
その折に松下村塾の名を引き継ぎ、松陰主宰の松下村塾が始まりました。
この松下村塾は一年ほどの期間しか実施されませんでしたが、この短い間に伊藤博文や高杉晋作など幕末から明治維新頃に活躍する様々な人物が通いました。
そしてその生涯は幕は、江戸時代末期に起こった安政の大獄を引き金として江戸に送還された後に死罪となったことで閉じます。
安政の大獄とは、幕府の政治を行っていた大老(将軍の補佐)と言う役職の井伊直弼が行った"幕府を批判する輩を弾圧する"というものです。
当時勅許を待たずアメリカと日米修好通商条約を結んだことで、尊王攘夷派などから批判が高まっていたのところをさらに上から「うるせぇ死ねぇ!」と言わんばかりに外圧を加えた出来事ですが、結果として井伊直弼へのヘイトが極限まで達し、1860年に桜田門外の変にて水戸の浪士らに殺されてしまいました。
ちなみに桜田門ってのは江戸城の門の一つです。なので東京駅行けば割と手軽に立ち寄ることができるね。
吉田松陰の死の31年後、1890年に松下村塾出身者によって、松下村塾の改修と吉田松陰を祀る土蔵造り祠が建てられました。これが松陰神社の始まりです。
1907年にこの祠を神社にしようと伊藤博文らが山口県に請願書を提出し、当時廃社となっていた萩城の鎮守・宮崎八幡宮の拝殿を祠のある場所に移築し整備が行われました。
今の社殿は1955年に建て直されたものになります。
神社の鳥居をくぐって、整地された参道に沿って進んでいくと左手に見えてくる建物があります。
これが吉田松陰が松下村塾開いていた建物になります。
こちらは当時の建物がそのまま現存しています。
現物が見られるのは知らなかったので驚き嬉しいって感じでした。
そのまま参道を進んでいき、同じく左手に見えてくるのが吉田松陰が晩年幽閉された自宅で、ユネスコ世界文化遺産に登録されています。
吉田松陰幽囚ノ旧宅の近くに松陰神社の本殿があります。
松陰神社の祭神は勿論吉田松陰。
学問の神様として祀られています。そりゃぴったりだ。
ちなみに東京にも同名称の「松陰神社」があります。
こちらは東京にあった吉田松陰の墓を高杉晋作ら門徒が神社へと改修しました。
グーグル検索で世界を見ると東京の松陰神社が先にヒットする悲しさを背負っているのが萩の松陰神社。
こっちの神社は松門神社と言って、「松陰の門徒を祀った神社」です。
そのままだね。
この社は1955年に行った松陰神社の立て直しの際にそれまでの社殿を移築したものになります。
ここに祀られているのは上にも書いた通り門徒になるので、高杉晋作や伊藤博文など50人弱があたります。
みんなちゃんと"~~~命"って名前だから、しっかり神様になってるんだよね。
松門神社からこの松陰自宅裏を通って入口まで戻る道は"学びの道"という名前が付けられていて、吉田松陰の残した言葉を25基の句碑として道沿いに立てれています。
写真はいつもの撮り忘れ。
境内はざっとこんな感じ。
他にも宝物殿、歴史館などあるので全部見るなら滞在時間は最低1時間は見た方がよさげ。
今回はこれらをスルーしたので、15分くらいだったかな。
おみくじも引いたのでミッションコンプリート。
このままバスで次の場所へと移動します。
次は萩城下町と萩城跡。連続して世界遺産ですね。
ひとまず萩市役所まで戻るので、11:58のバスに乗車して12:05に到着。
ここからバスで移動もできるけど、歩き5分くらいと近いのでそのまま徒歩で。
萩城城下町は江戸時代街並みの面影を残す場所となっていて、
当時は中級武士や医者が暮らす場所となっていました。(勿論それ以外にも商人なども住んでいました。)
街は碁盤目状に区画されていて、現在は史跡等の他カフェ・雑貨店なども混在する場所となっています。
散策して楽しむのならちょうどいいかもね。
という訳で俺も立ち寄ることにするぜ。
お邪魔したのは萩ノ早蕨(はぎのさわらび)というお店。
haginosawarabi.comわらび餅の専門店で本わらびと萩の天然水を使用したわらび餅を売りにしています。
店前に座れるところがあるので、わらび餅を購入して食べることもできますが、今回は時間の都合で持ち歩きができるのでわらび餅はパス。
せっかくなので、わらび餅ドリンクにしました。
せっかく、というのはこういうドリンクって頼んだことないし、寧ろ普段は進んで頼まないんだよね。タピオカとか。
流行ってるって言われているやつに別に心惹かれないんだよねー。
