しゅー太の奇譚回想記

興味の赴くままに、風のようにふらふらと

鉄道日本一周-<九州編>③ 熊本

こんにちは、今年ももう半年終わるのが信じられないしゅー太です。

 

ここ最近の毎週末は、抹茶パフェしばくのがルーティンに加わりました。

これまでは京都に行った際、というか抹茶パフェを食べに京都へ行っていましたが、流石に行きづらくなったので、今は関東でおすすめレパートリーとお気に入りの店探しに精を出してます。

 

6月には中々ない機会なので鳥獣戯画展も見に行きました。面白かったですよ。

通常なら激込み安堵長蛇の列必至ですが、コロナの影響もあって事前予約制で館内にいる人の数も制限されていたので、かなり快適に見ることができました。

こういった面はコロナに感謝ですね。

収まったあともこのやり方続けてほしい・・・。

 

近況終わり。

さて、前回は観光列車の旅を堪能した後、人吉の青井阿蘇神社にお参りして人吉を出発したところでしたね。

それでは、2日目午後の部はじまりはじまり。

 

[2日目:2018年3月7日(水) 14:00]

人吉から肥薩線八代行に乗車し、15時過ぎに八代で乗換。

鹿児島本線で終点の熊本駅まで目指します。

 

道中トラブルなどもなく予定通り、16時頃にくまモンの生息地熊本へ到着しました。

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主要駅だけあってやはり綺麗だね。

熊本駅周辺での観光候補は熊本城水前寺公園(水前寺成趣園)

前者の方が優先度が高いので、後者は余裕があったら。

まぁこの時点で16時なので、行けないのは確定なんですけどね。

 

とりあえずここの主目的である熊本城へ。

別名、銀杏城とも。

この名は、城内に植えられた大イチョウに由来しています。

熊本城へ向かう方法は市電・路線バス・周遊バスといくつかあります。

 

市電の場合は、熊本駅から歩いてすぐの所にある"熊本駅前"駅から健軍町方面の車両に乗車して"熊本城・市役所前"駅で下車します。

この場合は時間は17分で料金は170円です。

下車後は、10分ほど歩くと熊本城へ到着します。

詳しい時刻などを調べる場合は下記から。

www.kotsu-kumamoto.jp

 

路線バスの場合は、熊本駅前にあるバス乗り場から桜町バスターミナルで下車できるバスに乗車すればいいのですが、そこへ向かうバスは熊本市交通局産交バス熊本電鉄(が運行するバス)のように複数のバスがあります。

とは言え、まぁ基本乗り場①に行けば大丈夫です。

わからなければインフォメーションセンターで聞くといいよ(ぶん投げ)。

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画像を参照に。

以下は時刻検索などにどうぞ。

熊本駅前のりば|熊本都市バス|バス停時刻検索

熊本駅前(くまもとえきまえ) 系統一覧/バス停時刻表検索 | 産交バス

熊本電鉄 バス時刻表検索結果 | 熊本電気鉄道株式会社

 

また2021年4月からは熊本駅前のバスターミナル完成に伴い、乗り場が上記のターミナルへ変更されているので、それ以前に行ったことある人は注意が必要です

 

熊本駅前から桜町バスターミナルまでは約10分ほどで、桜町バスターミナルから徒歩で10分かかります。料金は160円です。

 

最後に周遊バスですが、しろめぐりんというバスになります。

shiromegurin.com

熊本城及びその周辺の観光できる場所へ寄ってくれる周遊バスで、普通に乗る分には一回160円になりますが、一日乗車券を400円で購入することができます

この一日乗車券には各施設の割引券が付録されているので、いくつか寄る予定があるという方にはお得かもしれません。

ただ周遊バスではあるのですが、周遊ルートが1ルートしかないので、熊本駅前から熊本城までは30分ほどかかってしまいます。

※ちなみに、一日乗車券はしろめぐりんの中で買えます。他にも熊本駅の観光案内所などでも事前に購入できる場所のあるので、詳しくは上記の公式サイトからご確認ください。

 

とは言え、しろめぐりんも途中で桜町バスターミナルにも立ち寄るので、他の路線バスと同様そこで下車し、10分歩くのもいいかと思います。

めんどくさかったら10分と引き換えに乗り続ければいいしね。

 

ちなみに熊本駅から歩くと熊本城までは30分かかります。

歩く人は頑張れ。

 

自分は出発時間が一番近かった市電を選択し、市役所前で下車してそこから熊本城まで歩きました。(ぶっちゃけ1駅手前の花畑町駅で降りた方が近かった気がする・・・。)

 

道なりに歩いて行くと加藤清正がお出迎えしてくれます。

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加藤清正

という訳で、今回は他に語れることもないので、ここで加藤清正解説。

加藤清正安土桃山時代から江戸時代初期の人物で、熊本県では親しみを込めてせいしょこ(清正公)さんと呼ばれてます。

 

加藤清正豊臣秀吉、秀吉が亡くなってからは徳川家康に仕え、関ケ原の戦い以後に肥後と豊後の一部が与えられここ熊本の藩主となりました。

 

熊本自体を任せられたのは、1586年に秀吉が行った九州平定の際に肥後を任されられた佐々成政(さっさなりまさ)が1587年に起こった肥後国人一揆を抑えられずに失政、改易された時でした。

「ささき」の誤字じゃないよ。「さっさ」だよ。信じろ。

この佐々成政には浜松城いる徳川家康に会うために富山から冬の北アルプスを越えたというやべー逸話があります。良い子のみんなはマネしないでね。

 

さて、佐々成政はその後どうなったかというと失策の責任を取って切腹となりました。

代わり肥後を南北で分割し南側を小西行長、そして北側を加藤清正が治めるようになりました

この出来事が起きたのは1588年のことで、この時熊本城のことは『本城』と言う名前で、1606年頃に今の『本城』と言う名前に変わりました。

 

清正が肥後を任せられたのは一説によると、九州平定が終わった後の肥後国人一揆が発生したことで、政治的にも情勢が不安定な状況を考慮された結果だとも言われています。

長年代官を務めた経験と九州平定と肥後国人一揆後に派遣され現地に通じている清正が適任だと考えられた訳ですね。

 

加藤清正の解説終わり。 

 

さて本命の熊本城ですが、熊本城は2016年4月の熊本地震で石垣や天守閣その他もろもろの史跡が崩壊しました

 当時は2018年なので発生から約2年経ってますが天守閣の修復が中心に進められているため、天守閣以外の場所はまだまだ修復手付かずの状態になっていました

 

ちなみに天守閣は耐震用のダンパーが搭載されたり、利便性向上にもなるエレベーターが搭載されたりとサイボーグ熊本城へと進化を遂げてます。

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世代は02でした。

そして今年2021年4月、予定通り無事に天守閣の再建が完了。

その復旧記念として、4/26から天守閣内部の特別公開・・・・が予定されていましたが、コロナの感染拡大に伴い、延期されてしまいました

これまでも天守閣修繕の節目節目に特別公開として、2回ほど入城(立ち入り禁止だった区間内から天守閣を外から眺める等)機会がありました。

漸く天守閣も完成してお披露目できる!という所で延期になったのは仕方がないとは言え残念です。GWにかけて感染が広がってきたの悪意しか感じない・・・。

 

 という訳で、ここからはその修復中の熊本城散策の画像集になります。

もう一度書きますが、豪雨から2年経っている状態です。

どれほどの被害があったかを感じ取っていただければいいなと思います。

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1枚目

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2枚目

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3枚目

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4枚目

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5枚目

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サイボォォォォォォォォォォグ!

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綺麗な石垣・・・崩れたところを思うとほんと残念。

ここは熊本城内にある加藤清正を祀っている加藤神社

崩壊はしてなかったです。

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本当に親しまれているのが伝わってきますね

散策のルート的には観光案内所の所から二の丸広場を通って、二の丸御門跡を右折して加藤神社に寄り道しつつ、外側の通りに沿って歩いて厩橋に出る感じでした。

中はがっつり規制されていたので。

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この時は散策しているだけだったので、1時間ほどで撤退しました。

 実際に見た感想は、正直「おおぅ・・・」と言葉にならなかったです。

 まさか2年前の爪痕がここまで残ってるとは思わなかったので、「修復中でスケスケえっちな熊本城を覗いちゃうぞ♡」とあほあほ気分で訪れた頭をガツンと殴られたような衝撃がありました。

 もし入場が再開して熊本を観光する機会がありましたらお立ち寄りください。

観光案内所の近くには熊本城について学べる体験型エンターテインメント施設である「わくわく座」と江戸時代の街並みをイメージした飲食店が軒を連ねる「桜の小路」もあるのでこちらもどうぞ。(リンク埋め込んでます。)

 

さて、そろそろいい感じに晩ご飯が見えてくる頃合い。

どうせなら熊本名物をいただきたいところ。

という訳で、グーグル先生にさっそく質問。

そして出た結果は・・・。

タイピーエン!

 

漢字で書くと太平燕

その歴史は今から約120年ほど前、九州に渡ってきた福建省の人々が創作を加えて作られた料理で、何らかのお祝い事の際に作られていたのだろうとのこと。

本場福建省にも同名の料理はあるとのことですが、熊本のものとは別物でこちらは手間のかかる肉団子スープらしく、現地の人も大事な時やお祝い事の際に食べるものだそうです。

福建省から渡ってきた人たちは名前と風習はそのままにしたんですね。

元々太平燕は九州全土にあったそうですが、今は(長崎にもありますが宴会食として出てくるのみだそうで、一般食としては)熊本を残すのみとなっています。

給食で出てくるそうですよ。

熊本を訪れなかったら太平燕なんて食べ物一生知る機会なかっただろうなぁ。

さてこの熊本の太平燕がどういった食べ物なのかと言うと、あっさりとした春雨スープにエビ・イカ・豚肉・白菜などの五目炒めを入れて、揚げ卵を添えたヘルシーな麺料理になります。

見るからに女性人気がわかる料理ですね。

関係ないですが僕は熊本の女性が好きです。(謎の告白)

 

そして今回お世話になるお店は紅蘭亭さん

熊本に2店舗構える外観も内装もおしゃれなお店です。

旅に出ると一人でどんなお店でも強気で向かえるメンタルになるのなんでだろうね?

