みなさんはどういった物語がお好きだろうか。
一定の流行り廃りは確かにあるが、すべてのジャンルにおいて
ある程度の時を経ても一律に楽しめるというのは読書の魅力であると思う。
さて、近年に流行ったものに「デスゲーム」ものがある。
この類のもの中には密室に閉じ込められ互いに疑心暗鬼になり殺し合うが、
最後には主人公間のわだかまりが解け、助け合い、
状況を切り抜けるという筋の話がある。(個人的にはこういう展開は好物である)
久しぶりに上記系統の話を読もうかと本屋を物色していると
「ハヤカワ文庫の百合SFフェア」なる文字が。
そこで下記の本を見つけた。
どの程度百合要素が入っているのかわからなかったが、女の子同士が戦い、
互いの腹を探り合い、最後には仲睦まじい姿を見せてくれる展開なのだろうか。
もしそうだったらぜひ読みたい。違うならそれはそれで構わない。
というわけで購入したのだが、とんだ化け物だった。
ぜひ読んでいただきたいので、ネタバレは控えるように記載する。
まず前提となるのだが、登場人物は全員これから卒業式を迎える中学3年生の女の子。
式の会場へ向かっていたが気が付くと暗い部屋の真ん中に1人で横たわっていた。
部屋は四角く石でできており、部屋には鉄製の扉が二枚向かい合うように壁に埋め込まれていた。片方の扉はこちら側にノブがなく開けられない。一方、反対側の扉にはノブがあり、卒業試験と題された貼り紙もされていた。曰く、
「ドアを開けられた部屋の数をnとし死んだ卒業生の人数をmとする時、n-m=1とせよ。
時間は無制限とする。その他条件も試験の範疇とする。
合否に於いては脱出を以て発表に代える。」と。
扉を開けると同じ間取りの部屋があり、同じく部屋の中央に女の子が倒れている、
といった具合である。
おそらくここまで見た読者は、「あぁ、扉を開いて1人になるまで人が減らす話なんだな」と考える人が多いだろう。
2章を読むまでは。
本の構成自体は2章仕立てで、1章は言わばチュートリアルとでも例えようか。
この物語の登場人物たちがどのような環境に置かれるのかを説明するパートと言える。
中心となるのは2章からだが、ここから急に毛色が変わる。
閉じ込められる人物が変わるのだが、その切り替わり頻度が尋常じゃない。
まるで「こんなケースがあった」とでも言うように、女の子が閉じ込められてどんな行動をしたのかを事実然として書き連ねているのだ。
これが最後まで続くのである。
途中、語りが物語体に戻る個所も何箇所かある。
それは、「脱出を選ばなかった女の子たちの話」だ。
この何もない石でできた空間の中で生きていくこと選んだ女の子たちがどういう結末を迎えるのか、、、
それがこの物語の軸となっていく。
デスゲームは登場人物たちが自らの人生へ戻るための手段から生きていく中での当然環境・自然の摂理へと変化し、中心性が消える。
後に残るのは、脱出という選択肢が取れなくなった後、そこに生きる彼女たちの純粋な心情のみである。
読み進める中で、感じたのは「一体俺は何を読んでいるのだろうか」という困惑。
かつてあった文明の成り立ち、特定状況下で人がとりうる選択の方向性の考察。
いっそ教科書を読んでいるかのような感覚にさえ陥る。
この本の特徴は、読み手を決して登場人物に感情移入させない、
読み手が本に介入できないという点にある。
本文の表面を流れるように、そこに留まることを許さない。
あくまでメタ的な視点で読むことを強いるのだ。
そういう意味では、演者ではなく「『少女庭国』という記録を読む役割」として
物語の一部になっていると言えなくもないかもしれない。
(ちなみに記録とは、本来、ある目的を持つ者が考察のためにデータを取り、その者と同じ志を持つ者がその結果に目を通す目的で記されるものである。)
これがこの本を面白くさせるギミックとなっている。
そして、この物語はどこを読み進めても絡みつくような重さをもつ。
物語中の閉ざされた世界のごとく、読み手に息をつく安心感をもたらさない。
緊張感があるわけではない。しかし、破滅の訪れを暗示させる。
そういう類の重さがある。
自分がこの環境下に置かれたらどうするのか、
考えながら読み進めてみると楽しいかもしれない。
しかしこの本、面白いには面白いのだが、いかんせん読みにくい箇所がいくつかある。
例えば、
・中学3年生という設定なので、あえて若者言葉(のような言葉)が会話文で使用されている。そのため、読者層がその言葉のニュアンスを捉えられる世代に限定されてしまう。
#とはいえ、そこまで難しいものは出てこないので、気にする程でもないと思う。
・一部会話文において誰の発言なのか理解しにくい。
といったものである。
読む際には上記の点を念頭に置いておくと、読みにくさが軽減されるだろう。
とはいえ、読みにくいポイントはそこまで多くないので心配はいらない。
楽しんで本書を読み進めてほしい。
ところで、「物語」というものはそれ単体では完結しない。
「物語」が存在するということは書き手の存在は前提に含まれているため除外するとして、別に必要なものがある。そう、読み手である。
読み手という主体がいなければ、物語は始まらない。
「少女庭国」の石の部屋。扉を開けなければ事態は進まなかったが、
もし、読み手がこの本のページを開かなければ、決して物語の中の時間が進みだすこともなかったはずだ。
果たして、彼女たちに扉を開けるようにさせたのは、本当は誰だったのだろうか。
読み終える頃には筆者が笑って嘲る姿が目に浮かぶだろう。
この結果はすべてお前のせいなのだ、とーーーーーーー