逆張りとか言うな。
でも、こういう機会があるんなら食わず嫌いしてないで頼むのはありだなぁと思ったので立ち寄りました。
いくつか味に種類があったけど、俺は無論一択"抹茶"味。
飲んでみた感想は「普通に美味いな」。
やっぱり一度こういう飲み物も試す価値あるかもな。
さて、俺はこいつと(萩城下町へ)旅に出る訳ですが、
ルートとしてはざっくり城下町を歩いてそのまま萩城まで。
ただ、萩城跡のバス停から乗車して萩駅まで戻る予定ですが、バスの時間が13:23。
現在時刻12:30前なので1時間ない状態。
じっくり練り歩いてたら1時間なんて余裕で消化してしまうので、さっくり行きます。
看板に書いてある通り、伊藤博文らが幼年の頃に勉学に励んだ場所になります。
でかい天狗のお面で有名。入場料200円。
さっくり進行なのでするー。
この時期萩を歩いていると、所々で夏みかんがちらっと顔を覗かせてきます。
夏みかんは萩の名産品で、5月上旬から中旬にかけて白い花を見せてくれます。
この時はまだ花まではついてなかったかな。
途中お手洗いに寄ったりして思ったより時間をかけてしまったが、なんとか萩城跡に到着。でもバスまで10分も時間がなかったのでほんとギリギリだった。
萩城跡指月公園。
余裕があればゆったり中も歩きたかったんだけど、先に書いた通りもう時間がないので外から見ておしまい。
毎回綺麗に積まれてる石垣見て感動する。
この後、なんとかバスにも間に合い一安心。
30分くらいかけて萩駅まで戻る。
列車は14:29発なので30分待つので、近くの観光案内所とかで時間を潰す。
萩駅内にはちょっとした歴史資料館があるので、見るものはなんだかんだあって助かった。
ここから長門市駅での乗り換えを経由して長門古市駅に出ます。
何があるのかというと、元乃隅神社という神社があります。
名前はピンと来なくても、メディアで画像とかを見たことがある人は多いかも。
中々遠いし、さらにアクセスも悪いので今回の旅の中でマスト寄りたい場所にランクインしていた観光地。
着くのは夕方になるので、快晴青空をバックに写真とかは難しいだろうけど仕方ないね。
ここにはバス(観光バスは除く)なんかは通っていないので、アクセスにはタクシーを使う。
なので、萩駅でタクシーの予約だけは忘れずにしておく。
地方なんてタクシー多くないから、使うなら必ず電話しておこうね。
萩駅から長門古市駅までは1時間。
ちなみに現在長門市駅から小串駅間は2023年6月にあった大雨の影響で運転見合わせとなっており復旧の見込みも立っていません。
この区間は代行バスが走っているので移動はできますが、時間は通常時よりかかる状態です。
着いたら駅前にタクシーが待っていたので、名前を告げて乗車。
目的地である元乃隅神社までタクシーを走らせてもらう。
帰りも利用できる認識だけどあってるよね、と運転手と確認。
一応認識合わせしないと怖いよねこういうの。。。
長門古市駅から元乃隅神社までは車で30分くらい。
お話し好きな運転手の方だったので、道中は楽しくおしゃべりをしながら向かう。
コロナが始まって外国人観光客が減って困ってたけど、最近ようやく戻り始めてきていい感じみたい。
コミュニケーション昔なら大変だったところスマホのアプリで翻訳ができるから、ツールも発展してどんどん便利になったよねー、とか。
なんだかんだ旅好きな身としても実感のある話だったな。
外国人観光客が増え始めてきたから、完全に戻る前にここに来れてよかったわ。
おしゃべりしてたらあっという間に到着。
駐車場に止めてもらった際に列車の時間とかから何時までに戻ってきてねーと修学旅行みたいなやり取りをして観光開始。
自分の一つ前にタクシーに乗車していたお客さんがいて、
ちょうどこのあたりで雨が降っていたみたい。
その時、運ちゃんがそのお客さんに「次予約している人(俺だね)がいるんですよ」と話したそうで、「あら、かわいそうに」なんて話していたらしいですが
自分が長門古市駅に着く頃には雨の名残だけ。
きっかり観光向きの天気になっていました。
元乃隅神社。
旧称は元乃隅稲成神社(もとのすみいなりじんじゃ)。
外国人観光客が増えて名前が長くて覚えにくいとのことで2019年に今の名称に改名。
1955年に地元の網元(漁船等を所有する漁業経営者)であった岡村斉という人物の枕元に白狐が現れ「吾をこの地に鎮祭せよ」とお告げがあったことから創建。