訪れたのは上通パビリオン紅蘭亭店。

到着したのは18時よりも前くらいでしたが、既に混んでいるので列に並び大人しく順番を待つ。

それでも10分から20分位で店内に案内され、太平燕を注文。

そして暫くして、お望みの太平燕が運ばれて来ましたのでいざ実食!

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たいぴーえん

めっっっっっっっっちゃ、あっっっっっっっっっっっっっっっっさり!

春雨スープなのでそこまで濃さは期待していなかったですが、マジで薄味。

僕はどちらかというとご飯の味は薄味の方が好きなので、大変美味しくいただけましたが、濃い料理が好きな人は合わないかなぁといった感想。

 揚げた卵も初めて食べましたがおいしいですねこれ。

熊本に来た際にはまた食べに来たいと思います。

 

ご馳走様をした後は、ちょっと早い時間ですがネットカフェの快活クラブにインして今日の活動は終了です。

もう快活クラブから抜け出せないよぉ~。 

 

はい。

予定として翌日は、佐賀に寄り道しつつ長崎を目指します。

ちなみにネカフェ泊で眠ることはできますが、疲れは取れないどころか溜まり続けます。

これだけは、みんな、覚えて帰ってほしい。

ネカフェで、疲れは、取れないんだ。いいね?

鉄道日本一周-<九州編>② 熊本(主に人吉)

 こんにちは、しゅー太です。

 

無駄に東京では三回目の緊急事態宣言が出されましたね。

しかもGW期間だけ。

多分ほとんどの人が気にかけないんじゃないかな・・・。

酒類の提供禁止。8時以降の該当以外の店頭などの明かりを消灯。

 生活必需品売り場以外の大型商業施設の休業要請。

Twitterのトレンドで流れてた空襲警報は不謹慎ながら笑ってしまった。

なお通勤風景は変わらない模様。

うーん、流石としか言いようがないね。

気兼ねなく旅に出たいだけなんだけどなぁ。

東京オリンピックが開催されたら旅に出ようそうしよう。

 

[2日目:2018年3月7日(水)]

2日目の朝は鹿児島中央駅を9時40分出発なので、そこそこゆっくりしてカプセルホテルをチェックアウト。

(この頃はなるべく極限まで時間を有効に使えるように予定を詰め詰めにして動いていたけど、最近はゆったりしながら動くようになった。

年を重ねたから趣向が変わったのかもしれないけど、どっちの方針も好き。)

この日は最終目的地である熊本へ向けて移動しつつ観光をしていきます。

 

鹿児島でやり残したことは、もうちょっと市内観光(前回紹介した駅ビルの中とか)や桜島をしっかり巡るべきだったかなぁと思っています。

まぁ次来た時ですね。黒豚のしゃぶしゃぶとかも食べたいし。

 

ひとまず列車に乗車し隼人を経由し、吉松へと向かいます。

吉松へは予定通り11時40分頃到着。

途中、第二次世界大戦の空襲時に被害を受け、銃弾が貫通した当時の柱が残る大隅横川(おおすみよこがわ)駅を通過しました。

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車内からですが撮影。

鉄道の旅をメインに進めてるけど、沖縄にもタイミングを見て訪れて戦争のことをもっと知りたいね。(高校の時に修学旅行で行ったきりなので。)

 

 吉松駅到着後は観光列車「しんぺい2号」に乗車して人吉駅へ向かいます。

外観とか内装とかはこちらを参考にしてね。

www.jrkyushu.co.jp

吉松-人吉駅間(正確には人吉が終点ではなく熊本まで乗れる)は観光列車である特急「いさぶろう」と「しんぺい」が運行されており、吉松行きが「いさぶろう」、人吉行きが「しんぺい」です。

またこの観光列車、実は自由席であれば18きっぷでも乗車可能な特急になっています。

お得ですね。

ただ、2021年4月現在は上記サイトにも書いてあるとおり2020年7月豪雨の影響で球磨川が氾濫、鉄橋流出や路線への土砂流入など肥薩線に大きな被害を受けたため、現在は列車の運行がされていません。

令和2年7月豪雨(熊本豪雨)(wiki)

 →こっちは気象庁の該当ページ

豪雨後には、球磨川の氾濫対策として計画されていた川辺川ダムの建設凍結は誤りだったのではないかと批判も挙がっていましたね。

 

路線としてはかなり魅力な要素が詰まっていたので、難しいとは思いますが、また乗れる日が来ることを祈っています。

 

さて、閑話休題

この観光列車は吉松駅に着く間にいくつかの駅に停車します。

まずその一つが真幸駅。これで”まさき”と読みます。

宮城県で初めて誕生した駅で、1911年当時の姿のままで使用されてます。

名前からしてとても縁起のよさそうな駅名で、ホームには「幸せの鐘」が設置されています。またその名前から入場券も人気ですね。北海道の愛国駅と幸福駅みたい。

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外観

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僕は強欲なので3回鳴らしました。

この吉松-人吉区間は勾配の急な山が鎮座しています。

当時の列車は蒸気機関でしたが、この山を車両をけん引して一気に登れるほどのエネルギーはなく、直接上るのは不可能でした。

そのためいったん真幸駅に入って休憩し、引き返す形で発進。その後駅の上の路線へと折り返すように入る逆Z型のスイッチバックが採用されていています。

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こんな感じ。人吉側からはこの逆パターンで入る。

真幸駅の次の停車駅は矢岳駅になるが、その道中には日本三大車窓に数えられる矢岳越え」が存在します。

加久藤(かくとう)カルデラ越しに霧島連山とえびの高原を眺めることができます。

この区間では列車が一時停止して写真を撮ったり眺めを堪能する時間を用意してくれています。

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あいにくの天気。晴れていたら綺麗だったろうに。

日本三大車窓の残りは長野県の姨捨駅から眺められる長野盆地善光寺平)の景色。

北海道の根室本線にある狩勝峠を進行方向が180度変わるような大カーブで通りながら見る十勝平野の景色があります。

が、後者の方は1966年に廃線になっているため列車からの景色を見ることはできません。(生まれてすらないからどうあがいても無理ゲー。)

遊歩道として整備されているので、当時の景観がどんなものだったのかを想像することはできます。頑張って歩いてね。

 

矢岳越えを過ぎると、肥薩線内で最も標高の高い駅、矢岳へ到着します。

平屋の木造駅になります。

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ブログ用にちゃんと外観を撮っておけ。

また、この矢岳駅にはSLが展示されています。

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矢岳駅の次は大畑(おこば)駅ですが、この駅に向かう線路は山をぐるっと一周して勾配を緩くするループ線が採られています。

このループ線は人吉側から矢岳駅へ向かえるように用意されたものになります。

ただ、本来ならループ線に入る前に休憩所となる駅や信号を用意するらしいのですが、この山にはそれらが設置できる平坦な場所はなかったらしく、ループに入ってすぐの場所に駅をスイッチバック形式で設置しました。

それがこの大畑駅になります。

 

そしてループ線の最中にスイッチバックが存在するのは日本で唯一この場所のみのとても珍しい場所になります。

この路線は難題を攻略するための鉄道技術を惜しみなく詰め込んだ場所という訳でございますな!

この大畑駅下の写真のように駅構内に大量の名刺が貼られています。

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写真からは見れないけど四方の壁すべて名刺だらけ。

理由はこの駅舎に名刺を貼ると出世できると言われているためです。

こんな場所簡単に貼りに来れるわけねーだろ。

まるで何かを封印するために貼られた呪符みたいだぁ。ある意味出世の怨念を閉じ込めているようにも見える。(適当)

ちなみに何故始まったのか由来はわからないそうです。

ちなみに夏目友人帳の聖地らしいですよ。僕はこの時知りました。

 

そして大畑駅を過ぎれば無事13時ごろに人吉駅に到着です。

1時間ちょっとの間、楽しい時間をありがとう。

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駅前にはからくり時計があったが修理中だった。そういうのいいから。

さて、人吉に来た目的ですがこちらに立ち寄るためです。

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はい

青井阿蘇神社

人吉駅から徒歩10分とかからないくらいところに青井阿蘇神社があります。

青井阿蘇神社は今から約1200年前の806年に創建されたと言われています。

大体空海最澄真言宗天台宗を開いたのと同じ頃です。

ぶっちゃけピンとはこねーな。

あとは海外だとシャルルマーニュが頑張ってた頃。

 

阿蘇を開拓し、阿蘇神社の神主である大神惟基(おおがこれもと)が神託により、その守り神として阿蘇神社の御祭神十二神のうち三神の御分霊を9月9日に青井阿蘇神社に祀らったのが始まりと言われています。

祀られたのは、

初代天皇である神武天皇の孫にあたる健磐龍命(たけいわたつのみこと)
その妃の阿蘇津媛命(あそつひめのみこと)
そして二人の子供の國造速甕玉命(くにのみやつこはやみかたまのみこと)の三柱です。

 

健磐龍命はどこぞの番組やYouTuberの如く阿蘇カルデラ湖の水を全部抜いて田を造ろうとした逸話があります。開拓にはぴったりの神様ですね。

ちなみに湖の水を抜く方法は外輪山(二重以上の複合火山の外側の火口縁、またカルデラの縁にあたる山)を蹴破るというものでした。規模が違う。

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また水が引く途中で流れをせき止めていた大鯰を退治したという伝承もあります。

 

次に大神惟基という人物ですが、生涯について詳しいことはわかっていません。

その代わり(?)、出生についてはとある伝説が残されています。

 

曰く、豊後国(現在の大分県辺り)の山里に住む娘の所に毎晩見知らぬ男が通ってきて、娘は身ごもってしまう。正体を知るため、母に言われ娘は糸の付いた針を男の狩衣(※)に刺した。

