しゅー太の奇譚回想記

興味の赴くままに、風のようにふらふらと

鉄道日本一周-<九州編>⑨大分

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。しゅー太です。


年が明けて早々に、島根・山口の観光を海沿いに沿ってぐるっと観光していました。
松江から萩の方を通って下関まで出て、折り返すように岩国から最後は逃げて広島の宮島をぶらぶらしてました。
次はこのことを記事にしたいね。
東北や一番最初に中国地方疑似一周した時のこととかいつになるんだろうね。

四月からはネットバトラーに返り咲く予定なのでブログ書くなら今だよ。

今回は日本史のお勉強がたくさんできるよ、やったね。

[7日目:2018年3月12(月)AM:7:50]
朝、お世話になった祖父母宅を出てJRの城野駅へ。
九州までって割と遠いから、
「次に来れるのいつかわからないけど、また来るよ。その時おいしいもの食べにいこうね。」
と約束をして家を出て、駅まで送ってもらいました。
そんなこと言いつつ、翌年のGWに四国一周のついでに来るんだけどね。
着いた翌日熱出して即帰宅しておじゃんになったけど。

 

この日はほとんどが移動旅。
ひとまず次の県である大分まで南下します。

 

各停で向かうので時間にして大体3時間の乗車。
恒例行事。
中津駅で乗り換え経由して大分入りをします。

中津は唐揚げで有名なので、降りてどこかで食べたいなぁとは漠然と考えていましたが、ちょっと後続のことを考えるとここに寄っている場合ではないので、スルー。

次に福岡とか来た際の寄り道候補と言うことで。
そのまま大分行に乗り換えて、終点まで直行。
ということは、今回の旅は別府温泉もスルーしてます。

ある程度の出費に目は瞑っているとはいえ、学生の身からしたら「温泉見るだけで2000円はちょっと・・・。」と言う感じ。
上述の通り、他に寄り道をする余裕があんまりないということもあるのでここも次回候補入り。
いつか行くよ、いつかね。

大分へ向かう列車の車窓から

ダラダラしながら、なんとなぁく窓の外に目を向けると見たことないオブジェクトが。
藁で作ったまきグs塊が目に入ってくる。
写真を撮って調べてみると、どうやら腐敗を防ぐために稲藁を三角錐の形にして干しているらしい。
コンバインが藁を裁断するようになってからほとんど見られなくなったとグーグル先生が教えてくれた。

藁ロールとかもそうだけど、こうして列車でブラブラしてなかったら絶対実物見ることないものとか、そもそも存在を知らないまま終わるものとかも沢山あっただろうから、
それだけでもこの列車旅には意味があったなぁとつくづく思う。
どこで生きる知識かどうかって正直重要じゃなくて、「新しいものを知れる」ってだけで楽しいもんよ。

コスパいい性格してると思ったけど、旅行自体にに金・時間めちゃくちゃ使ってるからそんなことなかったわ。

 

朝から乗車し続けて時刻は11時前。
ようやく大分駅に到着。
およそ3時間の南下となりました。思ったより遠かった。

到着だーぜい

駅前の銅像大友宗麟

大友宗麟。戦国時代から安土桃山時代に活躍した人物で、戦国武将。
宗麟は法号で大友義鎮と言います。「義鎮」と書いて「よししげ」。
大学受験あたりだと高山右近と合わせて『キリシタン大名』として紹介されます。

キリシタン大名とは、その名の通りキリスト教に入信し、洗礼を受けた大名を指します。
最も初めの頃は全員が全員キリスト教に関心があったという訳ではなく、「領土内で布教の許可をいただければ、南蛮貿易の援助(貴重な品を融通)しますよ」といった具合にリターンを提示し、それに乗っかった大名が入信するという構図もあったようです。

もちろん、キリスト教に感化された大名もおり、先に挙げた高山右近は人徳があり彼に影響を受けて入信したという大名もおり、貿易云々は関係なく入信することも増えていきました。
(あとは入信まではいかなくともキリスト教に好意的な大名とか。)

キリシタン大名は着々と増えていきましたが、分母が増えると避けられないのが世の常、過激派だって現れます。
寺社などを破壊する者や僧に暴力を振るう者が出てきました
この過激派代表みたいなのが大村純忠(すみただ)という人物で、日本で初めてキリシタンになった大名と言われています。
古参はこわいねぇ。
こうした破壊活動は宣教師が教唆し行われたこともしばしばありました。

また反対に仏教や神道側はキリスト教邪教として広め対立関係を深めていきました。
まぁ、勢力を削られるのはどちらの宗教も望むところではないよね。

その後、豊臣秀吉によって全国統一がなされた後に出された1587年のバテレン追放令によって禁教への一歩が始まります。
最初、秀吉も信長同様キリスト教を容認していましたが、勢力拡大を侵略の兆しととったか、また、長崎で日本人奴隷の売買が実行されている事実を知ったためか(はたまた両方あるいはその他に理由があったのか)、キリスト教を抑えにかかります。

