しゅー太の奇譚回想記

興味の赴くままに、風のようにふらふらと

鉄道日本一周-<九州編>⑥ 長崎(軍艦島)

どうもこんにちは、しゅー太です。

前回の投稿から3か月、九州編シリーズで見れば半年ぶりになります。
これ今年中に終わんねぇな。
モチベがちょっと別の方向向いてたり、
5月のGWには北海道にまた行ってたりしました。

モチベが一周して戻ってきたので、
またちょくちょくと、こつこつ書いていこうかなと思います。

[5日目:2018年3月10日(土)]

暴風が明けて一夜。
風はなんともまぁ微妙な感じ。弱くはないけど強くもない・・・みたいな。

ドキドキしながらメールをチェックすると現時点では予定していたイベントは実行される様子。

やったね。

幸い天気自体は晴れだったので、問題は風の強さくらい。
こればっかりは自力ではどうにもならないので、後は悪化しないことをお祈りするだけ。

 

ナイトパックの時間で入ったので少し早めに出たかな、確か。
当時泊まったネカフェを調べてみたら今はもう閉店してたみたいだった。
長崎駅近くのネカフェほとんどなかったからなぁ。
ネカフェ泊は学生の一人旅なんかで重宝する人も多いだろうから、
残念な気持ちになるね。
コロナ禍初期にこういう密閉空間の箱モノは敬遠されただろうから
仕方ない感はあるけどね。

 

8時半に港近くの建物に入っている受付に到着。
さて、散々引っ張って「イベント」とぼかしてきたものの正体。
それは、、、

 

軍艦島へ入場

 

です。

 

マジで散々引っ張っといてこんだけかよ

 

暴風だとダメ、というのは純粋に船が出せなかったからというわけですね。
ここ生きている間に行ってみたかったんですよ。
中々行く機会もないからね。

 

軍艦島は個人で勝手に行けるわけではありません。
必ずツアー会社を挟む必要があります。

「長崎に着いてから時間みて、行ってみよう!」と思っても
いつでも行けるわけでもないので気を付けてね。

ツアー会社は複数存在し、それぞれが微妙に異なった工程をとっています。
追加で行けたり受けられる説明が違ったりとか。
後は所有する船の大きさが違って、定員に差があったりします。
値段はどこも大体4000円前後。
ツアー会社によって割引があったりなかったりで変わります。

 

各クルーズ会社はそれぞれ微妙に時間をずらして運航しています。
軍艦島の中で見学できる区画って意外とかなり狭くて、そんなところにバカスカ無秩序に人を入れたら全然回れなくなるから調整されているんですね。
あと港の許容量が足りない。
なのでかなり時間にシビアです。

 

端島(はしま)。かつては羽島とも書いていました。
通称『軍艦島』。
海に佇む横から見たその姿が軍艦「土佐」に似ていたことに由来します。
運営は三菱。

 

明治時代に石炭が発見され、それ以来昭和にかけて炭鉱として栄えました。
当時は日本初の鉄筋コンクリートで作られた高層集合住宅が建てられ、学校や病院、映画館に理髪店などの他、人々が暮らすのに必要な施設が充実しており、不自由のない都市として運営されていました。

1960年ごろには5000人ほどが住んでおり、人口密度だけで言えば世界一
この頃の東京の9倍はあったそうですよ。

 

島の半分以上が炭鉱で、その残りの半分に上記の施設に加え人々が行き交うのだから、かなり窮屈だったというのは俺でも感じ取れる。

栄華を誇った部分ばかりがフォーカスされることも多いですが、労働環境はかなり劣悪で、上記の娯楽施設などができていない頃はさらに悲惨。
明治の炭鉱雇用制度である納屋制度によるタコ部屋圧制管理が基本で、それが改善された後すら狭い居住区での生活が強いられました。
しかも1日12時間労働の2交代制。やりたくないね。

 

さらには労働人口の不足を補うために朝鮮人や中国人捕虜の強制労働など、かつての日本の闇を垣間見ることができます。

 

そういう事実があったということを知る機会はやっぱり、こうして関りを持つことがないとあんまないよね。

若干危ない話題から離れて、当日の話へ。

自分が利用したのは『軍艦島上陸クルーズ』さん。

お値段も普通で評判も悪くない。ほかの会社と比べても問題はなさそう。
ということでこちらの会社を利用させてもらうことにしました。

最近は知床方面でよくない話題が出てますが、やはり各々が「安いから」という理由だけで選ぶのではなく、いろいろと情報を集めて選択することをお勧めします。

 