狩衣平安時代の公家の普段着。確かにこの服装なら身元は保証されたも同然だからどんな人物なのか気になる。俺ならワンチャン玉の輿あるな的な。

翌日、糸を追うと祖母山の麓の岩穴に辿り着き、娘が姿を見せるよう懇願すると一度は断るも男が姿を見せる。その姿は4,5メートルにもなろうかという大蛇であった。その大蛇の喉元には狩衣に通したはずの針が突き刺さっていた。

大蛇は、「生まれてくる子供は男児で、弓矢や打ち物を取っては九州に並ぶ者はないだろう」と告げて、息絶えてしまう。

その後生まれた子供は、祖父から名を取って大太と名付けられた。

成長が早く7歳で元服(成人のこと)し、手足があかぎれでひび割れていたため「あかがり大太」と呼ばれたと言います。これが後の大神惟基になります。

 

という祖母山大明神の神体である蛇との蛇神婚伝説です。

大分県竹田市の穴森神社にはこの大蛇が住んでいたと言われる岩穴があります。

(この穴森神社は恋と出会いの場所とされ、洞穴にある小石をひとつ持ち帰ると子宝に恵まれると言われています。願いが叶ったらそっと小石を洞穴へ戻すように案内されています。無茶言うな。お借りしてるものだし、きちんと返そうね。)

この伝説は平家物語源平盛衰記にも記されています。

 

竹田市にある岡城を築城した緒方三郎惟栄(おがたさぶろうこれよし)はこの大蛇の末裔と言われています。岡城はあの滝廉太郎が作曲した『荒城の月』のモチーフとなった場所ですな。

 

余談ですが宮崎県の高千穂にある天岩戸神社は社伝によると、812年に大神惟基によって再興されたと言われています。ここにもこの旅の中で寄ったので詳しいことはその時の記事で。任せた未来の俺。

 

ちなみに現在の社殿は相良長毎(さがらながつね)によって1610年から1613年にかけて造営されたもので、本殿・廊・幣殿・拝殿・楼門の5棟社殿群が2008年に熊本県初の国宝に指定されました

また、前述の豪雨で拝殿が床上浸水するなど被害を受けました。(これ以前にも球磨川氾濫による浸水被害にはあっている。)

地元では青井さんとして親しまれています。

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立派な茅葺屋根が堪らない。

一通り見学した後、 願掛け記念でおみくじを引きましたが、「旅に出るな」と書かれていました。もう出た後だし関係ないな!

 

という訳で何も気にせず旅を続行します。(鋼の意思)

時刻は14時ごろ。

この後は、人吉から熊本駅へと向かいます。

お昼は駅弁である「栗めし」というのが有名らしいので、購入し列車の中で食しました。

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栗たっぷりでおいしそう。容器の形もかわいい!

勿論おいしゅうございました。

列車旅のいいところは飯や酒を味わいながら旅できることだってところは何十回でも推していきたい。

長くなりすぎたから今回はここまで。

次回は熊本に着いた後のことと、短くなりそうだったら三日目のことも触れていきたい。

 

はぁ、今度、栗飯食いに行こ。

鉄道日本一周-<九州編>① 鹿児島(知覧・桜島)

こんにちは、しゅー太です。

 

緊急事態宣言下だろうが普通に仕事もしてるし、やることなんも変わらない。

飲食店等に時間の関係で行きにくくなったのが、マイナスですかね。

特に映画館。

レイトショー好きだったから、営業時間短縮が一番自分に効いてる・・・。

仕事帰りの楽しみでもあったので、これがある種日常の象徴とも言えるかもしれないです。

なので、やっぱりいつもとは違う「いつも」になったんだなと最近は感じます。

とりあえず三月の新エヴァを楽しみに生きます。

ちゃんと終わるといいなぁ。

 

まぁいつもと違うのなら、せっかくだし楽しかった非日常を感じよう。

と言うことで今回から九州一周編をまとめていこうと思います。

ここはいつもの自己満足。

 

時期は2018年の3月。

大学を卒業する頃で、社会人になる直前ということもあり、「今後の人生でここまで余裕ができることはまぁそんなないだろう」と思い、最後にと贅沢に8泊9日での一周行程になりました。(終わった後、屋久島行ったり京都に一週間弱居たりもしましたけど。)

 

今回お世話になるのは、勿論青春18きっぷ

いつもの。もはや恒例。これなしでは生きていけない。

今回はだいたい10日分必要なので、2枚購入。

これで怖いものはない。

あと、この旅からせっかくだし写真をもっとたくさん撮ろうと思い立ちコンデジを購入。でかい旅の前にちょっとした出費になってしまった。

秋にはミラーレスを購入したのでこの旅以降一回も使っていません。

 

では振り返っていきますか。

書いてて思い出したけど、正確に一周はしてなかったね。

マジか。

 

[1日目:2018年3月6日(火)]

九州を一周するにはまず当たり前ですが、九州に降り立たなくてはいけません。

そして、そもそもこれは日本一周の一環でもあります。

となると、鉄道で関門海峡を越えて九州入りするのがセオリーかなと思いましたが、

今回は飛行機をしようすることにしました。

理由は簡単。

時間もかかるし、金もかかる。

この時は「鉄道一周をする場合、新幹線は使用しない」という縛りを設けていた(別に使ってはダメな訳ではなく、「新幹線で通過した場所は攻略扱いにしない。別途走破する。」という考えを持っていた。ただこの時「後で走りなおす」という考えが何故か頭の中に浮かばなかった。多分一度在来線で通った場所じゃなければ使いたくない、とか思ってたんだと思う。)ので、鉄道はなし。仮に新幹線を使ったとしても、費用もばりかかる。

少しでもケチりたかった貧乏性のおかげもあり、速攻で没案と相成りました。

合理的な理由もあって、一周ルートを構築していたときに福岡辺りからスタートすると右・左回り関係なく、行きたかった場所を巡ると微妙に列車の時間等がかみ合わず、効率の悪い動き方になることがわかりました。

ならばいっそのこと他の場所からスタートした方がいいのでは?となり、

飛行機鹿児島空港を目指すことに落ち着きました。

屋久島行く際にも利用するので、下見もしたかったんだよ(言い訳)。

 

LCCを利用しましたが、当時の料金が往復で2万円。

安すぎる。移動するだけなら本当に便利。とは言え何かあった際のフォローが薄いから、不安な人は普通に大手を利用することを進めます。

(この旅自体にかなりお金がかかることがわかってたから、始まる前の費用はなるべく抑えたくて今回は使用しました。)

手段で言うなら、かの有名な高速バス「はかた号」も試してみてはいかがでしょうか。

乗車時間は14時間で、今はかなり快適に向かえるらしいですよ。

深夜バスには乗るなって家訓にも書いてあるので、僕は絶対乗りません(鋼の意思)。

 

さて、というわけで自宅を出発し横浜駅へ向かい京浜急行羽田空港まで向かいます。

羽田空港自体利用するのは多分高校の修学旅行で沖縄へ行った時以来。

いつかじっくり空港の中を散策したいですね。

んで、LCC(今回はスカイマーク)の搭乗口へ向かうが、くっそ遠い

格安だし仕方ない。でも時期によってはLCCでも普通に値が張るよね。なんで?

7:55発の鹿児島行きに搭乗し、無事出発。

鹿児島ではまず知覧へと向かいます。指宿も目指そうかと思ったのですが、まぁ一人でしたいことがあまり思いつかず行くだけになりそうだったので、スルーします。

最南端の駅があるので価値がないわけではないですが、それは、まぁ次回と言うことで。

 

で無事到着したんですが、この日なんと霧島山新燃岳)が噴火

えらいタイミングでこっちに来てしまった。

 到着前くらいからちっちゃい噴火をしていたらしく、14時ごろから16時ごろまでの間に4回爆発的な噴火をしたようでした。

鹿児島からの熱烈(物理)な歓迎に身を震わせる。

幸いこの旅を通して影響等は全くでなかったのでよかったですが、桜島を含め常日頃から噴火と共に生活している人たちには尊敬をしています。

 

自然(災害になるかは別の話だけど)と共に生きるということであれば海沿いで暮らす人たちや、日本に住むだけで地震とは切っても切れなくなるから、そういう脅威は改めてそれぞれの生活の一部として当たり前に組み込まれているんだなぁと思いました。(作文)

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このハイカラな建物は鹿児島中央駅

鹿児島空港から主要な場所に移動する場合は、(リムジン)バスを利用します。

初見の時は「え?これ?団体客用とか別用途だったりするやつじゃないの?」と思うこともありますが大丈夫。

案内に従って乗り場の待機列に並んでおきましょう。

ただし、乗車前に切符を購入しておく必要があるので、それは忘れないようにしておきましょう。

最悪後払いでも対応してもらえるとは思いますが。

 

鹿児島空港からバスで向かうのは鹿児島中央駅

ここが、鹿児島の中心地になります。

間違っても鹿児島駅には乗り継がないようにしましょう。

桜木町行きたいのに神奈川県で言う「神奈川駅」に行くようなものです(偏見)。

駅の規模的には鹿児島の方がマシ。

 

 鹿児島空港から鹿児島中央駅までは3,40分くらい。

料金は現在大人一人1300円です。

リムジンバスだし仕方ないね。

 

鹿児島中央駅は写真からもわかる通りかなり大きい駅です。

ここは在来線である指宿枕崎線鹿児島本線の2線の他に九州新幹線が乗り入れています。新大阪駅から来ようと思えば鹿児島まで一本で向かうことができます。

在来線で鹿児島へ向かうのはお勧めしません(当たり前)(理由がない)(この後一周して戻ってくる)。

 

観覧車の方はアミュプラザ鹿児島というJR九州が運営する駅ビルです。

そもそも各地のJRは国鉄での再三にわたる赤字再建計画が失敗に終わったことで、民営化し分離するに至りました。

その際ドル箱路線を持たない地方JR3社であるJR北海道、四国、九州については債務を負わせず、JR東日本、関西、東海が引き継ぐことになった。

(新幹線を東海に取られた東日本が東海にキレてるの好き)