海に連なるように続く朱色の鳥居が目を引く神社。
なんでここが有名になったかと言うと、アメリカのニュース専門放送局であるCNNが2015年に発表した「Japan's 31 most beautiful places」(日本の最も美しい場所31選)の一つとして選ばれたことをきっかけに多くの外国人に知られ、たくさんの外国人観光客が訪れるようになりました。
そこからさらに日本人にも伝播していったといった感じですね。
とは言えここはずっと整備されていたわけではなく、長い間鳥居は寂れ神社は廃れた状態だったらしく、割と最近になってから修繕したそう。
そうしたらCNNに見つけてもらって爆発したんだから、修繕した成果は大成功だよね。
鳥居を潜り抜けた先の岬に人が集まっていますが、ここでは「龍宮の潮吹(りゅうぐうのしおふき)」という海蝕洞に荒波が打ち付ける度に海水が中の空気と一緒に吹き上がる現象が見られるため、それを近くで一目見ようという算段の人たちですね。
単純に岬の先まで行きたいだけの人もいると思いますが。
じゃあ、俺も潜るか。
言うまでもなく海傍なので風が強いです。
ちなみに岬の先には海だけなので、そっち側の写真はないです。
後、風車が立てられている場所があったので水子供養もやってるのかも。
この神社、有名になりはしましたが、宗教法人に所属していません。
つまるところ岡村家の個人所有の神社になります。
神社本庁によると神社は基本的に改名はしないそうですが、ここはそもそも個人の持ち物。そんなルールは適応されないという訳ですね。
不動産とかの税金エグそう。
でもそれだけ収益もあるんだろうな。
観光バス停める駐車場とか付属してたし、そのあたりでも賄ってるんだろうね。
じゃあまた上まで戻って、今度はこの写真で見える画面右手の赤い屋根の建物の所まで。
じゃあ、ここの名物の所に行きますか。
元乃隅神社の特徴といえば先の海に連なる朱色の鳥居の他にもう一つ、それがこの鳥居。
何が有名かというと、鳥居の上部のをよく見てほしいのですが、
何かついていませんか?
ハートのデコレーションがされた木箱、そう、ここの神社のお賽銭はなんと鳥居の上部に取り付けられているのです。
文字通り、ここでは”投げ銭”という訳です。
高さは6メートル。ここに入れられることができれば願いが叶うと言われています。
入らなくても安心してください。鳥居の右側に代わりに入れられるように敗北者向けのお賽銭箱があるので、そちらへどうぞ。
俺は勿論上側を狙うけどな。
とりあえず挑戦用の10円玉を財布から取り出して準備完了。
賽銭箱を狙って投擲・・・するがこれが見た目以上に難しい。
弧を描くようにストンと賽銭箱に入るのをイメージしていたが無理。
ボールを高く投げるように放っても弾かれたりする。
元々何かを投げるの得意じゃないから余計に上手くいかん。
途中から切り替えて下手で上に打ち上げたりもしたけど、こっちもだめ。
バスケの要領で賽銭箱上の壁(?)に当てて反射で入れようとしても強すぎて賽銭箱にかすりもせず跳ね返ってくる。
まぁそもそも「今の惜しかったなぁ」というのがあまりにも少なかった。
本当に下手くそやった。
なんてやっている間に10円玉は何度も地面に落ちた影響で傷だらけボロボロボローニャ。
折れないハートを持って負けじと投げると、今度は勢い余って高く上がりすぎて鳥居の真上に着地。こっちの方がレアだろ。
でもここまで頑張ったのだから何とか入れたい。
家族連れに混じり一人黙々と投げ、あとから来たカップルに先を越され、
投げても中々届かないまだ小学校低学年くらいの子供と張り合ってきた時間が無駄になってしまう。
休憩を挟んだ後、次の10円玉を用意して再トライすること10分。
奇跡的に入れることに成功。やったー。。。。
結局パワー調整した下手投げでなんとかって感じ、だった。
下手だけに。
かかった時間はなんだかんだ30分くらいかけてしまったけど、メインイベントと言っても過言ではないので問題なし。
敷地広くないから周るのに時間かからなくてよかった。
先の投げ銭鳥居を抜けて左側に行くと写真の鳥居と祠がある。
あの狐、今見てもふてぶてしいな。
この左手側には、
小さな小屋があります。
こちらではおみくじやお守り、御朱印を頂戴することができます。
入った時、管理しているような人は見当たらなかったので、基本無人なのかも知れません。
その代わりにおみくじやお守りの初穂料を収めるための箱が用意されています。