さて、受付では乗船料3600円+端島見学使用料300円の計3900円をお支払い。
調べたら今は見学料が310円に上がってるみたいですね。
誤差だよ誤差。

 

受付が済んだら乗船場所の元船桟橋へ。既に乗船待機列ができてました。
乗船時間は9時10分なので割と待つのですが、屋外+港という場所なので、
海風込みで想像以上に寒い。
3月なのでまだまだ春の陽気には遠く、寒気にさらされながら待つことに。
そんな中、「もう少しだけ待ってくださいね」と声をかけていただきながら配られたカイロはいろんな温かさを与えてくれました。
ありがとうございました。

 

さて、9時10分に乗船して約30分。
着いたのは軍艦島、、、ではなく高島という島の港。
ここには石炭資料館があり、軍艦島上陸前に見学し軍艦島の歴史を学ぶことができ、ツアーの一部で見学することになってます。

ちなみにこの高島は普通に今も370ほどの人が暮らす普通の島です。
中学校もあります。

ここでの見学時間は20分くらいですが、資料館はそこまで大きくないので時間としては十分。
当時の軍艦島を再現したミニマップなんかがあったかな。

 

写真撮ってもよかったはずなんだけど記録に一切残ってなかったわ。
(多分この後「本物見に行くしいらんやろ!」とか思ってたんだと思う。
アホか、ブログの厚みが減るだろ。反省しろ。)

さて、見学の後はいよいよお待ちかねの”軍艦島”へ。
再び船に乗って15分。

見えてきたねぇ

確かにこう見ると船のように見えるね

初めは港に直行じゃなくて、ぐるっと周りを見る感じ。
日によって先に上陸して、そのあと軍艦島の周りを見ることもあるらしい。

上陸してからの見学は50分。
初めはガイドさんの話を聞きながら見て回り、その後は自由時間。
大体半々か6:4くらいだったと思います。
見学、といっても島の中すべてを見ることができるわけではありません。
老朽化などもあり、見学できる範囲はごくわずかで、
徒歩換算で片道およそ5分ほどの距離。

軍艦島上陸クルーズホームページより引用

この赤いところが見学可能区域です。

ちなみに時間厳守。
予定時刻より前に船には戻れます。
飽きたら先に船の中で待ちましょう。

というわけで写真垂れ流し。
何が起こった場所かという事実は置いておいて、
やっぱり廃墟にはノスタルジックな感情を沸き立たせる何かがあるよね。

港から入ってすぐのところ

この”箱感”よ

経年劣化と潮風でボロボロなのです。

右の柱はかつて石炭を運んでたベルトコンベアーの名残。

別アングル&もうちょい近くで。

高低差も割とあるのが見て取れる。

炭鉱関連施設跡。閉山時に破壊されたらしい。

まぁ、こんな感じでした。
中は危険、ということが一目でわかってもらえたかなと思います。
見学区域が外周部かつ密集地帯ではない箇所のみの理由がはっきりとしてますね。
本音を言えばじっくりと見てみたかったですが、こればっかりは仕方ない。

 

その分、50分をぎりぎりまで満喫して行きました。
そういやなんか見学通路最奥をさらに抜けたところで釣りしてるおっさんがいたけど、あれは何だったんだ・・・?何かの見間違いか・・・?

 

と思って今調べてみたら、昔から瀬渡し船やってる業者がいて、それを利用して毎日釣り人がやってくるのだとか。マジかよ。

 

所謂、グレーゾーンというやつですな。


そして中々いい釣りスポットらしい。
一応長崎市は禁止と言ってはいたけど、瀬渡し船の存在を認知したまま長年黙認してたとかなんとか。
(県が管理するか市が管理するかが曖昧でどちらも「管轄外」としてたらしい。うーんさすがお役所。)
世界遺産登録した少し後に、市が「これ俺たちが管理する区分じゃね?」と気づいた際に「瀬渡しNG」を通告したらしいのですが、、、。

 

まぁ瀬渡し船やってる人に世界遺産登録を機にやめろと急に言っても、うん十年これで稼いでた人からすれば急に収入もなくなるし確かに無理な話。

 

今現在でもまだ禁止の姿勢らしいけど、2020年ごろに容認検討に入ってるっぽいから事実上OKみたいな感じなのかな。
どのみち絶対NGの姿勢はもう取れないだろうから、やってますアピールで黙認を貫くか、本当に認めるかの2択だね。

 

さて。

 

50分の上陸時間を終えて船に戻る。
軍艦島とお別れの時。

必ず一度は訪れておきたいと思った場所に、実際に来ることができた。
この事実だけでもかなりの満足感がありました。
実際に目で見て知ることができた部分は少ないけれど、
それでもどんな場所で人が暮らしていたかを体験できただけでも、
自分にとっては貴重な経験になりました。

楽しかったなー、面白かったなーと思い出にふけっている間に船は出発。
1時間ちょっとの船旅を経て、再び長崎まで戻ってくるのでした。

 

ツアー時間は約3時間。

長崎を訪れた際は、(完全に崩壊する前に)一度訪問してみては?