 

国鉄時代からの問題でJR九州は分離化した段階で、収入に対して人件費が半数以上を占めていました。そのための解決策(とまでは言えないですが)として様々な事業に手を出していて、その中の一つに不動産事業がありました。

不動産事業の利点の一つが不景気の中でも利益を出しやすいという所です。

安く土地を買って、そこに駅を設置し、価値を上げたうえで住宅開発などを実施する手段が取れます。賢い。

必然的にお金が落ちてきやすくなりますね。

もう一つが、駅ビル事業です。

こちらは都市圏の駅やターミナル駅を中心として開発しています。

また、駅ビルのテナントの一部には、先に上げたJR九州が手を出していた事業を入れ、鉄道事業もろとも盛り上げようとしました。

JR九州ではこの事業展開が功を奏し、かなりの利益を出すことに成功、今では鉄道事業の赤字を補填できるまでになりました。

駅ビルはJR九州を象徴するものと言っても過言ではないですね。

(勿論駅ビルは九州だけが行っているものではありませんが。)

 

移動手段から直結して遊ぶ場所まで提供できたのが強いよねって話。

 

さて、話を戻して。

そんな鹿児島中央駅からまず初めに向かうのは知覧です。

列車でもまぁいけないことはないですが、最寄り駅まで4,50分移動、その後バスで30分くらいかかります。乗り換え面倒。

そんなわけで鹿児島中央駅から目的地までバスが出ているので、普通にバスを利用します。18きっぷで途中までの料金をカバーできない分値段はかかるけど正直最終的にかかった額から見たら誤差。ちなみにこの日は一分たりとも列車を使いません。

初日は鹿児島から出ないし、遠出は知覧だけなので。

 

知覧の何処へ向かうかと言うと「知覧特攻平和会館」を訪れます。

www.chiran-tokkou.jp

知覧特攻平和会館までのアクセスはこちら。

バス停名は書いてありますが「特攻観音入口」という所です。

移動時間は1時間20分くらいです。

うーん長い。

料金は現時点で940円。

www.city.minamikyushu.lg.jp

 

知覧特攻平和会館第二次世界大戦の末期、沖縄戦において自爆特攻をした兵士たちの遺品などをフロアいっぱいに展示しています。

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知覧特攻平和会館のしょーめん

中の展示で一番多くて、心に重く響いたのはこれから特攻する兵士から遺族への手紙(遺書)でした。

古い字体のものもありすべては読めなかったのですが、やはり考えさせらるものがありました。どうして若い人がわざわざ命を散らさなくてはいけなかったのか。

読みながら涙を流している人もいました。

館内の空気は自然と重めなので、静かに見ることができます。

また移動ルートの最後には、引き上げられた実際の零戦を見ることができます。

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実物見たのは初めてかも

 もっと中の写真を撮ろうかと思ったのですが、館内の空気感と展示物も展示物なので流石にやめました。鹿児島を訪れた際は是非お立ち寄り下さい。

 

普通に省いたけど、第二次世界大戦末期に起こった沖縄戦の説明っている・・・?

いらないよね?

 

一応簡単に。

1945年の3月末から6月末ごろにかけて続いた戦いで、知っての通り多くの犠牲者を出しました。この戦い自体はその後に想定されていた本土決戦までの時間稼ぎを目的とされ、所謂捨て石の扱いを受けていました。

連合国側、まぁこの場合はアメリカ軍ですが、アメリカ軍が沖縄を攻めた理由としては本土進攻の前に補給基地を置きたかったというのがあります。

 

ハワイとか遠すぎるからね。

 

本土決戦までの時間稼ぎの他に一部では「とりあえず相手に大損害を与えてなるべく有利な条件で講和を結ぼう」派もいたようですが、結局沖縄戦で敗北を喫ししたため泡と消えました。

残念だったね。

 

沖縄戦が敗北濃厚になったため、沖縄戦が集結する手前くらいで「ソ連に間に入ってもらって終戦のための講和を結ぼう」という動きもありましたが、ソ連は同年2月にヤルタ協定(※)を結んでいたため実現することはありませんでした。

ヤルタ協定:日本が敗北したあと、土地とかの戦利品をどう分配するかを中・英・ソで取り決めたもの。ちなみにこの時ソ連日ソ中立条約を結んでいて日本と戦争してなかったが、連合国側から条約を破棄して参戦を要求され応じた。

そもそも中立条約はドイツとバチバチやってる最中に後ろから日本に刺されたくなかったから結んだというのもあったから、ドイツが消えた今結び続けるメリットはないし、仕方ないね。

 

雑な説明終わり。

 

滞在時間は大体1時間半くらいでした。

知覧特攻平和会館の前には何機か実際の航空機が屋外展示されてもいます。

ここを出たのが14時過ぎでいったん鹿児島中央駅へ戻りますが、普通に15時過ぎるので何かするには微妙。

結構迷いましたが、もう一か所行くことに。

元々今日行くことを想定はしていたので、予定通りと言えば予定通り。

 

鹿児島中央駅に戻ってきたのは15半過ぎ。

ここから市電を乗り継いで水族館口という駅を目指す。

駅名の通りこの近くには「いおワールドかごしま水族館」があります。

ioworld.jp

面白そうですが、今回の目的地はここではありません。

この水族館のお隣、ここに鹿児島港桜島フェリーターミナルがあります。

はい、名前からわかる通り桜島へ向かいます!

桜島フェリーについて↓

www.city.kagoshima.lg.jp

ここの乗車券販売所では桜島周遊バス「サクラジマアイランドビュー」の一日乗車券を購入することができます。値段は500円。

www.sakurajima.gr.jp

ただ、これで鹿児島を一周することはできないので注意

またこのフリーパスを購入することで、フェリー乗車賃が2割引きされます。

まぁフェリーの負担を軽減させたいなら市内のバス、市電、フェリーの共通券しかも乗り放題である「CUTE」の方が断然お得だと思います。どうせここ来るまで市電使うだろうし。

僕は情弱なので知りませんでした。(半ギレ)

www.kagoshima-yokanavi.jp

ちなみに僕がサクラジマアイランドビューの一日乗車券を買おうとした際、売り場のおっちゃんにめっちゃ怪訝な顔をされた上、本当に買うのか確認されました(小声)。

鹿児島港から出発して桜島港に着くの16時半くらいだし、その後あるバス一本だけだし仕方ないね。

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鹿児島港から

フェリーの料金書いてなかった。

200円です。安いね。つまり桜島近いね。ここから2割引きで160円でした。

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見てわかる活火山見るのは初めてだったから興奮した。

先に上げた桜島アイランドビューは観光スポットに着くと一定時間停車してくれるので、時間制限はありますが、そのまま下車して少しぶらつくことができます。

 

桜島についてさっそく乗車。

以下ダイジェスト。

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桜島ねこかわよ

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長渕剛が2004年にオールナイトライブを行った会場の跡地。
そろそろ2004年が20年前ってマジ?

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このバスでこれるメイン観光地

この後なんかして自分も写せないか悪戦苦闘してたところ見かねたのか他の観光客に声を掛けられ写真を撮ってもらえました。うれしい(情けない)。

 

アイランドビューで行ける桜島の観光地はこのくらいですが、他にも火山の噴火の影響で3メートルもあった鳥居が火山灰や軽石などで埋まった黒神埋没鳥居有村溶岩展望所など見どころは沢山あります。

時間がない中で行ったから仕方なかったけど、やっぱり行けなかったのは心残りかな。

 

桜島を撤退して鹿児島港に戻ってきたのは18時ごろ。

この後は夕食にして、カプセルホテルにインして終了。

 

さてどこにしようか特に決めてなかったのでラーメンでいいかと考えていたのですが、「せっかく鹿児島いるんだし白熊も食いてぇよなぁ」と思い立ち、天文館に移動。

天文館むじゃきに入店。

mujyaki.co.jp

入ったのは2階の洋食店

白熊を食べることばかりに頭が行って、メインの夕飯を何にするか考える必要があったのですが、黒豚わっぜえか丼のセットにすることに。

黒豚わっぜえか丼とは、鹿児島の特産品である黒豚を使ったご当地グルメです。

わっぜえか」とは鹿児島弁で「(もの)すごい」と言う意味らしい。この丼の名前わっぜぇか直球。

セットでミニ(重要)白熊が付くらしいのでこれにしました。

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シンプルな作り

食レポはしません。得意ではないし、見たまんま想像できる味です。

さてお待ちかねの白熊が運ばれてきましたよ~。楽しみだなあ~。

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???????

は?

ちょっとスプーンの大きさおかしくないですか?

この大きさをミニと言う勇気。

ミニサイズ(哲学)。

これカレー食べる時に使うスプーンですよね??

僕が想像してたのはファミレスとかで付いてくるもうちょっとちゃっちい、というかペロッといける食後のデザートだったんですけど、店員さん持ってくるもの間違えてますよ????