さて、もちろんおみくじはあるなら引きます。
こちらのおみくじはなんと50円。
初めて見たかも。
とりあえず目的も達したので、社務所を出る。
おみくじの結果はまた後で。
次は、投げ銭鳥居を抜けた右側へ。
少し上ったところにある鳥居と祠。
こっちは顔パネルがある。
頑なに腕を組んでるのはなんでだ。
左手の高台?に登ってみる。
いい感じに日が落ち始めてる景色が見えた。
もう少しだけ時間が経てばもっと映える景色になったかも。
さて、そろそろ時間なのでタクシーに戻りましょ。
こっちの方が夕日の光が差して綺麗だね。いいもの見れた。
タクシーに乗ったらまた運転手とおしゃべりしながら駅まで移動。
この近くの道は狭くてよく混雑していたらしいけど、工事で混雑がようやく解消されるから少し楽になるらしい。
混雑ってだけでストレスの元だしね。
このあたりだと他の観光場所として、灯台があるとのこと。
元乃隅神社とその灯台をセットで寄ることが多いみたい。
それから棚田も有名らしいので、水が張られているタイミングだとそこにも見に行く人がいるとのこと。
棚田の景色は綺麗だけど、勝手に水を張る輩が出てくるからよく問題になるよね。
やめようね。
駅まで戻ってきたらタクシー代の清算。
長門古市駅から元乃隅神社の往復に掛かった額はいくらかというと、、、
なんと5000円でした!
あのおみくじ引くために100倍の交通費払ったことになるのウケるな。
タクシーの運ちゃん、ありがとうね。
楽しい時間になりました。
時刻は16:35で、列車の時間は16:47なので10分後ともうすぐ。
なんかいいよなあ、って思ってしまう景色。
いつも見るってわけじゃないから何か感じ入るものがあるんだろうな。
さて、列車に乗ったら日本海に沿う形で、小串駅での乗り換えを挟んで下関駅までレッツゴー。
乗車時間は合計2時間くらいだからまぁそんな長くはない。
さて、ここでおみくじ結果発表。
というかここまでの旅で引いてきたおみくじをまとめて。
出雲大社のおみくじにはよく見る「大吉」「凶」とかの吉凶はなく、神様からの言葉としての運勢だけが書いてあります。
でもこのおみくじ総じていいことしか書いてないから、これ大吉と同義じゃね?
同義だよね、俺はそう思うことにした。決定。
松陰神社と元乃隅神社の方はというと、これらは正真正銘どちらも大吉でした。
正月の初詣で神田明神に行った際に引いたおみくじも大吉だったので、3連続大吉ということに。
2023年幸先いいねぇ。
まぁ、この記事書いてる今現在、今年そんな盛り上がるような出来事なかったけどな。
大吉だったのはいいとして、この写真、なーんかおかしくねぇか・・・?
具体的には松陰神社と元乃隅神社のおみくじ。
んー???
これレイアウト微妙に変えてるだけで、運勢の中身全く一緒じゃね?
こんなの初めてだわ。そんなことってあるんだな。
神社に仕入れてもらえるってことは、神社の数だけ取引先があるってことだから・・・。
余計な脱線はそこまでにして、驚きだったねということで。
この下関到着をもって、事実上この鉄道分割日本一周の一筆書きが達成され、日本一周完了となりました!めでたいね!
後はより海傍の路線があればそこを通るとかで、より日本の縁沿いを埋めるくらいだね。
この後は今日の宿をどこにするかを決める。この辺でとってもいいけど明日やりたいこと次第では移動してもいいしね。
なんかラブホみてぇだなって思いました。
近くのスタバで明日の予定を考える。
とりあえずゴールの岩国までの到着は確定事項だけど、そこまで何をするかとかは決めてない。
このあたりの観光地を回るでもいいけど、あんま心惹かれないんだよな。
ならもういっそのこと進んで岩国を満喫するか。
ということで、新山口駅近くにホテルを取ったので移動移動。
ここからなら大体1時間くらい。
19:35に下関駅を出発して、新山口駅には20:45に到着。
落ち着くにもいい時間だ。
やっと自動改札機が導入されるんだね。新山口駅もおめでとう。
全国回ってると意外とないところまだあるんだよね。
この後はコンビニで簡単な夕飯を調達してチェックイン。
寝る準備しておやすみなさい。
明日の岩国観光に備えます。
この記事も今回はここで〆。
なんとか次回分は今年中に書き上げたい。
自分への文句があるとすれば、
好き放題書くからこの記事15000字ものボリュームになるんだよ!!
終わり。