 

さてさて。


ただいま時刻は12時半くらい。
お昼にはいい時間だけど、ちょっと後回し。
ここからいったん博多の方に向かいます。

なんたって各駅停車。長崎から約4時間の移動です。
「なんだいつも通りか」とか思っているやつ、毒されてるぞ。

博多で泊まるならまぁ、もう少し遅くてもいいんですが、長崎停滞が思ったより長かったので進めるだけ進みたかったのです。
あと正直もう長崎ですること思いつかない。

 

という訳で、博多へ向けて即出発。
電車の中では風景見たり、写真の整理をしながら時間を使う。
一回の乗り換えを挟んで博多駅に。
ルート的には熊本から来た時と同じところを辿って鳥栖で乗り換えて博多へ入る形。
ざっくり書くと東へ進んで、北へ進む。

本当は、最初から北上して佐賀県の海側を通って(唐津を経由して)行く予定だったんだけど、ダメになっちゃったから、今度の機会に消化だな。

 

そして16時半ごろに博多に到着。
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着いたはいいんだけど、やること決めてないし長居もできないんだよね。
こいつマジ?何しに来たの?

 

となったらやることは一つ。
お昼ご飯の時間に充てよう。
博多と言えば豚骨ラーメン(という安直さよ)なので、駅近くでお店を探す。

ネットでも調べて”博多達磨”というのが有名らしいので、さっそく突撃。


・・・・・・したのですが、ここでみなさんに残念なお知らせがあります。
博多豚骨ラーメン、絶望的に相性最悪でした。
あの臭みは俺の食欲を砕くのに過剰なくらいの破壊力があった。

あれは人間の食い物じゃねぇ。

ぶたのえさあああああああああああああああああ!!!!!!


元々豚骨は癖があって人を選ぶのは知ってたけど、本場は格が違った。
僕にはきつめでした。
普通にあれ好きな人純粋に尊敬する。

まさに苦行と呼ぶにふさわしい時間でしたが、なんとか頑張って完食したよ。
ほめてほめて♡

 

お昼?を食べ終わったらちょっとだけ時間を潰して、列車で移動する。
なんたって17時を過ぎてるので観光できる場所もない。
太宰府天満宮ぐらいは行けたかな・・・?

一度行ったことはあるけど中学の頃だし、
福岡の中心地ともいうべき博多で何もしないのはどうかと思った。
けどあんまり遅くなると明日の出発も遅くなるし、なんなら二日連続のネカフェ泊なので、しっかり休めるか不明。

そんな訳で太宰府天満宮はまたの機会にして、先に進もう。
というか寝床の確認をしよう。

 

時間的には小倉までなら全然行けるけど、その前に観光したい場所があったので、明日はそこに寄るところからスタート。

そのためこの日の終着点は、古賀のネカフェ自遊空間
博多駅から30分くらいで古賀駅について、そこから徒歩。
駅から10分くらいなので問題ない。

 

貧乏性なのは理解してるけど、ネカフェ泊する場合入る時間気にしちゃう。
みなさんはどうです??
なんか限界まで料金分は過ごしたくなってました。

社会人になってからは旅に出てもあんましなくなったなぁ。
金があるから、という訳じゃなくて単純に「休み明け会社控えてるし風邪ひきたくねぇ」という防衛行動からなんですけどね。
プライベートと労働が切り離せない社会人の性ここにあり。

 

そんなこんなで18時半くらいにはネカフェイン。
適当にいつもどおり漫画読んでました。

この時点での進み具合は、大体最初に計画したチャート通り。
長崎停滞のイレギュラーも無事リカバリできました。
よきかなよきかな。
ガバチャーとは呼ばせない。

 

とは言え微妙に狂いはあるので、明日は少し早めに出てやりたかったことを消化して安定ルートを取れるようにしよう、と決めて就寝。

お疲れさまでした。

 

そんなこんなで、今回はここまで。
これで折り返しは過ぎたくらいかな。
何事もなく旅を終えられるといいですね。

 

それじゃあ、次回。

 

ちなみにこの日も霧島山は噴火してたそうですよ。

俺これからあそこへ戻るの・・・?