 

自分の常識は疑うべき。

いい教訓を鹿児島で得ました。

味はそりゃもうめちゃんこに旨かったです。

今度は”レギュラーサイズ”の白熊を食べに訪れたいです。

 

体が冷えるくらいには量のあった白熊を平らげご馳走様でした。

その後は明日に備えてカプセルホテルに予定通りチェックイン。

まだ始まったばかりだし、体力管理は大事。

まぁ失敗するんですけど(先手)。

 

といったところで今回は終わり。

次回は大分に向かう所から。

 

ちなみに今回泊まったホテルは、AVを有料で視聴させる仕組みのくせにカプセルに備え付けてあるテレビにつながるイヤホンジャックがないオカズをみんなで分け合う鬼畜社会主義仕様でした。

いい子のみんなはもしAVを視聴したくなっても焦らず、まず周辺機器の確認をしようね。

 

ちなみに俺は見ようとなんてしてないよ。

朝ニュースを確認しようとしたときにジャックがないことに気づいただけだよ。

ホントダヨ。

 

 

鉄道日本一周-<北陸編>⑪ まとめ

しゅー太です。

 

昨年4月以来に首都圏等で緊急事態宣言が出されましたね。

またどこかに行きづらくなるから、早く落ち着いてほしいですね。

大丈夫になったら、まず京都に行きたいです。

そういえば、まだいただけていない抹茶パフェがあったので。

 

さて、さっそく北陸編の総括。

 

今回の旅は元々四国を一周する予定を急遽強引に変更して北陸に行きました。

なので大垣までムーンライトながらに乗車し、福井から一気に新潟までを駆け上がる誰に聞いても「頭おかしいんじゃない?」と言われるルートを取りました。

 

とは言え、改めて北陸を一気に回るということを考えると特別悪いというルートではなかったと思います。

関東・関西圏とは違い側に揃っているため、基本効率よく旅をするためには新潟側か福井側から一方通行気味に通るしかありません。

ただ、新潟側からのルートを今回構築しなかったのでどちらの方がよりいいのかは次やるときに検証するか別の人に任せます。

 

北陸に行く方法として一番簡単なのは北陸新幹線や夜行バスを利用することだと思います。

そして金沢を中心にレンタカーであちこち出掛けるのが丸い。

特に目玉の観光地の一つでもある「黒部ダム」はアクセスが悪すぎるので、車が活きる場所ですね。

www.kurobe-dam.com

 

電車のメリットは①駐車場所を気にしなくていいこと、②体力を観光地に全振りできること。そして③交通機関のフリーパスで移動範囲に比べコストを抑えられることですね。(勿論すべてがすべてでではありませんが。)

 

今回の旅行は5日間での行程になりましたが、前半かなり予定を詰めて動いていました。まぁ、①「行けるうちに行っておけば後が楽になる」のと②「候補から外してたけど時間に余裕ができていける可能性が再浮上する」可能性が出てくるため、前倒しで消化できるうちに向かいました。

そのおかげで富山では瑞龍寺に、旅全体では新潟から山形へ向かう途中に福島(会津若松)へ寄る時間を捻出できました。

 

しかしながら、そのせいで支障をきたす観光個所もあり(滞在時間が減ったり、走らなくちゃいけなくなったり、終電終バスを気にしたり)、大声で「満足です!」とは言いにくい感じになったので、もう少し日程に余裕をもって訪れるのがいいかもですね。

日数増やしたら、それはそれでまた詰め込みそうですが。

 

途中、一乗谷などでは比較的のんびりぶらぶらする時間もあり、というか無理やり作ったのですが、観光資源を見て「はいおしまい」だと中々味気ないというか、せっかく来たのだからその周りもゆっくり見る時間があってもいいじゃない?ということで待ち時間を増やしました。

 

普段なんでもない路地を歩くだけで楽しいですが、それが観光で訪れた場所ならなんか贅沢に時間を使ってる気になりません?僕はなります。

 

終わってからふと、「あそこいっておけばよかったー!」と毎回なるのですが後の祭り。

また次の機会の楽しみという言い訳で耐えるしかないですね。

今回は福井の恐竜博物館とか高岡大仏とか。

ます寿司結局食べなかったなー。

やり漏らし多くなりすぎると敢えてやり残しを用意して、結局もう一回日本一周をした方がいい気がしてくる。

できるかな?

 

今回の旅ルート。

旅費は大体65000円。

途中使えない区間があったとは言え、それでも最強18きっぷ

足を向けて寝れないですね。

 別にぐるぐる回った訳じゃないから周遊はおかしいねと言うことに今更気づく。

 

 次は時系列的に九州一周の記事かなぁ。

北陸編書き始めたのが去年の4月だからまた一年くらいかかりそう。

今回は自分が歴史好きなのもあって、記事のパーティションを日割りではなく観光地ごとにして一つ一つ掘り下げて書く、というものにしました。

見てくれてる人がいるのかは不明ですが、まぁ自分の勉強にもなるので、濃さは考えますが同じやり方でなるべくやっていこうかなぁと思っています。

というかそもそもこのブログ自体自己満足だし何を今更・・・。

各地を訪れるのもそういう「歴史に触れる」という目的を果たすためでもあるからね。

 

みんなも日本一周して何か形に残そうね!

 

では。また次回。

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ひこうき雲が交差しているように見えたので、なんとなく撮った福井の空。
夕暮れの福井にまた居る時があることを信じて。

鉄道日本一周-<北陸編>⑩ 山形

おはようこんにちはこんばんは、しゅー太です。

今日は12月31日。一年最後の日。

早すぎる。今年大してなんもしてねぇ。若くて貴重な一年が過ぎ去ってしまった。

来年はもう少し充実させていきたい所存です。

 

さて、前回は会津若松をぐるっとしたところまででした。

今回はその続きから。

 

[4日目:2018年7月31日(火)AM 10:50]

一通り見終わって再び会津若松駅前。

 

いったん新潟駅まで戻ることは前回にも書いてますが、理由は今回のゴールが山形駅になるためです。会津若松からだとこの時間に出ても20時過ぎの到着になるので、さすがに厳しい。

(そもそも、2017年の東北一周の際に急なオリチャー発動で、会津若松に寄る時間が掻き消えさえしなかったら今回来る必要もなかったから自業自得。)

乗り換えや待ち時間があるとは言え、やはり新潟-山形間の在来線移動がかなり時間かかる。まぁ、列車で4時間半の移動なんて当たり前なんですけどね初見さん。

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とりあえず、新潟へ

来るときと同じ時間(3時間)をかけて新潟へ。

14時前には到着。昨日ぶりだね、会いたかったよ新潟ちゃん。

新潟駅から山形駅方面への列車は15時40分頃なので、ちょうどいいのでお昼などを済ませます。

 

新潟グルメと言えば海鮮などが筆頭ですが、新潟名物には他にもおいしいものが存在します。

そう、タレカツです。

タレカツは薄めのとんかつに甘辛い醤油ダレにつけて、ご飯に乗せた一品です。

日本海側はなんかこういうグルメ多い気がする。)

福井でソースカツ丼を食したので、せっかくなので新潟にも似たものがあるならといただきます。

いただいたのは新潟駅近くにあった天地豊作さん。

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普通にうまそう

「とん」「かつ」「甘辛の醤油ダレ」やぞ。

旨くないわけがないやろ。

そしてやはりご飯が進む。

サクサクアツアツのカツにご飯が合う合う。

新潟に行った際はぜひ食べてみてください。

 

さて、食した後はお土産などを見繕いながら、時間つぶし。

まぁ昨日買ってるから冷やかしだけになってしまったけど。

 

適当に駅周辺をぶらついているうちに時刻は列車が出るくらいに。

ここから一本で山形まで・・・・という訳にもいかず、3回ほど乗り換えを行って山形へ入ります。

秋田から山形への移動も大変だったけど、新潟から山形へ入るのも大変とか山形アクセス悪すぎるだろ(今更)。

そもそも仙台から山形入りするのが正規(?)ルートだから仕方ないね。

 

無事到着したのは20時過ぎ(普通にイミワカンナイ)

なので、今日は宿に入ってコンビニ飯食ってこの日は終了。

本当は友人に会う予定もあったけど、都合が合わなくなり、合えなくおじゃん。

しょうがないね。(なお連絡とったのは当日の模様。みんなはちゃんと前もって約束を取り付けようね!)

 

 [5日目:2018年8月1日(水)AM 9:00]

山形駅を少し早く出発して、9:00頃に目的地へ到着。

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立派な駅

高畠駅

ラ〇ホ見たいな駅だね!

この駅の中にはレストランも入っているので、列車が到着するまで時間を潰していくことも可能です。

ただ、周りに他の商業施設がないので、出来ることが何もなく、暇つぶしで他に行く当てもないのでここで時間を使わざるを得ない感じの場所でした。

 

そんなところに何をしに来たかと言うと、ここ。

www.takahata-winery.jp

高畠ワイナリーさん。

山形は山梨同様ワインで有名でワイナリーが存在します。

今回はせっかく山形まで来たのだから山形のワイナリーに行ってみよう!ということでこちらにやってきました。

高畠駅から高畠ワイナリーまでは徒歩10~15分くらいです。

まぁ、本来列車で来るような場所じゃないので、電車の本数には気を付けましょう。

30分から1時間に一本くらいなので、そこまで困らないとは思いますが、

自分が移動したいタイミングで移動できなくなってしまう可能性があるのでね。

 

駅から高畠ワイナリーまでの道に日差しを遮るような場所は、ほとんど存在しないので炎天下の中歩くのはかなり辛かったので、歩くなら対策をおススメします。

 

途中道を間違えたえてしまったので(倍の時間をかけてしまったため)、予定より遅くなりましたが、目的地へ無事到着。

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ようやくお目見え!

なかなかオシャレな外観。もう暑くてたまらなのでいざ中へ。

入ってすぐにはワインの歴史などのパネルがあり、そこで学習を行うことができます。

そこから先へ進むとワイン製造の実際の行程などを見学(外の小窓などから)することができます。

 

ただ、何か様子がおかしい・・・?

そう、何も動いていないのである!

今日は水曜日、そもそも観光客が来ることすら想定されていない営業日。

まぁ人様にわざわざ見せるところでやったりしてないですよね。

せっかく来たのに実際に稼働しているところが見れないのは残念すぎるが、やってないものはしょうがない。できる限り楽しんでいくとしましょう。

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貯蔵庫

とは言え、見れる個所もそんななかったので、そこまで時間もかからず終了。

撮りどころもそんななかったので写真も撮ってなかったらしい。反省しろ。

・・・。いい。まだ、俺には楽しみにしていたことがもう一つある。

それはワインの試飲!