とは言え、キリスト教の宣教師は商人を兼ねていることも多く、キリスト教を禁止して宣教師を完全に出入り禁止としてしまうと貿易が止まることになるため、メリットの大きかった貿易を黙認。
やむなく、このバテレン追放令はあまり意味のないものとなりました。

完全にキリスト教を禁教する動きに入るのは、江戸時代の徳川幕府時代に始まった一連の鎖国の流れの中でになります。
バテレン追放令以後、1612年の禁教令を皮切りにキリスト教徒への弾圧、宣教師等の処刑、中国・オランダ以外の渡船の制限(長崎の出島でのみの交易)、日本人の渡航・帰国の禁止により鎖国が完成し、キリスト教徒はひっそりと息をひそめながら生きていくことになりました。

ちなみに『鎖国』と言っても出島のように一部限定的に認められた貿易箇所があり、上記の出島以外だと
松前アイヌ蝦夷
対馬:朝鮮
薩摩琉球
と貿易を行っていました。
※ただし幕府の管理の元
完全にシャットアウトはしなかったという訳ですね。
また、世界の事情なんかは出島にあったオランダ商館長(カピタン)に提出させた『オランダ風説書』から情報を得ていました。

禁教令が発布される一因にキリシタン大名の起こしたある事件が関わっているので、キリスト教の布教から禁止になるまで文字通り中心にいたと言って間違いない存在が彼らになります。

余談その2になりますが、キリスト教の洗礼を受けると洗礼名(教派によって聖名(せいな)だったり教名(共きょうめい)だったり呼び方は変わる。クリスチャンネームとも。)がつけられますが、大友宗麟の場合は「ドン・フランシスコ」という名前だったそうです。
※洗礼名は聖人の名前を取って付けられるらしい。絶対名前被るやつ出て来るやろ。

キリシタン大名関連の話おしまい。

 

一時的に駅の外には出たけど、再び列車のホームまで戻る。
ちょっと時間があったから先に写真だけ取っただけ。20分ないくらいかな。

さて、このまま由布院(ゆふいん)駅に向かいます。
『湯布院』とも書くこの地名。
元々この地域には「栲(たく)」という木が多く生えており、
その木の皮から作った木綿のことを「由布」と言います。
また、飛鳥から奈良時代律令制(昔の日本の法律)で定められた税である
祖(収穫した米)」や「調(布類や特産物)」を集める場所を”院”といい、この地にそれがあったことから組み合わせて由布院となりました。
※ちなみにもう一つ労役の税があって、「庸(よう)」と言う。

そして、時は流れ昭和30年に村の合併が起きました。
その時由布院と合併した村の名前が湯平村という名前で湯の字が取られ、
湯布院”とも呼ばれるようにもなりました。

この由布院は温泉地で有名で、温泉目的でみんなこの地を訪れます。
アクセス的にもバスを使えば福岡からそんな離れていないので、寄ることは可能です。

温泉地でもあるので、例にもれず買い食いのできるグルメタウンになっていました。
今は知らん。

由布院駅。ホームに有料だが足湯がある。

1時間くらいで由布院駅に到着。駅前は結構な数のタクシーやバスで入り乱れていました。
そして数多く聞こえてくる絶対に日本語じゃない言語たち。
多分ここにいる人の半分くらいは韓国とか人たちだったと思う。
すごかったよ、ほんと。
むしろ日本語の方が珍しいくらいだった。

とんでもない場所に来たなぁと漠然と思う。
コロナになってかなりの被害を受けた場所の一つだと思う。
メジャーなところだと京都とかもそうだろうけど、それでもあっちはまだ国内客が集まりやすいからね・・・。

 

で、温泉地なんだけどぶっちゃけ温泉浸る気は一切なかったです。
「大分どこ行こうかなあ。有名なところ一か所は押さえたいけど。お、由布院近いやん。ここにしよ。」な適当さで選ばれたのは由布院でした。
当日ちょうど連絡してた知り合いからは

「行く意味ないよそれ」

と火の玉ストレート。

反論できないないのでとりあえず、由布院で観光名所になっている金鱗湖に向かって、道中にある食べ物物色しつつ入浴できる温泉を探す。

ちなみに食い物の写真はありません(いつもの)。
この当時は食い物に関心なんてほとんどなかったからね。
食べてたのも「なんとなくそれっぽい観光」になりつつ、友人に話した際の話題作りの面が大きかったな。
最近は普通にうまいもの食べよう、となるから人間的な成長を感じる。

いろいろあったけど、確かプリンとアイスと唐揚げとか食べたかな。
こういう場所にある唐揚げの出店って大体「日本一」とか「〇〇賞受賞」とかって掲げてるよね。
マジで謎。逆にうさん臭さを感じるのは俺だけ?