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ワイン売り場

見学コースを通り抜けると最後に待ち構えているのがこのワイン販売所。

ここでは多くのワインが販売され、何種類かのワインについては試飲することができます。

自由に飲めるので、ここにきて一番楽しかったかもしれない。

ついでにここで店員さんと相談しながら、友人用のお土産を選別する。

それから帰りの新幹線で飲む用の缶で販売されているワインも購入。

そういうワインもあるなんて初めて知った。

(調べてみると結構あるんだね。知らなかった・・・。)

 

適当な数買って自宅へ送りつけて撤退。

滞在時間にして1時間半くらい。

人が多くて、ワイナリーでの製造が動いていたらかなりかかると思うので、そういった日に訪れる場合はそこらへんも想定しているといいかもしれない。

 

撤退時に見つけた外のお手洗い。

男女マークがワイン仕様なのが味がある。

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お手洗いもおしゃれ

 

そのあとは、高畠駅に戻ってさっき書いた駅の中のレストランに入って、飯を取りながら列車を待つ。

後はもう山形駅まで戻ったら、新幹線に乗車して東京まで一本で帰宅。

毎回ゴールまで到着したら、後の帰宅は特急とか新幹線を使用するけど、「文明の利器ってすげねぇな」って感じる。

一瞬で大移動できるの感動する。

わざわざ7時間かけて横浜-京都間移動しなくていいんだよ?

知ってた??

 

15時過ぎに東京まで帰還。3時間くらいで戻ってこれるからみんなも山形行こうな。

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ただいまー!

これにて、この旅も終了。

一旦岐阜の大垣まで出てから、日本海側を通って山形まで出る自分で考えても意味不明なルートでの旅でしたが、とても楽しかったです。

特に福井とか富山とかはあんまり行く機会もない場所だったので、今回(同時に)行くことができて一安心でした。

 

とりあえず旅の総まとめに関しては次の記事になるので、年明けかな。

とは言え、特に書くことなさそうなので短くなる予感。

 

来年以降もこの調子で旅に出てネタを貯めつつ、過去の旅を記事にしていければいいかなと思っています。

それではみなさん、よいお年を。

 

鉄道日本一周-<北陸編>⑨ 福島(会津若松)

気が付いたら前回の記事から、3か月くらい経ってる・・・。

バグかな?

記事書くのだけでこんな手こずるのに、動画とか編集している人はすごいなと感じる今日この頃。

10月にはGo To トラベルを利用して、名古屋~奈良辺りをプラプラしてきたから、書くネタが溜まり続けるアレ。

何とかしないと・・・。

 

[4日目:2018年7月31日(火)AM 7:30]

ちょっと早めにチェックアウトして、朝ごはんを食べられるところを探しつつ、鶴ヶ城へと向かう。

途中都合よく牛丼チェーン店を見つけたので、インして朝ごはんを済ませました。

お値段手ごろでそれなりに満足できるので助かります、ほんと。

体も小さい(160㎝くらいしかない)ので、まぁこれでも足りる。

身長小さくて個人的にあまり困ったことなかったけど、最近もう少しあればなぁって思うことが増えてきた。今更だけどね。

 

ゆっくり朝ごはんを食べて、再び鶴ヶ城へ前進。大体8:30手前には目的地へ到着。

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開城は8:30なので時間ぴったり。効率よく今日は動けそう。

鶴ヶ城

別名、若松城。その他にも会津(若松)城、(会津)黒川城などと呼ばれることも。

鶴ヶ城の始まりは、室町時代(さらに詳しく言うなら南北朝時代)に東北に領地を持っていた会津蘆名(あしな)氏が建てた東黒川館(小田垣の館)が前身であると言われています。

この蘆名氏、戦国時代には奥州の伊達氏と肩を並べるくらいの有力大名の一族となるのですが、その後、後継者問題や家臣の統制がうまくいかず次第に衰退。1656年に家系は断絶することが確定しました。

『館』とある通り最初に天守閣等はなかったのですが、遅くとも15世紀半ばまでには黒川城とその城下が完成したと考えられています。

その後しばらく蘆名氏の居城となっていましたが、安土桃山時代の1589年にそれまで幾度と戦いを繰り広げていた伊達政宗に攻め入られとうとう敗北。伊達氏に奪われた黒川城は翌年の1590年に豊臣秀吉の元へと渡りました。

 

 その後は、1592年に伊勢松坂(三重県)の領主である蒲生氏郷(がもううじさと)会津が与えられ、黒川城に入城しました。

蒲生氏郷は勇敢な武将で、また宗教や和歌などに理解のある文化人的側面も持つ文武両道な人物でした。とても優秀な人物でしたが、1595年の40歳という若さで亡くなりました。

さて、この氏郷が入城していた時期に何をしたかと言いますと、城の大改修を行い現在の姿に近いものとなりました。また、この改修を中心として城下町の建設を実施し、そして町の名前にもなっていた「黒川」の名を氏郷の出身地である「若松の森」にちなんで「若松」に改められました。城の名前に鶴ヶ城と名付けられたのもこの時期です。こんな感じで、この時期に大体今の会津若松の基盤になる形へと変形していきました。

 

氏郷没後は、子の秀行が後を継ぎましたが、お家騒動により下総国宇都宮へ転封(領地を移されること)し、秀吉の命で1598年に上杉景勝が越後から入封しました。

しかし、同年に豊臣秀吉が亡くなると徳川家康が台頭し始め、1600年に会津攻めを敢行。その背後から挟み撃ちにして家康を打ち取ろうとした石田三成が兵をあげ、世に有名な関ケ原の戦いが始まりました。結果はご存じの通り石田三成率いる西軍は敗北し、景勝は出羽国米沢へと転封させられてしまい、1601年に再び秀行が入城しました。

 

入城後、鶴ヶ城の整備や町方の振興に努めましたが、1611年に起きた会津地震により鶴ヶ城の石垣は崩れ、天守閣は傾き、山崩れで阿賀川がせき止められるなど大変な被害になあいました。この同年に正月には江戸屋敷(幕府から与えられた大名屋敷)が全焼、冬には干ばつの被害に遭うなど、会津にとって災厄の続く年となりました。こうした出来事から秀行は心労がたたり、1612年に30歳と言う若い年で亡くなりました。後を継いだのは秀行の嫡男である忠郷でしたが、当時わずか10歳であったため、お家騒動が絶えませんでした。そして、1627年に忠郷に嗣子がいないままこれまた25歳と言う若さで亡くなったため、秀行の次男の忠知が後嗣となり伊予国松山に移封され、代わりに松山より加藤嘉明(かとう よしあきら/ よしあき)が入封しました。

ちなみに忠知も30歳で後継ぎなく亡くなり、これをもって蒲生家は完全に断絶しました。

 

4代続いて若いうちに亡くなるなんて、ついてなさすぎるよなぁ・・・。

 

嘉明は会津に入った後、領内の整備に努めたり、村々の石高を調べて所領を確定するなどを含め、領内の経営に尽力しますが1631年に69歳で亡くなりました。その後は、子の明成が北と西にあった馬出をそれぞれ出丸(お城から離れた位置に作られる曲輪)にしたり、会津地震で壊れた天守を今に見られる形で改築したりしました。

 

ただ、こうした大改修は幕府が好むものではなかった(まぁ戦う力持たれても困るよね・・・。)ため、1643年に明成は改易させられ出羽国山形より、徳川家康の孫(ただし落胤)でもあった保科正之が入封し、以後明治維新まで会津松平氏(保科氏からの改名。正之の子である正容が三代目を継ぐと、幕府から松平の氏と葵の家紋を与えられ、正式に会津は徳川の親藩に組み込まれた。)の居城となり、9代に渡って藩政が行われました。

保科正之の主な実績の中には家綱の時代に、家綱の補佐に入り文治政治を推し進め、末期養子の禁の緩和殉死の禁止を実行しました。

文治政治武断政治(=武力を背景とした政治)を止めて、儒教朱子学)といった学問や教養を普及させ社会の安定を目指す政治。武断政治によってこの当時の社会秩序は最悪だった。

また、家訓15か条を定め、徳川本家に対する忠誠や藩士の心構えを明確にし、何か決断する際はこれを拠り所として藩政の精神的な柱としました。

要するにめっちゃ凄いことやっためっちゃ凄い人ってこと(雑)

 

そして最終的に会津が全国的にも有名となった戊辰戦争が1868年に起こります。

戊辰戦争のきっかけを簡単に説明すると、武力による討幕を行いたかった西郷隆盛率いる薩摩藩でしたが、幕府は攻撃される前に大政奉還(権力を朝廷に返す)を行い、幕府をなくすことで攻撃されないようにしました。(賢いけど、「ぶっちゃけもうこうするしかなかった」みたいな所ある。)

攻撃する大義名分を失いましたが、なんとか戦争に持ち込みたい西郷。幕府側から攻撃を仕掛けてもらえるよう浪人使って挑発行為を実施しました。その挑発がエスカレートした結果、江戸城の二の丸が焼かれる事態にまで発展し、旧幕府側も我慢ができなくなり薩摩藩へ攻撃を開始。そしてこれが戊辰戦争の始まりとなりました。

 

結論から言えば、旧幕府軍側である鶴ヶ城は一か月間程度、新政府軍の攻撃に耐えましたが降伏します。この戦闘で多くの被害を受けた鶴ヶ城ですが、修復等はされずしばらく放置プレイをかまされ、1894年に解体されてしまいます。

今ある鶴ヶ城は再建されたものという訳ですね。

 

(雑にお城の写真垂れ流し)

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 綺麗な作りですよね。

お城の再建については、本丸は1960年に、天守は1965年に鉄筋コンクリート造で再建されました。

第二次世界大戦後には会津若松市が、戦後の非常事態とも言える財政難を解決するための手段として、本丸内に競輪場が設置されていたこともあるらしいです。

(場所も手段も選ばない、なりふり構わなさ大好き)

戦後復興策として自転車競技法という法律に基づくものらしいですね。

やはり世の中を救うのはギャンブル。お上も言うんだから間違いねぇ。

 

鶴ヶ城の中は、ご想像通り資料館となっています。

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申し訳程度の天守からの景色

行く時には利用しませんでしたが、勿論会津若松市にも周遊バスがあります。

大体30分周期で動いています。

ルート策定にどうぞ。

周遊バスには

・モダンなスタイルが特徴で赤と青の2車両ある「ハイカラさん」

会津地方が発祥の赤べこをイメージした真っ赤なボディが特徴の「あかべぇ

の2種類が存在します。

デザイン以外に違うところはどこなんだって言うと、会津若松駅を背にして右回りか左回りかどうかです。

右回りがあかべぇで、左回りがハイカラさんです。

鶴ヶ城に向かうならハイカラさんが便利です。

例にもれず1日フリー乗車券もあります。600円です。

2020/11/18現在、なんと今なら会津若松駅前にある「Terminal Cafe & Shop」にてフリー乗車券を提示することでドリンクやアイスクリームが20%オフになるみたいです。

お得ですね。

時刻やルートなど詳しくは下記リンクから。

www.aizubus.com

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鶴ヶ城を観光したら、次の目的地へハイカラさんを使って移動。

 2,30分揺られて飯森山下で下車します。

ここにあるのは白虎隊記念。入場料は大人400円。

割と小さい。

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館横の銅像


www.byakkokinen.com

白虎隊とは、戊辰戦争の一つである会津戦争において会津藩が組織した少年兵隊です。

部隊員の年齢は16~17歳程度で、幼少組として13歳の少年も参加していました。

新政府軍と交戦し、奮戦むなしく敗走。最後は飯森山まで逃げ延びたものの、深手を負ったこともあり、これ以上戦えないことを悟り集団自決を実行。一人を除き死亡するという凄惨な出来事がありました。

(この時、7人自決して6人死んだとする説と20人自決して19人死んだとする説があるみたいです。)

”悲劇の白虎隊”という認識で日本人の中に広がっているのではないでしょうか。

メディアでも時々取り上げられたり、学校の教科書の端くれに載っかっていることもあるので、「自決した少年兵」という知識は多くの人が持っているんじゃないですかね。

ちなみに、自決の際に守るべき鶴ヶ城周辺から上がる煙から陥落したと勘違いして自決したという話をよく聞くかとは思いますが、実はそうではなく「生き恥を晒すなら武士らしく死のう」となり自決に走ったみたいです。

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元々白虎隊は予備兵力で、会津藩が劣勢となる中で戦力投入されました。

ちなみに、察しがついている人もいるとは思いますが、白虎隊の他に玄武隊、朱雀隊、青龍隊があります。

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うおおおおおおおおおおお!ドラグーン!ドランザー!ドラシエル!ドライガー

それぞれ白虎隊を除くと、以下の通りの内容となります。

朱雀隊:18歳から35歳まで、隊員約1200名
青龍隊:36歳から49歳まで、隊員約900名

玄武隊:50歳から56歳まで、隊員約400名

つまり年齢によって部隊構成がなされているという訳ですね。

また隊員数も3桁で、そこそこいますね。

となると勿論白虎隊もそれなりの数で組織されている訳で、

白虎隊:16歳から17歳まで、隊員約300名

で組織されていました。

”悲劇の白虎隊”ばかりがクローズアップされますが、あれはほんの一部のことだということなんです。

まぁ、改めて考えると予備兵とは言え戦争にあたる部隊だし、これだけいるのが当たり前だけど、これだけ多くの若者が戦いに出ていたという。

そして、敵である新政府軍は最新鋭の武器を持ち、人・物資共に物量も豊富。

それに比べ、旧幕府側はじり貧

しかも白虎隊が持たされていた武器は「まぁ、火縄銃よりはマシかな」レベル。

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手札には無限の可能性が秘められているぜ!城之内君!(大嘘)

また、戦士や自決をしなかった約290名に関しては、明治維新後まで生き延びました。

言うて明治維新自体が大政奉還(1867年)後の明治初期を指すのでそんな長生きはしてない。

そんな白虎隊に所縁のある品々や歴史がまとめられているのがこの白虎隊記念館なのです。

そして、ここの最寄のバス停の名前は飯森山下でした。

そうこの白虎隊記念館の裏手が件の飯森山になります。

そのため、ここには白虎隊を弔うための慰霊碑などもあります。

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また、ここには円通三匝堂(えんつうさんそうどう)、通称さざえ堂があります。

西国三十三観音菩薩を安置した六角三層の観音堂で、その形が貝のさざえに似ていることからさざえ堂と呼ばれています。

この建物の唯一無二の特徴がその構造で、階層の移動は螺旋通路によって移動するのですが、なんと上りと下りで同じ道を通らない一方通行の道となっています。

意味わかんないですね。

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頭の方が途切れているセンスのなさ

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側面。螺旋階層がよくわかる。

入場料は400円。正直ぼってると思いました。

諸々観光して大体30分くらい、1時間あれば余裕を持ちつつ見終わることのできる場所だと思います。(電車の時間見間違えたので駆け足になったのは内緒。)

 

急いでバス停まで向かって会津若松駅まで向かう。

このまま新潟駅までいったん引き返します。

今回もお世話になるのはハイカラさん。

結局あかべぇには一回も乗車しなかったな・・・。

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あいるびーばっく

今回は会津若松だけの観光でしたが、ここを拠点にして東側に猪苗代湖五色沼裏磐梯、南側にネギそばで有名な大内宿があるので、是非観光しに福島まで足を運んでみてください。楽しいですよ。

 

区切りもいいので今回はここまで。

前回の予測ははずれ、次回でこの北陸編も終わり(にしたい)。

年内で完結できるといいなぁ。

気持ち次第。

 

withコロナ、ニューノーマル、3蜜、小5etc

その他いろいろな言葉や定義が生まれていますが、各々やれることやって、

(まだまだ先は長そうと思いますが)ストレスを貯め過ぎないよう頑張りましょう。

 

正直コロナ止めるのは無理だと思うんだ(大声)

鉄道日本一周-<北陸編>⑧ 新潟

こんにちは。

あちこちで気温が爆上がりして、40℃を超えるのがデフォルトになりつつある日本にビビるしゅー太です。

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特に浜松が。

最近の気象情報見ると、画面が真っ赤っか。
30℃前後で「今日は涼しい方なんだな」と考えるくらいには毎日が暑い。

北海道で夏だけ暮らしてぇよぉ。セカンドハウス持つ余裕なんてないけど。

仕事もあるし。悲しいね・・・バナージ・・・。

 

今回は直江津で一晩明かした後から。

直江津は特に観光しません。通過点さ。

それとここからまた18きっぷが使えます。やったね。

 

[3日目:2018年7月30日(月)AM 7:00]

今日は少し早めに出発。

目的地は弥彦駅で、乗り継ぎ含めてここから3時間程度かかるので、

朝はマクドナルドで軽く済ませて、早々に行動開始。

朝マック食べたい気分だったから探したけど、地方って地味に離れた場所にマックとかがあるから、向かうのに謎に時間をかけてしまったのは内緒。

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懐かしさから思わず写真を撮った。

地方だと割かしよく会うことも多い115系と呼ばれる車型。

この配色は「湘南色」と言われるカラーだそうです。

幼少期に中国地方に住んでいた頃、よくこの色の列車に乗っていたのですが、小学校に上がる際に上京したので、見たのはそれっきりでした。

まさか、こんなところでまた乗車できるとは・・・。

僕の中では未だに列車と言えば「これ」なんです。

実に約20年ぶりの再会(?)です。感動さえ覚えました。

朝からラッキーだったな。

 

直江津を出発した後は、長岡・東三条駅を経由しながら弥彦駅へ。

長岡は花火で有名だから、いつか見に行きたいですね。

1人はさみしいけどね。

行く最中驚いたことがあって、途中乗り継いだ車両、なんと液晶モニタ付き

バカにしてるわけじゃないんだけど、地方でも既に導入されているとは想像していなかった・・・。

地方路線って財政厳しいイメージあるから、新型の導入って中々見ないんですよね。

ちょうどタイミングが合致してたのかな?

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綺麗な車内だ。東京と変わらない。

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また、東三条駅弥彦線に乗り換え。終点まで向かう。

午前10時半頃、弥彦駅へ到着。

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朱色が映えていていいですねぇ!

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全体像はこんな感じ

片瀬江ノ島駅にカラーリングが似ている。

まぁ、あちらは竜宮城イメージだったはずなので、モチーフは全く異なるけど。

 

とりあえず着いたわけですが、ここでの向かう先は弥彦神社になります。

まぁ多分ここに来る目的は大体ここしかない気もしますが。

駅から弥彦神社までの距離は大体1kmくらい。

とは言え、夏真っただ中で太陽も厳しい。

できれば交通機関で移動したいですが、なんと弥彦神社まではバスがでていません

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ふざけるな!ふざけるな!馬鹿野郎ォ!!あああああああああ!!!!!

タクシー・・・もなしではありませんが、微妙な距離。

しかも観光案内所に該当する施設が駅から微妙に離れたところ(しかも弥彦神社までの道中)にあるときた。

歩くしかないか。(位置的にはここ)

方針を決めて弥彦神社へと文字通り歩みを進めます。

道のりは1kmくらいですが、他に何が嫌かって基本登り坂であること。

無駄に体力も削れてげんなり。

まぁ、観光客がそんな来る場所でもなさそうですし仕方ないですね(失礼)。

 

観光案内所に寄ったり、そのななめ向かいにある「おもてなし広場」という道の駅チックな場所に寄り道をしながら15分位歩いて弥彦神社に到着!