金鱗湖

最奥にある金鱗湖は、湖の中に鳥居があります。
嫌いな人おらんやろこんなん。

駅から金鱗湖までは歩いて大体20分くらい。
通りの屋台と言うか食べ歩きできるものを売ってるお店とかの他にも色々あった(アニマルカフェみたいなのとか)のでブラブラしながらだとなんだかんだ1時間は使いそうな予感はある。

金鱗湖

茨城の水戸にある千波湖ほどじゃないけど、野鳥もそこそこいる

行きと帰り道で散策をしながら、結局目に入った銭湯に入ることに。
お店の名前ちゃんと見なかったんだよなぁ。忘れました。
そこそこその時だけ温泉に入れる施設があったので、適当に来ても楽しめる・・・かなぁ。
基本みんな泊り前提で来ると思うけど。


温泉好きなんですが割と早めに撤退。
鍵付きのロッカーがなかったのと大学入ってから体が熱に弱くなってあんまり熱いところにいられなくなったので、その都合。
正直温泉って絶対どこもそんなに変わらないんだろうけど、
温泉がメインの観光地だとやっぱり一層気持ちよく感じるよね。

風呂上がりにせっかくだから地ビールでも、と思ったけど何故か売ってる場所が見つからない。
結構探し歩き回ったんだけど、全然見なかったんだよな・・・。
ちゃんとあるのは調べたんだよ。これこれ。

www.yufuinbeer.co.jp

流石に探すのヘタすぎか。

探してるうちに由布院を出なきゃいけない時間が来たので、さようなら。
由布院は流石にもう一人で来ることはないかな。
次に来ることがあるとしたら誰かとになるな。
つまり残念ながら、それはないっていうことや。

14:45ごろに出発して、大分まで戻る。
次の列車まで時間があるので、いったんまともなお昼タイム。

大分と言えば、とり天。二代目与一さんにて。

大分名物の一つである琉球(アジの刺身を甘辛いタレで漬けて食べる丼。元々は漁師の賄飯で名前は大分の漁師が沖縄の漁師から教えてもらったことに由来。)で有名なお店。
ただ、どうしても旅に出発する前からとり天を食べたいと思っていたので、
ここでとり天を注文。
とり天はその名の通り、(基本は)鶏肉の天ぷら。
調べたら基本は「胸肉です」「もも肉です」と書いてあって正直わからん。
多分どっちもそれなりに使うんじゃないかな。
胸肉ならかしわ天と変わらないだろ。
とり天は唐揚げのように一口大サイズで、唐揚げよりもさっぱりしてます。
タレは酢醤油に練りからしを溶かしたものが一般的らしい(ウィキペディアより)。

列車の時間まで2時間くらいあるので、のんびり味わう。
さっぱりしてる分唐揚げと比べてガッツリ食べてる感じはしなかった。
かしわ天と同じだから食レポいらんやろ。

 

この日の活動としてはこれでおしまい。
あとはひたすら移動。
翌日のことを考えて延岡(のべおか)駅まで進みます。
大分からだと佐伯駅で乗り換えを含んでここから3時間弱の移動です。
この佐伯→延岡間がネックで、18きっぷで旅している関係上、まぁ基本普通列車での移動になりますが、ここの区間普通列車
なんと合計一日3本しかなく、朝6時20分頃の列車を乗り過ごすと次に普通列車が来るのが17時頃で、その次が19時頃になるという乗り過ごすと致命傷になりかねない区間になっています。
この間は山間部になっていて、途中駅はすべて無人で、
走っている特急もすべて通過していくような場所。
鉄オタの中では有名な場所らしいっす。

代わりに相対比特急列車はバンバン通っているので、最悪5000円ほど払えば通過はできますが、当時は学生でそこまでお金を湯水のごとく使うことはできず、なんなら節約できるところは節約していくスタイルだったので、なんとしても普通列車で乗り越えたい難所という訳でした。
「5000円あったら、観光に回すわ。」というね。
進める時に進んでおこうがモットーな旅なので、ここの通過を翌朝の6時ではなく、この日にやってしまいます。
なので延岡駅到着が21時半ごろとなりました。
辛いね。
しかもこの日は宿代節約のためにネカフェ泊。
尚且つネカフェまでは駅から30分で移動方法は歩き。
終わってる。
もうできないよ、こんな旅。

 

ネカフェについたのは22時前くらい。
翌朝も早めなので即就寝。
というか、明日この旅の中でも割と体力使う予定だから回復に努める。

 

という訳で今回はこの辺で。

 


なんと、この旅の記録があと2日分残っているらしい。
後ろ(記事にする予定の終わった旅)がかなり閊えてますよ?