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立派な鳥居がお出迎え。

正式名所、「彌彦神社(いやひこじんじゃ)

弥彦山をご神体としその山麓にこの神社はあります。また、古くから「いやひこじんじゃ」と呼ばれていますが、ご神体の弥彦山を含め関係する地名が「やひこ」と読むため、一般には「やひこじんじゃ」と呼ばれています。

かの有名な「万葉集」にも彌彦神社が詠われた歌が2種も掲載されています。

 

祭神として「天香山命(あめのかごやまのみこと)」が祀られており、地名から「伊夜日古大神(伊夜比古大神、伊夜彦大神)」等とも。

天香山命古事記に登場する「高倉下(たかくらじ)」と同一存在とされ、天照大御神の曾孫に該当します。

神武天皇即位四年(西暦紀元前657年)に、日本の初代天皇である神武天皇から越後国開拓の詔を受け、現在の長岡市野積の浜に上陸しました。そして当時の地元住民に漁業・製塩・酒造などの産業技術を教え、後に越後を造った神様として崇拝されることになります。

神武天皇を救ったエピソードもあるけど、気になった人はリンク先みてね→こちら

 

弥彦神社は、社伝によると第六代孝安天皇元年(西暦紀元前392年)二月二日に天香山命が越後を平定・開拓し終わり、亡くなった際に弥彦山に廟社を築き祀ったのが始まりとされいます。

その後、紀元前97~30年に建諸隅命(たけもろすみのみこと)が天皇の勅命を受けて社殿を造営。711年には勅命により神域の拡張と神戸及び神領の境を定めたと伝えられています。

上記のように具体的な創建年代は不明ですが、少なくとも2400年以上という、えげつない歴史を持った神社となります。

 

弥彦神社が初めて国史に現れるのは、『続日本後紀(しょくにほんこうき)(※1)』で

「越後國蒲原郡伊夜比古神 名神に預かる 彼の郡旱疫有る毎に雨を致し病を救うを以てなり」

という記述があります。

(※1)六国史の一つ。飛鳥時代から平安時代前期にかけて行われた国家事業による日本の歴史書の編纂で、6つあるため六国史と呼ばれる。続日本後紀はその4つ目にあたり、全20巻ある。上記の記述は第2巻から。仁明天皇の代である833年から850年までの18年を扱っており、この時代の目立った出来事としては承和の変があった。

 

鎌倉時代には源頼朝が三千貫の社領を寄進したり、室町時代では後醍醐天皇が「正宮位大明神」と書いた勅額を奉納されるなど、かなり有名な大社として存在していました。

かなり繁栄していましたが、応仁の乱の影響によって社殿や多くの記録・宝物が焼失、社領も押収されてしまい衰退します

 

江戸時代に入ると歴代徳川将軍からの支援による領土の安堵、1702年には社殿の修繕もされ、復興します。

また、1692年に当時の神主であった高橋左近光頼は、仏教化された神社の在り方をよしとせず、社僧・供僧を追放するなど神社内の仏教色を一掃する神仏分離を断行しました。結果としてこの試みは失敗しますが、明治維新時に実行された神仏分離を早期に行っていた神社でもありました。

 

その後も火事にあって再建されたり、上越新幹線開通を記念して鳥居が建てられたりと、2400年前から現在至るまで大切にされている神社となります。

 

では参拝していきましょう。

鳥居をくぐって真っ直ぐ歩くのですが、拝殿に向かうためには途中左折する必要があります。まぁ、曲がる場所は初めの十字路になるので迷うことはないでしょう。

左手に鳥居も見えるので。

境内はこんな感じに両側に杉の木が植えられてます。

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いい清涼感だ。

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はーいでんまえ(隋神門)

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とーちゃく!

渋みのあるスタイルで、かなり好みですね。

屋根の角度とか・・・いいよね・・・(謎フェチ)

どちらかと言うと江戸時代の役所を連想します。

目立つ派手さはありませんが、存在感は半端ありません。

お参りも済ませましょう。

こういう旅に出てるときって適切かはわかりませんが、どこの神社でも

「無事にこの旅が終わりますように」

と願掛けしてしまいますが、同じような人いるんですかね。

 

お参りした後は周っていない境内を観光。

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神馬舎の中

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鹿の他にもいろんな種類の鶏とかいました。

ぶらぶら歩いて適度なところで観光を切り上げ駅前に戻る。

列車の時間を考慮しながら動く必要があるのがネックですが、勝手に運んでくれるこの手段の魅力にはあらがえないですね。

弥彦駅前には11半頃に帰還。時間にして1時間くらい、弥彦神社での滞在時間はもっと少ないですね。

 

11時50分頃の列車で次の目的地へ出発。

行き先は新潟駅です。途中吉田駅で乗り換えて、新潟を目指します。

到着時間は13時前なのでお昼を食べるにはいい時間に着きそう!

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なんて思っていたのですが、暇つぶしのためにやっていた携帯ゲームに夢中になりすぎて吉田駅をスルーしてしまうゴミっぷり。

(旅)やる気あんの???

気が付いたのがしばらくたってからで割と焦る。

ちょうど大きめの駅である東三条駅に到着したので、いったん降りてリカバリー案を探すことにしたものの、残念ながら見つからず。

相変わらずのアホっぷりですね!

とりあえず、いったん東三条駅まででて、新潟を目指すルートを選択。

到着が1時間ほどずれ込む見込みとなりました。

 

まぁ・・・お昼が遅くなるだけだし。

この後の予定特に決めてなかったからノーダメだし。

旅にトラブルは付き物だからね!

などと全力で言い訳を並べて、ミスを宇宙の彼方まで吹っ飛ばす。

 

その後は今後の予定を立てながら時間を潰して、列車を待ち、

時間になったら今度はゲームはせず新潟まで乗車。

14時には新潟駅に無事到着しました。

反省は活かす男、しゅー太。

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意外と大きかったんですね。

とりあえず新潟に来たらしたかったことが二つ。

まず一つ目がこれ。

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待ってたぜ、この時をよォ!

新潟駅から直結しているビル、CoCoLo新潟の西館にある「ぽんしゅ館 新潟驛店

www.ponshukan.com

こちらでは500円で新潟にある様々な日本酒の飲み比べができます!

500円を払うと専用のコイン5枚が渡され、コインを専用の投入口に入れるとおちょこ一杯分の日本酒へと変換することができます。

その種類はおおよそ100種類ほど(しかし全部が稼働中という訳ではない)。

またお酒ごとに甘さや辛さ、度数の他おススメポイントや生産地なども書かれており、選ぶ指標として役立てることができます。人気ランキングもあるよ。

さらに、塩やみそなどのも無料で置いてあり、それらと合わせて楽しむことができます。別途きゅうりの一本漬けなども販売してありますよ。

日本酒が好きなら、ぜひここに立ち寄ってほしい場所になります。

 

ん?なんでこんなに説明があって写真がないかって?

日本酒に夢中になりすぎて忘れてたんだよ。

ちなみに切れのある辛口が好きなので、基本はそれ系統のものばかり選んでました。

 

もう一つのやりたいことはこちら。

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バスセンターのカレー!

新潟の「バスセンターのカレー」で有名な万代そばさんのカレーです。

万代シティバスセンターの一階に位置している立ち食いのお店となります。

現在はバスセンターの区画工事の影響で、店舗の場所を移動して営業されているみたいです(2020年8月22日現在)。

www.silverhotel.co.jp

ここの名物はなんといってもカレー!

テレビでも取り上げられることもあるほど有名です。

ちょうど旅に出る前にテレビでやっているのを見て、「行ったらせっかくだし食べるかぁ」とミーハー丸出しですが食べに来た次第です。

その人気からかレトルト版まで製品化されており、店頭で購入することが可能となっています。

食べている間にも買いに来ているお客さんがいらっしゃいました。

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実物がこれ。

食べてみた感想ですが、まぁまず量が多い

それなりどころか、かなり満腹になりました。

特徴的だったのが玉ねぎで、かなり食べ応えがありました。

溶かすのではなくそのまま食材としてあてがっているみたいですね。

それから、辛さ

マイルドな見た目からは想像できないくらいには辛いです。

激辛というわけでは全くありませんが、スパイスが効いていて、汗が止まらなかったです。コクもあって、大変美味でした。

新潟に来たらまた食べに来たいですね。

 

万代シティバスセンターは新潟駅から歩いて10分くらいの場所にあります。

地図はこっち。9月中旬くらいまでは、上記に書いた通り別の場所で臨時営業しているようなので、お間違えの無いよう。

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外観

 

食べ終わって15時くらい。

その後は駅に戻って職場や家族用のお土産を探す時間に充てる。

自分用にはぽんしゅ館でおかきを買いました。

 

そして、ここまでは事前に決めていたルートだったので、ここから先はノープラン。

時間が空いてるときにずっと考えていましたが、余裕もあるのでいったん福島の会津若松に出ることにしました。

以前に東北一周した際は、タイミングの都合で行くことができなかったので、ここは行っておくべきだろうということで一度内陸へ向かいます。

15:45にはホームへ。

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さぁ、参りましょう

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綺麗な田んぼ道が続く。

途中乗り換えを挟みつつも電車に乗ることおおよそ3時間。

ようやく会津若松駅へ到着。

地理的な距離で見たらそんなに離れてないんだけどね・・・。

速度とそれから線路が単線なこともあって待ち合わせも含めたらこんなもんって感じ。

一番怖かったのは、事故か何かで止まること。

田舎、しかも山の中だとどうあがいてもリカバリー不可かつ致命傷になりかねないので、ずっとお祈りタイムでした。

まーじで恐怖しかない。

リミットある旅でしかも後半戦だとリスクが高くなりすぎる・・・。

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会津若松駅

今日は朝早くから動いたので、宿に一直線。

途中コンビニで晩御飯を買ってチェックイン。

会津若松では鶴ヶ城会津若松城)と白虎隊記念館へ向かいます。

今日はとっても楽しかったね。

明日はもっと楽しくなるよ。ね、しゅー太(郎)!(某ロコちゃん風ボイス)

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広いけどさぁ!

通されたお部屋はツインのお部屋。

1人旅にはもったいないくらいきれいで快適なお部屋でした!

そしてこの部屋の広さ分の寂しさが体に染みわたる・・・。

ツインの方がメイキングしやすいって聞いたことあるから仕方ないね。

 

さてさて次回の更新はいつになることやら。

北陸編はあとまとめ入れて3回くらいと見た。

続く。